まるで誰かの心情を映し出すように、空には覆うように黒い雲が広がっている。
暗い部屋の中、左手にはめられた指輪だけが鈍く光っていた。

静まり返ったジュンの部屋にノックの音が響いた。
「……ねぇ、ジュンくん」
 今朝と同じで、相変わらず扉の向こうから返事はない。
のりは構わず一枚隔てた扉の向こうのジュンに語り掛けた。
「少しはご飯食べなきゃ……体に悪いよ? 今晩のお夕飯、ジュンくんが元気になるように頑張って作ったの。 だから……」
「……いらない」
「で、でも……」
 突然扉が勢い良く叩きつけられて揺れる。
「いらないって言ってんだろ!!」
「! ……ジュンくん」
 まだ微かに揺れる扉を悲しそうに見た後、のりは静かに顔を伏せた。

扉にぶつけたボーリング玉が完全に止まるのを見届けることなく、ジュンは体を毛布で包み直した。隙間から僅かに晒した目は赤く腫れ、目線は外をゆっくりと流れる雲に向けられている。
だが、ジュンの瞳には今にも振り出しそうな雨雲など映ってはいない。
(……雛苺)
 人形達の中でも一番幼くて、わがままで泣き虫。
自分を抱くように腕を組み、ジュンの爪が自身の両肩に食いこむ。
(……翠星石)
 性悪人形。外見とは裏腹の毒舌、おまけに人間嫌い。
ジュンの脳裏を巡るように人形達の姿がよぎっていく。
ほんの一瞬、思考の端に鮮やかな赤いドレスの裾が揺れる。
黒い瞳が大きく見開かれた。
「……しん…く」
 震える指先にさらに力がこめられて、両肩にうっすらと血が滲み出る。
全身から血の気は引いていき、意識が反転しそうな感覚に嘔吐感を覚える。
「うぅ……」
気持ち悪い。
「ふぐぅ……うぅ」
気持ち悪い。
「うっ…うっ…!」
ジュンはクラクラする頭を両手でおさえて声を押し殺して泣き続ける。
流れ続ける涙を拭くこともせず、やがて暗い部屋全体に響く嗚咽へと変わっていく。
「うっ、う、うう…」
 ジュンの耳には自分の泣き声しか聞こえなかった。
それゆえ、ジュンの耳には届かなかったのだろう。
スライドされて開かれた窓の音を。
「…えっと、そこの人間!」
「!?」
 顔をあげたジュンの眼前に立っている小さな影。
目を顰めてよく見ると辛うじてだが、それが少女だということは認識できた。
「やっとこさこっちを向いたのかしら…… それにしても暗い部屋ね…」
 少女が「ピチカート」と呟き、何処からともなく小さな光が現われたかと思うと、電気も点けていないのに突然部屋が明るくなった。

あまりの眩しさに目を瞑ったジュンだったが、侵入者を確認するため慌てて眩む目を無理矢理開いた。
まず目に飛び込んできたのは大きく派手な髪どめ。そして黄色を基調とした妙な服。なによりも奇怪なのは彼女のサイズであった。
人間の少女にしては余りにも小さすぎる体格。
それに見覚えのある先程の光る物体。
「にん…ぎょう…?」
「ふふふ……ご明察通りかしら!」
 腰に手を当てて、人形は偉そうに答える。
「私は薔薇乙女の第六ドールにして、薔薇乙女一の頭脳派、金糸雀なのかしら!」
「……」
 流れる沈黙。
ジュンは呆然とした表情で金糸雀と名乗る人形を凝視し、金糸雀は反応が返って来ないことに困惑してか、いつもより多く瞬きを繰り返している。
その沈黙を先に破ったのは、ジュンであった。
「何しに来たんだ。 真紅達なら……ここにはいないぞ」
 手の甲で目を吹き払いながら、ぶっきらぼうに言う。
相手は薔薇乙女のドールだという。ならばここにやって来るとしたら理由は一つしか見当たらない。
「姉妹ケンカしに来たんだろうけど、残念だったな」
 さぁ分かったなら帰れ、そう続けようとしたジュンに金糸雀は首を横に振った。
「そんなことはとっくの昔に知っているのかしら」
「え?」
 思わぬ返答にジュンは声を漏らした。
「ピチカートが教えてくれたのよ」
 ピチカートと呼ばれた光る物体は頷くように上下に揺れた。
「ピチカート…? この人魂みたいな奴のことか?」
「あらら? あなたミーディアムなのに人工精霊を知らないのかしら?」
「いや、知ってるけど…知らないっていうか…よく分からないっていうか……というかなんで僕がコイツにこんなことを……」
 ブツブツと呟くジュンの周りを、ピチカートが不思議げにグルグルと飛び回る。その動きが無意識に螺旋飛行になっているのは主人の躾の賜物だろう。
そんなピチカートとジュンを交互に目をやりながら、金糸雀は軽くせき払いをした。
「……っと、こんな雑談をしている暇はないんじゃないかしら?」
「あ……そ、そうだよ! 知ってんならなんでまたここに…」
 そこまで言って気づいたのか、ジュンはピタリと固まり、次に青ざめた顔を金糸雀に向ける。
目の前に差し出された小さな右手。
愛嬌のある翠の瞳が、ジュンを正面からしっかりと見据えていた。
「私がここに来た理由は一つ……」
 この行為が何か、ジュンは知っている。
しかしそれは考えられないことだった。
ジュンは目を瞬かせて、金糸雀の言葉を待った。

「――私と契約するのかしら、人間」

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