僕の名前は桜田ジュン。
とってもピュアな心をもつ中学二年生だ。
純粋がゆえに、うっかり桑田さんのスリーサイズをチェックしてしまい、結果引き篭もることになったほろ苦い過去を持つセンチメンタルボーイだ。ってか梅岡、いつかテメェ家に火つけてやるから覚えとけよ。
そんなこんなで、引き篭もり続けてはや数ヶ月。
最近姉の自分を見る目が艶かしくなっているのを感じています。
そんな視線を背中にエロサイトを巡回するのが日課になっていた頃、突然僕のもとに一通の手紙が送られてきた。
「まきますか・まきますか」
と二択にした意図がまったく読めない拒否権なしの手紙。
しかし、こういう系統がたまらなく大好きな僕だ。
迷わず「まきません」という選択肢を書き足し、それに丸をつけた。
そして「引き出しの二段目に入れてください」という手紙の指示通り、僕はトイレにその手紙を流した。
次の日。
いつもニヤニヤとした表情で僕の大人の玩具を送り届けてくれる宅配のオッサンがいつもより遅いことに不審に思った僕は、前かがみになりながらも玄関の扉を開けて確かめに行った。
「なんだコレ?」
僕の目に飛びこんできたのは、いやらしい笑いを浮かべる中年配達人ではなく、刺激臭を放つ大きな鞄だった。
「こんなもん通販したっけな…?」
見覚えのない商品だったが、子供のままの好奇心が疼いたので、とりあえず鼻をつまみながら家の中に持ちこんで中身を確かめることにした。
部屋に戻った僕は、何故か僕の下着を漁っていた姉の立会いのもと、鞄に手をかけた。
高鳴る胸を抑えつつ、ゆっくりと鞄を開けていく。
完全に開ききったとき、僕は唖然として目を見開いた。
「人形……?」
金色の長髪と赤いドレスに身を包んでいる精巧な人形。
「なんだ、ダッチワイフか……」
興味が削がれた僕は即座に鞄を閉めて窓から投げ捨てた。
姉が「私という穴がありながら……」と意味不明なことを嘆いていたが無視した。
一時間後、窓をぶち破って何かが飛来した。
突然のことだったので幾つか破片が突き刺さったが痛くない、大丈夫だ。
ごめん、嘘だ。
僕は血と涙で霞む視界に、黒い物体を捉えた。
「さっきの…鞄…」
野郎。これもあれも全部梅岡のせいだ。
僕は怒りを露にしながら、二度と戻ってこないよう中身を燃えるゴミにぶち込むために鞄を開いた。
「あれ? これって……ゼンマイ…?」
大量出血のせいか、ブルブルと震える手でそれを取って見る。
鞄の中の人形に目線を移すと、背中に丁度良く入りそうな大きさの穴があった。
「ちょっとくらいならいいよな…」
どうせすぐ捨てるんだ。
僕は人形を持ち上げてゼンマイを背中の穴に差し込……
「やっぱりやめとこ」
僕はゼンマイを窓から投げ捨てた。
「またかっ!!」
バチーンという音と脳を横に揺らす衝撃。
危うく僕の意識はnのフィールドに旅立つところであった。変なウサギが手招きをしていたのは気のせいだろうか。
「全く……おまえは何度窓から投げ捨てれば気が済むのかしら」
0、5秒の幽体離脱を終えた僕の前に、非現実がブツブツと文句を溢しながら立っていた。
「うわぁ、ダッチワイフが動いて喋ってる」
「…おまえ、名は?」
ダッチワイフは首を傾げながらも、僕を指差し言った。
「ぼ、僕は……えっと…」
あれ…?思い出せないぞ…さっきの衝撃のせいか……う〜ん……覚えていることは……ウサギ…トリビィアル…
「そ、そうだ! 思い出したぞ!僕の名前はラプラスの魔だ!」
「そう、美しくない名…ってえぇぇぇ!?」
なんで驚いてるんだ?失礼なダッチワイフだ。
「ま、まぁいいわ……私の名前は真紅。 薔薇乙女の第五ドール」
真紅と名乗るダッチワイフが勝手に自己紹介を始めた。
はっきりいって僕はぜんぜん聞いてない。
「そして…ラ、ラプラスの魔。 おまえはこれより真紅の真紅の下僕となる」
「断る」
僕は真紅ダッチワイフをつかみあげると、窓から投げ捨てた。
今日も空は青くて綺麗だ。
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午後の清々しい風を感じながら、僕は雲一つない青い空を見上げて黄昏ていた。
窓の下から罵倒や石が投げられてくるが、気のせいだろう。
思い返せば引き篭もってはや数ヶ月。
桑田さんに『折れたシャー芯より価値がない』と面と向かって言われたあの頃が懐かしい。
まぁ、そのあと一日中桑田さんを視姦してたけど。
「いつまで無視する気!? いいかげんこっちを向きなさい!!」
教室に入ったら自分の机がなかったり、梅岡が陰湿な笑みを浮かべながら何度も問題を当ててきたり、色々なことがあった学校生活だったが今ではいい思い出だ。
「ちょ…ラ、ラプラスの魔!! ふざけないでっ! こっちを向きなさいって言ってるのよ!!」
なんだか少し切ない気持ちになった僕は、今晩のおかずでも探そうと窓に手をかける。
「っ!? ラプラスの魔、危な…!」
その瞬間、外から無数の黒い羽が飛来し、無抵抗な僕の顔面に容赦なく突き刺さった。
声をあげる間なく倒れこんだ僕に羽根は執拗にくまなく全身に突き刺さっていく。ちょっぴり快感を感じたのは秘密だ。
「危なかった……眼鏡がなかったら死んでたな…」
やれやれと僕は全身から噴水のようにふき出す血などお構いなしに立ちあがる。それにしても今日はやけに出血が多い。今日の星占いではM78星雲座は素敵な出会いがあるって言っていたのに、このままでは素敵な出会いの前にまたnのフィールドに逝ってしまいそうだ。
待てよ。素敵な出会いってあのウサギのことか?そうなのか?
畜生!僕の胸のトキメキを返せこの野郎!
「あらぁ、まだ生きてたの? さすが真紅のミーディアム、ゴキブリ並のしぶとさねぇ」
「なんだとこのげっ歯類!!」
「きゃっ!」
僕はウサギに勢い良く掴みかか……
「…って、誰だよ?」
「あ、貴方こそ急に何するのよぉ」
僕が襟首を掴んでいるのはウサギでもなく、ましてや梅岡でもなく、綺麗な銀髪が一際目立つゴスロリ洋モノ少女であった。
途端、扉が大きな音をたてて勢い良く開け放たれた。
「どどどハァハァど、どうしたハァハァのジュンくん! どどハァハァどど、泥棒かぁ!?」
騒ぎを聞きつけたのか、それともずっと扉の前でハァハァ言いながら聞き耳を立てていたのか、全裸でビデオカメラを片手に持った姉までもが部屋に乱入してきた。
姉は最初見知らぬ少女を見つけて目を丸めて驚いていたが、やっと自分が全裸なことを思い出したらしく、顔を真っ赤に染めて
「っ!! きゃあああぁぁぁぁ!! ジュンくんのエッチ!!」
なんでだよ。ってかボーリング玉投げてくんな。
「で、お前誰?」
僕は姉を窓から投げ捨て、玄関の鍵を閉め、警察に『痴女がいます』と通報した後、改めて洋モノ少女に尋ねた。
「わ、私ぃ? 私は薔薇乙女の第二ドール、水銀燈よぉ」
「うわぁ、なんか身体に害があるようなネーミングだな。 なんかお前食ったら死にそう」
「し、失礼なミーディアムねぇ。 やっぱり真紅のミーディアムだわぁ」
真紅…?聞き覚えがあるぞ……え〜と…
僕は鼻をほじりながら普段使わない頭をふんだんに使い、記憶をサルベージする。
確か、赤かったような……いやちょっと青かったかな?いや、でも少し黄色も入ってたような…でもそれじゃあ色のバランスが悪いよな……やっぱり茶色が渋くていいな、うん。
あれ?何を思い出してたんだっけ? ってか腹減ったなぁ……また今日も花丸ハンバーグだろうなぁ…
「何をブツブツ言ってるのぉ?」
「え? ってかお前誰?」
「す、水銀燈よ。 物覚えの悪い人間ねぇ…やっぱり真紅のミーディアムだわぁ」
真紅…?聞き覚えがあるぞ……え〜と…
僕は鼻をほじりながら普段使わない頭をふんだんに使い、記憶をサルベージする。
確か、赤かったような……いやちょっと青かったかな?いや、でも少し黄色も入ってたような…でもそれじゃあ色のバランスが悪いよな……やっぱり茶色が渋くていいな、うん。
あれ?何を思い出してたんだっけ? ってか腹減ったなぁ……また今日も花丸ハンバーグだろうなぁ…
「何をブツブツ言ってるのぉ?」
「え? ってかお前誰?」
「す、水銀燈よ。 物覚えの悪い人間ねぇ…やっぱり真紅の(ry
その夜。
姉は留置所から帰ってこなかったので、僕と水銀燈はインスタント食品で空腹を満たすことにした。
こんなご馳走は食べたことはない、とはしゃぐ彼女を見てると何故か目頭が熱くなった。
そんな夜。
「ラプラスの魔! 無事なの!? ねぇ!! 無視!? 無視なの!? ガッデム!!」
その夜。
家の外から聞こえる悲痛な声が止むことは無かった。
そんな夜。
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!番外 「カナリ嫌・死闘編」
私の名は金糸雀。決してキム・シジャンではないのかしら。
薔薇乙女一の策士、その通り名に相応しい頭脳を持った知性派ドール。
そして毎日三食玉子焼きで血糖値が上昇中の不幸せなお人形……
「と、鬱に浸っている場合じゃないかしら!」
双眼鏡越しに見える家、あそこが真紅が住んでいる根城に違いない。
「ようやく三十六回の失敗にしてようやくつきとめたわ…」
思い返せば、みっちゃんがカード破産してからというものの苦労の連続だったかしら。
連日扉を叩きに来る黒サングラスのガラの悪い男達。
外にも出れず、食べるものといえば喉を潤す水か有り余る程の量の卵のみ。
ついには電気も水道も止められ、みっちゃんは『たまごこわい、たまごこわい』とうめきながら絶食八日目で逝ってしまった。
「みっちゃん……貴方のためにも、カナは必ずアリスになってやるのかしら!」
「ちょっと、君」
「かしら?」
振り向くとそこには顔に笑顔を浮かべた警官が一人。
「署まで来てもらおうか」
「で、何で人の家なんか覗いてたんだ? それにさっきから飛びまわってるこのでかいホタルは何だ? あぁ?」
目の前のむさくるしいオッサンが机の上のライトを私の顔に当てた。
光の七割は私のデコによって反射しているけど、あとの三割の光に私は目を細める。
「なぁ、さっさと正直に吐いた方が身の為だぞ? お前も早く楽になりたいだろ?」
「……チッ」
「今舌打ちしただろ、オイ!」
警官に捕まり、この薄暗い密室に閉じ込められてはや一時間。
さっきからオッサンが吐け吐けうるさいけど、みっちゃんがよく言ってたのかしら。
『ポリ公は税金を貪る卑しい犬。 私の経験上、捕まっても黙っとけばOK』って。
ありがとうかしら、みっちゃん。あの時の言葉が今役に立っているわ。
「なぁ…嬢ちゃん。 せめて名前ぐらいは教えてくれないか?」
ふふふ…策士たる者、そうやすやすと教えるわけにはいかないかしら。
名を教える時、その時は自らの死を意味する。昔のお偉いさんもそう言ってた気がする。
「そういやもうすぐ昼だな…。 名前を教えてくれりゃあ何でも好きなもん食わしてやろうと思ってたんだがなぁ…」
「金糸雀なのかしら!」
「おぉ、そうか。 カナリアっていうのか」
……ち、違うのかしら。これは決して食べ物で釣られたワケじゃなくて…これは…その…
…! そ、そうよ、これもカナの策略なのかしら! 長期戦をみこして兵糧が尽きるのを防ぐため…
ってその目は何よピチカート!
「で、何がいい? 何でも出前してやるぞ」
「玉子丼!」
……は、腹が減っては戦はできないかしら。
そんなに呆れかえらないで欲しいわ、ピチカート。これでも五日は何も食べてないから餓死寸前なのかしら。
「よし、頼んでやったぞ。 さぁ、メシが届く前の間、お前が何者なのか詳しくきかせてもらおうか?」
「……国家権力の犬めが」
「何か言ったか?」
「かしら〜?」
玉子丼が届くまでの辛抱。オッサンの脂っこい顔を見るのは勘弁だけど全ては玉子丼のためだ。
「…カナは愛するお父様に作られたかしら」
「ほぉ……それで?」
「お父様は私の他に六体の姉妹も作ったの」
「ろ、ろく…!? お、お前の親父さんも頑張ったな…」
何を驚いてるのかしら、このオッサンは。
というかよく見たらこのオッサン、耳から毛が出てる…
「でも、どの姉妹もアリスにはなれず、お父様は姿を消してしまった…」
「こ、子供を捨ててどっか行きやがったのか!? なんて父親だ…!」
どうやったらあんなところから毛が生えてくるのかしら…
まさしく生命の神秘だわ…
「そして鞄に詰められた私達は、アリスゲームが始まるまで眠りについたの」
「か、鞄っ!?」
いいかげん、いちいちリアクションが大きすぎてうっとしいかしら…
「そ、それで今お前等はどうしてるんだ!? ちゃんと身寄りはいるのか!?」
身寄りって何かしら…? 顔見知りのことかしら?
「ウサギが一匹…」
「ウサギぃ!!?」
このオッサン、なんで呆然としてるのかしら。 それよりもあの耳毛が気になって気になってしょうがないかしら…
「な、なんてった……。 嬢ちゃん、もう安心だ。 後は警察に任せとけ、なっ?」
もう安心?…ま、まさか豚箱行きってことかしら!?
そ、それだけは勘弁なのかしら! 臭い飯食うぐらいなら一年中卵料理の方がマシだわ!
「ピ、ピチカート!」
「なっ!?」
私の声と共にピチカートがオッサン目掛けて螺旋を描きながら急降下する。
その名もスパイラル・バンザイアタック。 我ながらいいネーミングかしら。
ピチカートには語呂が悪いと不評だったが光る球の意見なんか無視だ。
「ぬぉ!」
ピチカートの突撃にバランスを崩したオッサン。
その隙を狙い私は素早く懐に潜り込む。
「もらったかしら!」
手に持った傘の先が、目にも止まらぬ速さでオッサンの五臓六腑に突き刺さる。
「ぐはぁ!!」
まさに神槍。
その名もディープインパクト・グングニル……
やはり光る球には不評だっだけど、とりあえず無視だ。
ゆらりと崩れゆくオッサン。
大きな音を立てて地に伏せたその屍を背に、私は慣れた手つきで傘を広げる。
「安心するのかしら…」
ブシャという鈍い音と共に、赤い雨と一本の耳毛が傘に降りそそぐ。
「急所ははずしたわ…」
たぶん。
前科つきを逃れるため、警察署からの逃走を図る金糸雀が、連行されてくる全裸の海産物に出会うのはまた今度のお話し。
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雀達が朝の挨拶を交わすように鳴いている。
その囀りを耳にし、小さな体が微かに動いた。
目を開けると、真っ暗な鞄の隙間から淡い光が洩れている。
(朝……ですか…)
翠星石はいまだ呆けた頭を覚醒させるために、鞄を全開にした。
突然明るくなる視界、その眩しさに慣れた目がゆっくりと窓に向けられる。
ガラス越しに見える太陽は今日も惜しみなく輝いている。
それを恨みがましそうに睨んだ後、翠星石はのりの部屋から出た。
「おはようです…」
リビングに入るとまず真っ先に、ジュンの姿を探す。
しかし何処にも見当たらず、変わりにキッチンに立っていたのりが料理をしている手を止めてこちらに振り向いた。
「おはよう、翠星石ちゃん」
顔は笑っているが、声に元気がない。
彼女もジュン同様、まだ立ち直れていないのだろう。
翠星石は少し戸惑いつつも訊ねてみた。
「ジュンは何処ですか?」
「ジュン君? たぶん自分のお部屋じゃないかなぁ」
「そう、ですか……」
やっぱりそうか。
翠星石は顔を俯かせたまま、小さな声で「ありがとです」と呟いて、いつもの定位置に座った。
ジュンの隣、ここが自分の居場所。
隣の空席が酷く寂しく感じた。
「朝ごはん、もうちょっと待ってね。 もうすぐ作り終わるから」
そう言って、のりはまた作業に戻る。
テーブルに出された皿は何故か五人分。桜田家にいるのはジュンとのり、そして翠星石の三人だけなのに。
何故?と彼女に聞くと、決まって返ってくる答えは『あの二人が、いつ帰ってきてもいいように』だ。
(帰ってくるわけ…ないです……だって真紅達は…)
出しかけた言葉を、唇をかみ締めて無理やり飲み込んだ。
「…ジュンを起こしてくるです」
「ええ、お願いね」
込み上げてくる何かを抑え、翠星石はキッチンから逃げるようにでた
「ジュン…入るですよ」
固く閉ざされた扉。
翠星石はちゃんとノックをしてから、ノブに手を伸ばす。
重苦しい雰囲気とは裏腹に、扉はノブを軽く捻ると簡単に開いた。
「あ…」
真っ先に目に飛び込んできたのは、パソコンの前でマウスを動かすジュンの姿だった。
彼女の立っている場所からは背中しか見えないが、それでも久しぶりに見るジュンの姿に、思わず笑みがこぼれる。
だが、床に置かれた二つの鞄見つけて、その笑みも自然と消えていった。
「ジュン」
「…なんだよ」
ジュンは背中をこちらに向けたまま答えた。
背中からでは表情を見ることができないが、自分を歓迎していないことはその態度から嫌でも分かる。
「朝ご飯…です。 さっさと降りてこいです」
数秒間、沈黙が続いた。その間、翠星石はずっと床を見つめ続けたまま、ジュンの口が開くのを待った。
「いらない」
翠星石はジュンに目を戻した。
「いらない。 姉ちゃんにもそう言っとけ」
ジュンは繰り返して言う。
「で、でも……少しは食べないと…体に…悪い…ですよ」
「うるさいな……いらないって言ってるだろ」
「わ、私は心配なんです! もし…ジュンが倒れたりなんかしたら…」
恐らく冷静ではいられないだろう。蒼星石がローザミスティカを奪われてしまった時、あれほど取り乱した翠星石である。あの二体に次いでジュンにまで何かあったら自分でもどうなってしまうか分からない。
そんな翠星石の心情を知ってか知らずか、ジュンの返事はひどく素っ気無いものだった。
「だから?」
「えっ……」
「僕が倒れようが死のうがお前には関係ないだろ」
関係ない、その言葉に翠星石はひどく悲しげな表情でジュンを見た。同時に、押し込めていたはずのどす黒い感情が沸々と顔をだした。
気がついたときには全てが遅かった。一人と一体の微妙な距離は、その時、一瞬で崩れ去ることになった。
「……真紅達は、もう動かないですよ」
マウスを動かす手が止まった。
「ローザミスティカのないドールは」
翠星石は淡々とした口調で言葉を紡ぎだしていく。
「話すことも歩くこともできない、ただの…」
「やめろ!!」
ジュンが勢いよく立ち上がり叫んだ。その拍子に椅子が床に倒れたが、ジュンにはどうでもよかった。
「やめろよ…!」
ジュンの剣幕に翠星石は驚きはしなかった。ただ顔を伏せたまま、一言だけ返す。
「ただの……人形です」
ゆっくりと翠星石が視線を上げて、何の感情も篭っていないオッドアイの双眸でジュンを見た。
途端、ジュンの顔が歪む。哀しみと憎悪を含んだ、なんともいえない奇妙な表情。こんなジュンを見たのは、翠星石はこの家に来て初めてであった。
「お前に……!」
翠星石の細い首をジュンがいきなり掴んだ。
「お前なんかに何が分かるっていうんだ!」
両手に力を込めて、首を絞め上げていく。
「なんで……なんでお前が動いてて、真紅がもう動かないんだよ!」
しかし、いくら締めようと翠星石は平然とジュンを見ていた。
ドールに呼吸は必要なく、いくらジュンが首を絞めようと窒息に陥ることはない。だから自分の首を掴んだ手を振り払う必要もないし、苦痛に暴れることもなかった。
だが、心は痛かった。
「嫌いだ…! お前なんか嫌いだ!!」
ジュンの手に力が込められるたびに、翠星石の中で大切な何かが音をたてずに壊れていく。
痛くて痛くて、そして何より昔のような日常には戻ることができないことを、改めて理解することが何よりも虚しかった。
「ジュ…ン…」
翠星石の声は震えていた。自然と溢れ出す涙は、一筋の雫となって頬をつたう。
首を絞めるジュンの手に、彼女の繊細な手が優しく添えられた。
「好き…です……私は…誰よりも…ジュンのことを……」
ジュンの黒い瞳が大きく見開かれ、首を絞めていた手の力が緩まっていく。
そして彼は、その手を翠星石の首からゆっくりと離した。
「僕の…ことを…?」
しばらく呆然と立ち尽くしていたジュンであったが、やがて彼の肩が震え始めた。それが笑いによる震えだということに、翠星石はしばらく気がつかなかった。
「ふふふ…そうか…僕のことをね…」
呼吸に合わせて乾いた笑いを洩らすジュン。
何が可笑しいのか分からず、不思議そうにジュンを見上げている翠星石。
真紅という心の支柱を失ったとき、すでに桜田ジュンは死んでいたのかもしれない。
狂いはじめた一人と、それに翻弄される一体。
昔のような日常が戻ってくることは、恐らく二度とない。
「だったらさ……」
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翠星石は暖かい日差しが差す縁側に腰掛けていた。
庭に投げ出した両足を軽く振り、飽きることなく青い空を見上げている。
時折吹く風に、栗色の長い髪は楽しそうになびく。
「今日もいい天気ですよ、蒼星石」
彼女は小さく呟いて、ゆっくりと視線を下ろした。
そこにあるのは綺麗な赤色が映える薔薇の花壇。あの時、薔薇屋敷から数本持ち帰らせてもらい、翠星石が育てたものだ。
「私は……今、とっても幸せです」
少し照れたように斜め下に顔を向ける。
「真紅がいて、雛苺がいて、のりがいて、そして……」
一旦言葉を切って、彼女はほんのりと顔を赤らめて微笑んだ。
「人を想うって、幸せなことですよ……」
頷くように、風に揺れる薔薇達。
彼の傍にいるだけで胸が高鳴り心地よい感覚が胸を満たす。
彼が他のドールや巴と話しているを見ると、胸が苦しくて自分を抑えられなくなる。
全てが初めて経験する感情。戸惑う暇もなく、それらの感情は日に日に大きくなるばかりである。
そう、彼女は恋をしていた。
「私はジュンのことが……」
そしてそれは、二度と戻らぬ過去の情景――
窓の外では降りしきる雨が全てを流してしまうかのような勢いで、灰色の空から落ちてくる。
テレビの予報通り、今日は一日雨なのだろう。薔薇に水を与える必要もなさそうだ。
自分を覆うジュンの身体越しに見える白い天井を見上げ、翠星石はそう思った。
「んっ…あぁ…」
そんな場違いなことを考えている心中とは裏腹に、彼女の濡れた唇から漏れるのは甘い喘ぎ。そしてそれに合わせてベッドもギジギジと音をたてて軋み、その行為が現実であることを彼女に教えていた。
一人と一体の淫らな関係。
互いに求め合い、貪りあう。
いつからこんな関係になったのだろう。
彼に貫かれるたびに真っ白になっていく、惚けた頭ではとても思い出すことはできなかった。
せめて、いまだけは何も考えずその温もりを自分の中に感じていたかったから。
「ジュ…ン…んぅ…はぅ…」
吐息まじりに愛しき者の名を呼ぶ。彼は行為に夢中なのか、それともあえて無視しているのか、返事は返ってこなかった。
代わりに返ってきたのは背筋が震えるほど、甘美で優しい愛撫。
「ふぁ…あ…ん…」
小ぶりの形の良い少女のような胸にジュンの手がそっと触れる。それだけで翠星石は声を零す。
それに気分をよくしたのか、少し乱暴に指を食いこませる。
「うぁ…あぁ…」
彼女の白い乳房が薄紅色に染まった。
今度は胸を揉み始めたジュンの掌は、固くなった胸の突起を巻き込んでより強い刺激を翠星石に与える。
翠星石は切なげに吐息を零し、身をよじるが、しっかりとジュンに抱きかかえられているために、逃げ出すこともできずにその快感に悶えるしかなかった。
「ひやぁ…うぅ…」
ジュンの手が胸から下腹部へと滑っていく。翠星石の体のラインを楽しみながら、その手が行きついた先は――
「ふぁっ!?」
瞬間、彼女の身体が跳ねる。
ドールには必要のないはずの排泄器官。
人間で言えば肛門にあたる場所に、突然異物が侵入した。
それがジュンの指だということに気づくのに、さほど時間はいらなかった。
「くぁ…お、お尻は…んぁん…ダ…メ…ぇ…!」
ジュンはかまわず指を動かす。
入れたり出したりかき回したり、汚れないその穴をジュンの指がどんどんと犯していく。
そんな指のリズムに合わせ翠星石は踊り、狂ったように鳴く。
「ひゃうぅ…ああぅ…くぅ…!」
そのたびに翠星石の膣は締まりを増す。
前と後を同時に犯され、彼女はこれまでにないぐらいよがる。
「あはぅ…ひゃ…ふぁ…く…!」
理性などもはや残っていない。
何度も繰り返される深く激しいピストン運動。
そして、限界を告げるように翠星石が叫んだ。
「はぁ…んぁ…ジュンっ!」
翠星石は耐えきれないほどの気持ち良さに、微かな恐怖を感じる。
その恐怖に支配されないよう、ジュンの首に回している腕に力を篭める。
「ふぁ、あぁ…あぁぁぁ!」
「くっ…!」
同時に絶頂を迎えた一人と一体。
ジュンが低く呻くと、翠星石の下腹部に全てを吐き出した。
どくっ、という生々しい音をたて、彼女の膣がジュンで満たされていく。
「あぁ、はぁぅ…んっ……」
心地よい虚脱。それはまるで走りつかれたように、指の先を動かすのも緩慢になる疲労感。
幾度となく味わったこの幸福。この時だけは、ジュンは自分のものだと実感できるのだ。
「ジュン…」
彼は自分の上で肩を小さく揺らしていた。顔を伏せているので、表情は見えないが、恐らく自分と同じように行為の余韻に浸っているのだろう。
翠星石はいまだ中で暴れ続ける肉棒に身を震わせながらも、紅く染まった彼の頬にそっと手を添える。
ジュンはそれに気づき、ゆっくりと顔をあげる。
いまだ焦点の合っていない目で見詰め合い、吸い寄せられるように口付けを交わす。
何秒が経過しただろう、やがて一本の唾液の糸を引いて、唇が離された。
互いの吐息を感じれる距離。オッドアイと黒い瞳が交差する。
しばしの静止のあと、ジュンの口がそのまま翠星石の耳元に近づいた。
そして囁くような小声で、言った。
「真紅」
翠星石は振り続ける雨の中、びしょ濡れになりながらも、薔薇の花壇の前で立ち続けていた。
手には雨水で溢れかえっている如雨露。それをしっかりと握り締め、ぐらつきそうな心を支えていた。
こんなとき、蒼星石がいれば何と言ってくれただろう。
私の想いの浅はかさに、呆れかえるだろうか。
私に哀れみを感じ、同情してくれるだろうか。
どちらにしても、自分の心の支えとなっていた彼女は、今ここにはいない。
そして、彼。ジュンの心の支えになっていた彼女もいない。
きっと、お互い心の隙間を埋めるため、傷を舐めあっているのだろう。
ジュンは自分に真紅の姿を重ね、私は蒼星石を失った悲しみとジュンへの愛ゆえに、彼との情事を重ねる。
空回りの想い。
きっとその想いが触れ合うことはない。
自分自身の愚かさと惨めさに嫌気がさしながらも、ただ一人の双子の片割れにたどたどしく語りかける。
「馬鹿ですね。 私は……」
雨は降りつづけている。
彼女の前髪から流れ落ちる雨の水滴。
それに紛れて、温かい何かが彼女の目から零れ落ちた。
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私の名前は翠星石。
夜な夜なジジィの夢の中に侵入しては、奴の心の木を腐らせようと如雨露で水を与えるのが趣味のクオリティの高い人形。
原因が分からず衰弱していくジジィ。それを見ながらほそく笑む私。
ですが、最近その趣味が蒼星石にバレてしまい、あの薔薇屋敷を追い出されることになったです……
ったく、蒼星石は男のくせにジジィにチクるなんて女々しい野郎です。
翠星石は唯一の趣味を奪われて悲しくなって悲しくなって、庭の薔薇を全て蔦でなぎ払ってからあの家を飛び出してきたです。
「にしても…これからどうすればいいですか…」
住む場所もなければ行くあてもない。
ただこうやって鞄に乗って空を飛びながら下の愚民どもを驚かすことしかできない自分の歯痒さに苛立ち、さらに蒼星石への憎悪が増したです……!
「絶対ゆるさんですよ、蒼星石!」
こうなったら復讐です!
必ず蒼星石のローザミスティカを奪ってやるです!
姉にたてついた罪は重いですよ!
ですが、私と蒼星石ではマスターのジジィがいる蒼星石の方が有利。
だからといって引き下がる私じゃないです。
ちょうどここら近辺から真紅の反応を感じる。うまく真紅を丸め込んで私の仲間につけることができれば、蒼星石なんて余裕でぶっ倒せるはず。
真紅は一見グチグチうるさいババァですが、案外情に脆いところもあるのでちょっと涙でも見せたら楽勝ですぅ。
蒼星石、首を洗って待ってやがれです!姉にたてついた罪は重いですよ!
やぁ皆!先生の名前は梅岡だよ!
今日は引き篭もりの桜田にクラス皆からの寄せ書きを渡そうと、桜田の家に向かってるんだ!
寄せ書きには『この外道!最低!』やら『鬼畜!二度と学校に来るな!』やら書いてあるが、先生目が悪いから見えないよ。悪いな、桜田。
先生な、どうしても桜田に学校に来てもらいんだ。だから皆にも桜田のことをよく理解してもらえるように、桜田の趣味が女装だということを教えてやったぞ!
なぁに、心配するな。ちゃんと校内放送で言ったから全校生徒にしっかりと伝わってるから安心しろ!これでまた一段と皆が桜田のことをわかってくれたぞ。よかったな、桜田!
それにしても桜田が何で引き篭もってしまったのか、先生今でも不思議なんだ。
ああ、そうそう。クラス委員長の柏葉も学校に来なくなったぞ!同じ引き篭もり仲
間が増えたな、桜田!
でもな、先生のクラスに二人も引き篭もりはマズイって校長に叱られて柏葉の家に様子を見に行くことになったんだ。
先生残念だよ。せっかく友達がいない桜田に友達ができたのにな……
とりあえず先生、柏葉の家に行ってみたんだ。チャイム押しても誰もいないから、先生鍵壊して勝手にあがらせてもらったんだ。
こう見えて、先生そういうこと得意なんだぞ!
それにしても柏葉の家は広かったぞ〜、先生びっくりしたなホント。
しかしお金を箪笥の中にいれてるのは先生いただけなかったな。泥棒がきたらどうするんだ!ってな。
だから先生、そのお金預からせてもらったんだ。先生のポケットの中は安全だから、泥棒も手をだせないさ、ハハハハハ。
まぁ、肝心の柏葉は何処にもいなかったよ。柏葉の部屋にも行ってみたけど、ネジが入っている古臭い鞄があっただけで柏葉の姿は見当たらなかったんだ。
それにしても柏葉は引き篭もるのがうまいなぁ。先生に気配ひとつ感じさせず引き篭もれるなんて……桜田も柏葉を見習ったほうがいいぞ?引き篭もるなら、とことんまで引き篭もらないとな。
おっ、独り言を言っていたらいつのまにか桜田の家に着いてしまった。
「お〜い桜田、先生だぞ〜!」
返事がないなぁ、先生悲しいなぁ……
「ハハハハ、桜田〜! 居留守使っても無駄だぞ〜! 先生勝手に家の中に入るから……ん?」
先生、何か変な風切り音がしたらから、後ろを振り返ってみたんだ。
そしたら何と、鞄が先生向かって飛んできてるんだ!
すごいぞ、桜田!今や鞄も空を飛ぶ時代だ!
桜田が引き篭もってる間に、日に日に技術は進歩し―――
ゴキリと、太い枝が折れたかのような鈍い音が辺りに響いた。
教師梅岡。桜田家玄関前にて没する。
「ふゆ……痛いです…」
二階の窓ガラスに突っ込もうとしたら、思ったより高度がさがっちまったですぅ。
何か変なのにぶつかった気がしますが、とりあえず家の中に入れたから結果オーライです。
「さぁて…真紅はどこですか…?」
辺りを見渡してみるが、真紅の姿は見当たらないです。それにしても貧しそうな小さな家です。まぁ、真紅にはお似合いですけど…
「真紅〜! どこですかぁ〜?」
大声で呼びかけてみても、返事はないです。
さすがに寛大な私でも、むかついてきたです
「いいかげんにしやがれですぅ! 真紅のババァ! どこにいやがるですかっ!」
私は真紅を探し出してやろうと前一歩足を踏み出した。
カチッ。
途端、嫌な音が響いたです。
足元を見るとそこにはポッカリと口を開けた底の見えない大穴。
「……え?」
「ねぇ、人間。 今変な音しなかったぁ?」
「どうせ梅岡だろ」
僕は裸エプロンで台所に立って今朝の食事を料理中。
まぁ、コーンフレークだが。
穴の底から復讐に燃えたオッドアイの少女が這い上がってくるのはまた次のお話。
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私の名前は柏葉巴。
クラス委員長の特権を使い、クラスメイト達の仲を険悪にするために日々暗躍している。
だって普通の学校生活じゃつまらなくないですか?
私の仕業だとは知らずに、クラスの馬鹿達は互いに憎しみあい、妬みあう。仲のいいはずの友人さえも信じることが出来ず、まさにピリピリとした空気が張りつめる教室。
唯一、事実上の学級崩壊を知らないのはいつもヘラヘラと間抜けな笑みを浮かべている能無しの担任ぐらい。
あぁ、素晴らしいわ…もっと私を楽しませて…
でも皆が悪いのよ?やりたくもないクラス委員長なんかに推薦するから…
…そういえば桜田くんは最近学校に来ていない。
彼は随分と私を楽しませてくれた。
特に水泳の授業の時、更衣室に脱ぎ捨てられた彼の衣類を全て盗んだ時のことは私の中に鮮明に刻まれている。彼が気にせず水泳パンツ一枚で平然と放課後まで過ごしていたのは予想外で驚かされた。
そう、確かあの時から私は桜田くんに恋をしていたのだと思う。
日々学校内で繰り広げられる彼の男気溢れる行動に、私は彼に惹かれ続ける。
それに誰もが忘れかけていると思うけど、彼と私は一応幼馴染。立派にフラグは立っている。
だけど恋する女というものは嫉妬深い。
ごめんなさいね、桜田くん。
桑田さんを息荒々しくいやらしい視線で見ていたことを担任に言ったのは私よ。
でも悪いのはあの空気を読まない担任よ。まさか私も集会の時に、全校生徒の前でそのことを言うとは思わなかったの。
桜田くんが学校に来なくなり、私は気力を失った。桜田くんを観察するために学校に来ていたみたいなものだったから。
自業自得とはいえ、取り返しのつかない事をしてしまったのだ。
そんな憂鬱な日々を過ごしていたある日、私にあの電話がかかってきた。
あの日、私は終礼が終わると真っ直ぐ家に帰り、いつも通りクラスの仲を険悪にするための計画を練っていた。
今回のターゲットはクラスの中でも特に知能値数が低そうな不良二人組み。すでに二人ができているという噂は学校中に流した。
あとは校内掲示板に二人が熱い抱擁と口付けを交わしている合成写真を貼れば、噂の信憑性が極めて高くなるだろう。
近いうちに、私のクラスでは一組のラブラブなカップルができあがっているに違いない。
そんな情景を頭に思い浮かべている時、突然電話のベルが鳴り響いた。
仕事の邪魔をされた私は、舌打ちをしつつ、仕方がなく受話器を取った。
「はい、もしもし」
『柏葉さんですね?』
「違います」
私は受話器を置いた。
どうやら間違い電話だったようだ。
すると、再び電話が鳴り始めた。
「はい、もしもし?」
『柏葉さんですよね!?』
「違います」
『またそんなご冗談を……私は知ってますよ、柏葉巴さん』
「……え…」
知っている…?何を…? 私がクラスを崩壊させようと暗躍していることを? 私がクラスメイトの金品を全て盗んで担任の机の中にいれたことを? 私が校長室でボヤを起こした犯人だということを? 私が世間を騒がしている覆面竹刀通り魔犯だということを?
どのみち私の秘密を知っている以上、一刻も早くこの電話の主を消さなければ……
『あの〜……?』
「…消さないと……」
『え?』
「あっ、はい。 なんですか?」
『一つ質問に答えてもらいたいですが…』
「質問…?」
『――まきますか? まきませんか?』
「ねぇ、トモエ! 遊んで!」
「……今忙しいの」
「ひどいわ! ひどいわ! 雛苺は遊んで欲しいのにっ!」
「……チッ」
ピンクのアレが箱ずめにされて家に来て以来、私の生活はことごどく無茶苦茶にされた。おかげで成績は下がるし、毎日睡眠不足で疲労が抜けない。しまいには、クラス崩壊計画も遅滞してしまっている。
ピンクのアレは非常に自己中心的で、思い通りにならないとすぐに駄々をこねる。この上ない我侭さだ。
蓄積されていく苛立ちも、最近では純粋な殺意へと変わっている。彼女が泣き喚くと無意識に木刀に手が伸びている自分が怖い。
私は目の前で愚図をこねているピンクの物体に頭を抱えつつ、冷静に語り掛けた。
「ねぇ、雛苺…? 私は今忙しいの。 一人でも遊べるよね?」
「Nom!! いやぁ!! 一緒に遊んでくれなきゃいやぁっ!」
「だ、だけどね雛苺…」
「いやなぁのぉぉ!! 遊んで! 遊んで!」
………ふふ……ふふふふ…私は耐えたわ、充分耐えたわ。
彼女のために苺大福も毎日買ってあげたし、最低限の我侭も聞いてあげた。
だから、今度は私の我侭を聞いてもらうわね、雛苺・…
「久々にブチ切れちまったわ……nのフィールドに来なさい雛苺…」
「nのフィールドで遊んでくれるの、トモエ!?」
「ええ……たっぷりと…嫌になるぐらいね……ふふ…ふふふ…」
「嬉しい! ありがとうなの、トモエ!」
「いいのよ、貴方のためだもの…」
そして私のためよ、雛苺。
私は口元を歪ませ、右手に握った木刀を強く握り締めた。
それからはまさに『快感』の一言。
雛苺は苺轍で懸命に抵抗したが、私の前ではそんなものは児戯に等しいものだった。
そして今、私の足元に転がるのは雛苺だったモノ。
「ごめんなさいね、雛苺。 二人で遊んでいるのに私ばっかり楽しんじゃって…」
もちろん、雛苺だったモノからは返答はない。
代わりに、彼女の口から出てきたものは奇妙な光を放つ球体だった。
「これは…?」
私は数秒、その眩い光に魅入られていた。
そしてハッと我に返る。頭の中で、誰かが……いや、ウサギが私に告げる。『それを体内に取りこまれては?』と。もちろん私はそれを拒否する。何が好きで雛苺から飛び出した光、恐らく彼女の排泄物であろうものを食さなければならないのだ。
だが、ウサギは再度強く私に言った
『トリヴィアル! まったくもってトリヴィアル! びっくりするほどトリヴィアル!』
頭の中でウサギが喚きながら飛びまわる。正直いって、すごくうっとしい。
これ以上、私の中に居つかれては困るので、私は仕方がなく光る球体に手を伸ばした。
このあと
柏 葉 巴 、 ア リ ス ゲ ー ム 参 戦 ! !
したのは、また次のお話。
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僕の名前は桜田ジュン。年端もいかぬゴスロリ少女と同棲してる変態マエストロだ。
突然だがあの激動の日から、すでに三日がたっている。
その三日の間で、僕の生活は大きく変化した。
まず、僕の部屋だ。三日前の赤い何かとゴスロリ少女の襲来により、半壊。おかげで三度の飯より好きなパソコンが使うことが出来ない。
もちろん未練など三秒で吹っ切り、勢い良く窓からスローイング。投げた後にハードディスクのエロ画像コレクションの存在を思いだし、絶叫。窓の下からも悲鳴が聞こえてきたが、今の僕にはそれよりエロ画像だ畜生ッ!
そして廊下はさらに酷い。梅岡対策に仕掛けといた罠が何故か発動し、大穴が開いて通れない。
それに穴の底からはデスデスと繰り返し聞こえてくる。死の呪文だろうか?
とりあえず折角開いた穴なのでゴミ捨て場として有効利用することにした。
「ねぇ、人間。 何してるのぉ?」
「朝飯の残り物を捨ててるんだ」
「で、でもぉ……朝食にココナッツとか牛乳をかけた雑巾とかでたかしらぁ……?」
「細かいことは気にするなよ、神経毒物」
僕はバケツ一杯の生ゴミを一つづつ丁寧に落としていく。その度に穴の底からは
「痛ッ! い、いい加減止めやが、うぇ!? ちょ……クサッ! ぎ、牛乳雑巾ですぅ!」
と、甲高い叫びが響いてくる。
きっと妖精さんに違いない。僕が環境に優しいことしているから喜んでいるのだろう。
ゴミを全て捨て終り、僕は労働でかいた心地よい汗をぬぐいつつ、郵便受けにささった朝刊を手にとった。
「へぇ〜警察署から公然ワイセツ罪の女と殺人罪の少女が逃走、か……」
まったく物騒な世の中になったものだ。それにしても、この公然ワイセツ罪の女の顔、何処かで見たことがあるが恐らく気のせいだろう。人前で裸になるハレンチな奴など僕の知り合いにはいない。
そういえば、数日前から姉は帰ってこないが一体何処に行ってしまったのだろう。別にどうでもいいが。
「ねぇねぇ、人間。 もうすぐ名探偵くんくんが始まるわぁ」
「何っ!? いつのまにやらそんな時間か!」
僕は読み終わった新聞と牛乳雑巾を穴の中にスリーポイントシュートで華麗に放りこむと、急いでメチル水銀と一緒にリビングへと向かった。
「よし! 間に合った!」
僕はソファーに座り、おもむろにテレビの電源を入れた。
僕の隣にはメチル水銀。充血したのか、真っ赤な彼女の瞳はテレビに向けられている。今度目医者に連れていってやろうと思う。
そんなこんなで名探偵くんくんが始まった。
名探偵くんくんとは、僕が最近はまっている人形劇。探偵であるくんくんが、行く先々で死という不幸を撒き散らし、適当な推理で罪なき者を冤罪で死刑台送りにするハートフルコメディだ。
「うわぁ、今日は一段とグロイなぁ」
相変わらずグロテスクなオープニング。可愛らしい動物の人形達が悲惨な死を遂げる映像が明るい音楽に合わせて流れる。正直、製作者の顔が見てみたいものだ。
長ったらしいオープニングもようやく終了し、いざ本編に入ろうとした瞬間。突然、テレビの画面が真っ暗になってしまった。
「なっ!? おい、メチル水銀! テメェ!」
「わ、私は何もしてないわよぉ」
「じゃあ、何で消えたんだよ! くそッ! 隣の家から勝手に電線を引っ張ってたのがバレたか!?」
「故障じゃないのぉ?」
故障?そうかもしれないな…
とりあえず僕は真っ暗な画面を移し続けるテレビに近寄った。
途端、画面に波紋が起きた。
「なんだ?」
僕が疑問の声を零すのと同時に、テレビの画面から手が突き出てきた。
「なっ!?」
メチル水銀が驚いた声をあげる。
「ああ。 やっぱり故障か」
僕は納得した。故障でもしないかぎりテレビから手はでてこないだろう。
僕がうんうんと頷いてる間に、いつのまにかテレビの前には木刀を持った見覚えのある少女が立っていた。
「なんだ、柏葉か。 玄関から入ってこいよ」
「ごめんなさい、桜田くん。 こっちの方が手っ取り早かったから」
「ハハハハハ、柏葉らしいや」
「そうね……悪いけど桜田くん。 お互い話すことは山ほどあるけど、それは置いといて――」
柏葉は僕の肩越しに後方に目をやった。
僕も柏葉の視線につられ、後を振りかえると、そこには険しい顔をしたメチル水銀が羽を大きく広げていた。
「貴方が第二ドール、水銀燈ね?」
「だったらなぁに?」
柏葉は一歩前に出ると、手に持った木刀を構えた。
「私達の薔薇乙女の間に、言葉はいらないでしょう? 私達は闘う事でしか語れないのだから」
木刀を横に軽く振ると、柏葉はその剣先をメチル水銀に向けた。
「ふふふ……」
そしてメチル水銀は口元を楽しそうに歪ませながら、羽をはためかせ飛翔した。
「とってもとっても、お馬鹿さぁん……後悔する時間すら与えるのが惜しいわぁ…」
うわぁ、何このシリアスな空気。
僕は息苦しくてこの重苦しい空気に耐えることができない。いっそのこと全裸になりたいぐらいだ。
数秒間、二人の睨み合いが続く。
僕はその間にキッチンからポップコーンを持ってきて、最前列のソファーでワクワクしながら、この女の戦いを今か今かと待っている。
柏葉の手と、メチル水銀の羽が微かに動いた。次の瞬間――
――けたたましい音とともに窓ガラスが砕け散った。
対峙していた二人も音の方を向く。
そして室内に吹き荒れる薔薇の花びら。
花瓶やら小物などを全て切り刻み、満足したのか、やがて薔薇の花びらが雪のように床に落ちると消えた。
「クク…ククククッ……やっとこの時が来たのだわ…」
不気味な呟きとともに、僕の視界に赤い何かが現われる。
赤い何かはまるで無人島で何週間も過ごしたかのようにボロボロだった。
「54時間6分ぶりね……ラプラスの魔……!」
「お、お前は…!」
誰だっけ、この赤いの…?
見たことがあるような、ないような……まぁ、どうでもいいや…
「ぬぉっ!?」
僕の服が突如現われた無数の花びらに切り刻まれる。
「人間っ!」
メチル水銀の声が聞こえたが、今はそれどころではない。
花びらは無常にも僕の衣服を全て切り刻んだ。無論、自慢のブリーフもだ。
「に、人間っ!」
メチル水銀の悲鳴が聞こえたが、今はそれどころではない。
にしても裸というものも悪くない。姉の気持ちがわかった気がするでもない。
「無様ね、ラプラスの魔! 今度はそのひ弱な体をバラバラにしてやるのだわ!」
「くっ……!」
僕は全裸でソファーに座り、ポップコーンを食いながら苦悶の表情を浮かべる。
容赦ない花びらの奔流が僕の視界を覆った。
「うわああぁぁぁぁ…ダルッ…」
僕が死を覚悟したその時だった。
「待つのかしら!!」
凄まじい轟音が鳴り響いたと思うと、今度はリビングの壁に大穴が開いた。
瓦礫があちこちに飛散し、その衝撃で花びらもヒラヒラと床に落ちてしまった。
その煙の中から威風堂々と出てきた二人組み。
「36回の失敗にして、ようやくのりの家に到着! 薔薇乙女一の策士、金糸雀。華麗に参上かしら!」
「ジュンく〜ん! ただいま〜!」
黄色い少女と、全裸の実の姉。
この現状を理解しているのか理解していないのか、黄色いのは日傘を広げて誇らしげに胸を張っている。そして姉は僕が服を着てないことに気づいたのか息が荒々しい。
「よくも邪魔をしてくれたわね、キム・シジャン!」
赤いのがさらに赤くなってブチキレた。
しかしキムと呼ばれた黄色いのは平然とした様子で
「カナはのりと契約したのよね! だからのりの弟を虐めるのは許さないのかしら! のりが安心してジュンと『きんしんそーかん』するために、邪魔者はカナがとっちめるのかしら!」
と返す。
さて、夜になる前にこの家を出ていった方が良さそうだ。
僕は震える手でポップコーンを口に運びながら、貞操の危機を感じつつ、そう思った。
「あらぁ、じゃあ味方ってわけぇ?」
メチル水銀がクスクス笑いながら言う。
「うっ……水銀燈……そ、そういうことになるかしら!」
「足引っ張らないでねぇ、お間抜けさぁん」
「カ、カナは間抜けなんかじゃないのかしら!」
「さぁ、カナちゃん! ジュンくんを虐める悪い子をやっつけて!」
「あいあいさー!」
そして、金糸雀が真紅に飛びかかろうとした瞬間。
前触れもなく、床が縦に大きくゆれ始めた。
「地震……?」
柏葉が呟く。いたのか、柏葉。
「じ、地震かしらー!」
キムは床に伏せて身を縮める。
姉が「きゃぁ〜ジュンくん助けて〜!」と駆け寄ってきたのを蹴飛ばして防ぎつつ、僕は足元に目をやった。
ぼこり、という音ともに床が隆起する。
床板は弾け飛び、中から勢い良く長く太い何かが飛び出してきた。
それは太さが柱ぐらいはありそうな蔦だった。
「あ、あんなの入らないわ、お姉ちゃん…」
誰かいい加減この痴女を始末してくれないだろうか?
僕がそんな届かぬ思いをはせつつ、溜息をついていると、突然ゴミ箱(廊下の穴)から異臭とともに何かが這い出てきた。
「や、やっと…やっと出れたです…! あぁ、太陽の光がこんなにも眩しいなんて…」
穴から這い出てきたのは、汚れで黄ばんだ緑に身を包んだ、頭に雑巾を被った変な少女だった。
「うわぁ、クセェこいつ」
「ほんとぉ、とってもくさぁい」
「臭うわ……」
「汚らわしいなのだわ」
「エンガチョかしら〜」
「皆! いくら臭くて汚らしくても、本当の事は胸に閉まっておくべきよ! じゃないと、お姉ちゃん怒っちゃうぞ!」
率直な感想が室内を飛び交う。その度に、こちらに背を向けている緑の少女の肩がプルプルと震える。
そして彼女の中で何かがハジけたのか、緑の少女は悲鳴に近い叫びをあげながら手を振りかざした。
「だ、黙りやがれです!! 私だって、私だって好き好んでこんな格好をしてんじゃねぇですぅ!! こ、こうなったらヤケです! スィドリームで全てをなぎ払ってやるです!」
床から生えた蔦が生きているかのようにウネウネ動き出した。
人はこれを運命だというのだろうか?桜田家に引き寄せられるように集結した乙女達。
七人は睨み合ったまま動かない。しばしの静寂がこの空間を包み込む。もはやこの静寂の中では、スズメの鳴き声や駆けつけてきたパトカーの音など耳に入らない。
そして水銀燈の一言が、この不気味な静寂を破った。
「あらぁ…なぁに、これ? パーティーの始まりぃ?」
「いいえ、水銀燈」
ボロボロの服を纏った赤い少女が答える。
「始まるのはゲームよ」
「運命の糸車が…廻る―――……」
いつのまにやら僕の隣に座っていた白い電波少女が、僕のポップコーンを勝手に食べながら呟いた。
(いや、誰だコイツ……?)
----
僕の名前は桜田ジュン。
七人の女性の想いを一心に惹かせてしまった罪深き男。
あぁ、皆! 僕のために争わないでくれ!
「うるさいのだわッ!」
「くたばりやがれですぅ!」
「貴方はひっこんでなさぁい」
薔薇の花びらと黒い羽根が僕の全身に隙間なく突き刺さり、とどめと言わんばかりに巨大な蔦が僕の体に巻きつき、何度も天井と床に叩き付ける。
「エクスタシぃぃぃ!!」
ごめんなさい、お父さんお母さん。どうやら僕は筋金入りのMみたいです。
僕が床に伏っしてる間にも、乙女達の戦いは続いている。
飛び交う怒号、飛び散る鮮血。もはや見境なしのバトルロワイヤルだ。
何故人は争うのだろう……? 何故人は分かり合えないのだろう……?
僕が人の愚かさに嘆き悲しんでいると、白い少女が僕を見下ろしていることに気づいた。
「廻る、廻る……」
うるせぇよ、電波。いいかげんポップコーン返せ。
「あなたは……だぁれ…?」
桜田ジュンだ、この野郎。ポップコーン返せ。
「わたしは……だぁれ…?」
「知るか馬鹿!」
あまりの電波っぷりに思わず声にだしてしまった。
途端、僕の視界を白いハイヒールの靴底が塞いだ。
「あぁ! 踏まないで! ちょ……あ……やっぱもっと踏んで!」
「わたしは……だぁれ…?」
「はひぃ! あ、貴女は女王様ですぅ! あぁぁ!」
白い少女はその白い頬を微かに赤らめながら、僕を踏み続ける。
こうして僕と白い少女の間に、奇妙な主従関係ができあがった。
そうか!これがアリスゲームなのか!僕は新たに目覚めた快感に打ち震えながら、そう思った。
私の名は真紅。誇り高きローゼンメイデンの第五ドールだった。
三日前のあの日から、歯車が狂ったように全てがおかしくなってしまった。
そう、悪の根源は奴……ラプラスの魔。偶然にもあの憎たらしい兎と同じ名の人間。
彼の行動はこの私でも先読みができない。まさかいきなり窓から投げ捨てられるなど誰が予想できるだろうか。
地に落ちた私のそれからの日々は、まさに地獄に堕ちたのと同等の日々だった。
食料を得るために近所の野良犬どもと争ったり、縄張りを張ったり。
惨めな話だが、猫なんかにゼンマイを巻いてもらったときもあった。その時ほど、ラプラスの魔を恨んだことはなかった。
この三日間、私は自分を地獄に突き落としたあの少年に復讐するために鍛錬を繰り返した。
そしてやっと巡ってきた復讐の時。なのに――!
「邪魔をしないで頂戴!!」
私は幾百もの花びらを乱舞させる。だが、そのどれもが目の前の人間の少女を引き裂くことなく床に落ちて消えていく。
少女の持った木の棒。何の変哲もないそれが、目にも留まらぬ速さで花びらを叩き落している。それは私が信じたくない事実だった。
「やめなさい。 貴女じゃ私を倒せないわ。 復讐に囚われ、自分を見失った貴女ではね」
「うるさい、うるさい、うるさいのだわ!」
私はお父様に作られた、ローゼンメイデンシリーズの一体。ドールにおいての最高傑作。
そんな私が、たかが人間の子供に負けるわけにはいかない。負けてはならないのだ。
「哀れな第五ドール。 貴女じゃ役不足よ」
「アンタは一体なんなのだわぁぁ!?」
私の中で種が割れる。
周りの光景が遅く流れ、体がいつもより感じた。今の私はまさに通常の三倍。
「私達、薔薇乙女の体は……!」
私は床を蹴ると、一気に駆け出した。と同時に、いくつもの花びらを少女に向け飛ばす。
「ひとつひとつが生命の糸で繋がっている……!」
もちろん防がれるは分かっている。予想通り、彼女は木の棒を振り回して、花びらを全て叩き落した。
そしてそれが、彼女に一瞬の隙を作った。
花びらを防いだことに油断した彼女はあまりにも無防備。私は体勢を低くすると、両足に力を込めた。
「誰かはそれを……!」
宙に飛んだ私を、目を丸くした少女が見つめている。
――もらった!私は拳を握り締め、渾身の力を一直線に少女めがけて突き出した。
「絆とも呼ぶのよッ!」
私の拳は少女の頬を確実に捉えていた。
勝ったのだ。私は勝ったのだ。
だが私の眼前には、平然と立っている少女。
そして動かない私の体。
「なっ……!?」
私は自分の目を疑った。いつのまにか、私の全身に巻きついた苺わだち。
それが私の体を強く締め付け、自由を奪っていたのだ。
「こ、これは雛苺の……!?」
まさか雛苺はすでに彼女に……!?
「そう。 彼女はすでにこの世にはいないわ」
宙で固定された私に、冷たい瞳が突き刺さる。
しばしの間、沈黙が続く。
私が負ける?誇り高き薔薇乙女の私が?
ありえないのだわ…!私が負けるなんて…!
少女は木の棒を大きく振りかざした。
「さようなら、第五ドール」
躊躇なく、木の棒が振り下ろされた。
私はローザミスティカを失い、只の人形に戻る恐怖から、瞼をきつく閉じた。
「いつまで目を閉じてるのかしらぁ?」
聞き覚えのある声が辺りに響いた。
私が静かに瞼を開けると、黒い羽根が視界いっぱいに舞っていた。
その幻想的な美しい光景は、しばしの間、私の目を奪った。
羽根の向こうに二対の翼がはためくと、私と少女の間を遮るように大きく広げられる。
「水銀燈……?」
「ホント無様ねぇ、真紅」
彼女は背中を向けたまま、いつもの人を小馬鹿にした笑みを浮かべた横顔を傾けた。
「いいこと、真紅?」
水銀燈の肩越しに見える、人間の少女。顔しかめながらも、彼女はしっかりと木の棒を構え臨戦態勢とっていた。
「私達はまだまだ強くなるわぁ……貴女も、私もね……」
水銀燈も対抗するように飛翔する。
「だから、あんな奴にやられるなんて私が許さなぁい……別に貴女を助けるわけじゃないから、誤解しないでよぉ」
彼女が何を言いたいのか、私には分かっていた。
彼女は私を嫌っていた。私も彼女を忌み嫌っていた。だけど、それに不思議と憎しみや怒りはわいてこなかったのだ。きっと、心の奥底では絆で結ばれていたのだろう。
「水銀燈……」
後に続く言葉がない。その代わりに、笑みがこぼれた。苦笑や嘲笑ではなく、自然の笑みだ。
だが昔から、彼女と私は素直ではないのだ。
「大きなお世話なのだわ、水銀燈…」
水銀燈の肩が小刻みに揺れる。恐らく笑っているのだろう。
「お馬鹿さぁん……」
彼女が小さく呟くと、無数の黒い羽根が一斉に人間の少女めがけて散った。
「あふぅ!! もっと踏んでくれ!」
「わたしは……だぁれ…?」
「女王様ですぅ! ぬふぁ!! ああぁ!?」
二人のアリスゲーム(?)もまだ続いていた。
酸っぱい臭いを放つ緑の少女と、卵大好き高血糖値の少女が闘うのはまた次のお話。
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僕の名前は蒼星石。
大事なマスターと一緒にお茶をするのが趣味のドール。
昔は双子の翠星石もいたけれど、少しイタズラが過ぎたのでこの家から追い出してしまった。
今思えば、少し悪いことをしてしまったと思う。彼女だって悪意があってそんなことをしたのではいないのだから。
そういえば彼女が出て行った日から、庭が荒地になっていたけど僕の思い違いだろうか?
「マスター、お茶をいれたよ」
「ああ、ありがとう。 蒼星石」
マスターは優しく笑ってカップを受け取ってくれた。
僕もカップを持って椅子に腰掛ける。
「今日はいい天気だ……後で一緒に庭にでも出ようか」
「はい、マスター……」
僕はそっとカップに口をつけ、頷く。
上目づかいでマスターの表情を覗くと、彼は穏やかな笑みを浮かべたまま、僕と同じように紅茶を飲んでいた。
「今日も、平和な一日になるだろうな」
「今日も、平和な一日になるよ。 きっと――」
「ジャンクにしてやるでぇぇぇすぅぅ!!」
「前歯全部折ってやるのかしらぁぁぁ!!」
臭い緑の子が蔦を伸ばし、それをカナちゃんが畳んだ日傘で受け止める。
一見すればカナちゃんが押されてるように見えるけど、カナちゃんにも飛び道具のピチカートがあるわ!
臭い緑の子もそれを分かっているのか、全力で攻められないみたい。
きゃあ〜♪頑張れカナちゃん!そんなジャンクぶっ殺……ゴホン…倒しちゃえ!
あっ、私の名前は桜田のり。ジュンくんのお姉ちゃんでカナちゃんのミーディアムよ。
ジュンくんとはこれから兄弟から恋人同士になるけどね。愛の前では法律なんて関係ないのよ!まさに禁じられた遊び!
うふふ……でもジュンくんツンデレだから中々素直になってくれないけど、そこがジュンくんの可愛いところでもあるの。きっと黒い女の子とかボロい赤いのとか臭い緑のとかがいるからジュンくんは安心して私に甘えられないのだ。
ジュンくんと愛を語り合えないのが悔しかった。私はこのカナちゃんで、邪魔する人達を薙ぎ払う!
「冥土に逝きやがれですうぅぅぁああ!!」
床から三本の蔦が突き出てきたかと思うと、それはカナちゃんめがけて伸びてきた。それはあまりに速くて、お姉ちゃんでもメガネをかけていなければ見えないくらいの高速で突き進む。
マズイわ!カナちゃんの危機よ!
「カナちゃん!」
「うぇ? 呼んだかし……」
私に呼ばれたカナちゃんはこちらに頭を傾けた。
そしてカナちゃんは、勢いよく三本の蔦に体を貫かれた。
「カ、カナちゃぁぁああぁぁあん!?」
私の悲鳴に混じり、高笑いが辺りに響き渡る。
「やってやったですぅ! 所詮はトロい金糸雀! 私の相手じゃなかったですぅ!」
「あぁ! そんな! 嘘だといってよ、カナちゃん!」
カナちゃんは上半身を蔦に貫かれたまま、腕をダラリと下げたまま身動き一つしない。
私は自分の声が震えていることを抑える事ができなかった。だって可愛いカナちゃんが死んでしまったのだもの!このままではジュンくんと私の愛の巣計画も失敗に終わってしまう!そんなわけにはいかないのよ!
「カナちゃん、お願い! 目を開けてぇぇ!!」
私の目から流れでた涙は、頬を伝い、雫となって私の手の指輪に落ちた。
カナちゃんと契約するときに貰ったこの指輪、カナちゃんはこの指輪から私のエネルギーを吸収しているらしい。そうよ!私が大量のエネルギーを送り込めばカナちゃんも復活するかもしれない!
そうと分かれば即実行!カナちゃんカムバック!
「次は金糸雀のマスター! テメェの番ですよ!」
数え切れない蔦が臭い緑の後ろに蠢く。
私は急いで胸の前で手を組み、指輪に力を送り込むのをイメージする。
「仲良くnのフィールドに送ってやるですぅ!」
私は自分めがけて飛んでくる蔦を捉えていた。
「助けて、カナちゃん!!」
すると、指輪が眩しい輝きを放ち始めたの!お姉ちゃんびっくり!
「なっ!?」
臭い緑の驚愕した声が聞こえる。
私は目が眩んでよく状況が飲み込めない。なんだか体がいつもよりダルく感じる。というか倒れちゃいそう……
「――策士たるもの」
真っ白な私の視界に、うっすらと小さな影が見え始めた。
「慌てず騒がず慎重に……」
視力が戻ってきた。私は何度か瞬きをして辺りを見渡す。
そこにはバラバラに刻まれた蔦がいくつも横たわっている。
そして私の目の前には私が待ち望んだ少女が立っていた。
「乙女番長、金糸雀。 ただいま華麗に復活!」
「カナちゃん!」
「待たせて悪かったのかしら、のり。 主役は遅れて復活ってのは相場が決まっているのかしら!」
カナちゃんはエッヘンと腰に手をあて、私にウィンクをした。
「チッ……生きてやがったですか…! ですけど、何度闘おうと結果は同じですぅ! 今度は二度と復活できないようマスターもろともブッ潰してやるですぅ!」
何十本の蔦がうねりながら天井や床やら四方八方から、一人と一体を捕まえようと突き出してきた。
「させないかしらッ!」
日傘を構え、まず身近の蔦に振り下ろす。
太く、弾力もあるはずの蔦はいとも簡単に両断された。
一撃、二撃、三撃、カナちゃんが進むごとに切り払われていく蔦は、まるで紙切れのように斬られ、霧散していく。さすがカナちゃん!そのままブッ殺しちゃえ!あっ、お姉ちゃん物騒なこと言っちゃった。テヘ♪
意外としぶといですね……ですけどッ!」
臭い緑が叫ぶと同時に、カナちゃんが斬った数と同数の蔦が再び伸びてきた。
「このまま消耗戦に移れば、私の方に分があるです!」
「それはどうかしら!」
カナちゃんは懐から何かを取り出すと、蔦の群れの隙間を狙って、一直線に何かを飛ばした。
臭い緑は完全に油断していたのか、防ぐのはおろか、避けることさえできない。
「うっ…!?」
飛んできた何かは、臭い緑の頬の横を通り過ぎ、壁に突き刺さった。
「こ、これは一体……?」
「カナのおとっとき秘密兵器、象さんドアストッパーなのかしら! ピチカートだけが飛び道具じゃないのよね!」
「クッ……小賢しいですぅ…! そっちがそうくるなら……」
臭い緑が腕をゆっくりと上に伸ばす。
すると先ほどまで猛攻を繰り出していた蔦が、急に大人しくなり、やがて消えた。
霧散し、緑の粒子になったそれは、一様に伸ばされた彼女の手に集まっていく。
それはどんどんと形を成していく。そして、彼女は小さく呟いた。
「―――レンピカ」
次の瞬間にはその手に変わった形の大鋏が握られていた。
「今度はこのレンピカでお前の相手をしてやるですぅ!」
「ねぇ、マスター」
「なんだ、蒼星石?」
「僕のレンピカ知らないかな? どこにも見当たらないんだ」
「私は知らんよ……それより、庭に生えてあった薔薇が一本もないようだが…」
「なんでだろうね……異常気象かな?」
二人は荒れ果てた庭を延々と眺め続けていた。
鋏と日傘がぶつかり合う。そのつど鳴り響く金属音に私を身を縮ませる。
ファイトよ、カナちゃん!その調子!
確実に相手の首をとらえて斬りおとしちゃえ!
カナちゃんはぶつけ合った衝撃ではじけ飛んだ日傘を構え直すと、一気に振り下ろす。
臭い緑は体を傾け、それをかわすと、カナちゃんの日傘はそのまま床に突き刺さってしまった。
「もらったですぅ!!」
その隙を逃す臭い緑ではない。手に持った大きな鋏をカナちゃんの首めがけて突き出した。対するカナちゃんは、そのまま日傘を抜かず、強引に真上に引き上げて、すんでの所で鋏をはじき返す。
私はホッと胸を撫で下ろした。いくらカナちゃんでも首チョンパされたら復活できないだろう。いや、もしかしたらできるかも……だとしたらカナちゃんはゴキブリ並みの生命力ね……
そうこうしてる内に、二人は一旦距離を離し、にらみ合っていた。
「……次で決着をつけてやるですぅ!」
「望むところかしらぁ!」
周囲が静まり返る。
二人は互いに凶器を構えたまま、一歩も動こうとしない。
私は高鳴る胸を抑えつつ、カナちゃんの勝利を祈っていた。
そして、天井から落ちる瓦礫。それが合図になったかのように、二人は走り出していた。
「これでぇ、終わりです!」
臭い緑はつま先で床を蹴って中空へと舞い上がると、カナちゃんに向けて鋏を大きく広げた。突然視界から臭い緑が消えたことに、動揺してしまったカナちゃんは反応が遅れてしまっていた。
「私の勝ちですぅ、金糸――!」
臭い緑は、突然背中を反るようにバランスを崩してしまった。
突然の背中からの衝撃。空中で体勢をなおすことなどできない臭い緑はただ落下するしかできない。
「あっ……」
彼女は目を丸くし、首を後ろに回した。
そこには、一匹の人工聖霊。ピチカート。
勝ち誇ったようにクルクルと螺旋飛行を繰り返すその様は、ひどく可笑しいものだった。
「カナの飛び道具は象さんストッパーだけじゃないのかしら」
臭い緑は前へと顔を戻す。そこには、日傘を構えたカナちゃんが、地上でいまかいまかと待ち受けていた。
「薔薇乙女最終奥義――」
カナちゃんは両手で握った日傘に、グッと力を溜める。
「まさちゅーせっちゅ!!」
一気に真上へと、臭い緑の胸めがけて日傘を突き出した。
突き下げられた傘先は、唖然とする臭い緑の胸を貫き、それでも止まらず、彼女の背中から飛び出した。
そしてその傘先には、不思議な光を放つ球体が刺さっていた。
「そ、そんな……バ、バカな……ですぅ…!?」
困惑の表情を浮かべる臭い緑から目を逸らすように、カナちゃんは目を閉じ、不敵な笑みを浮かべた。
「肉を切らせて、骨を絶つ、かしら……」
せまりくる最強薔薇乙女、柏葉巴!
成すすべもなく散っていく姉妹達!
その時、裸の大将こと桜田のりは!?
Mに目覚めたジュンの運命は!?
次回、最終回!「薔薇乙女よ、永遠に」
は、また次のお話……
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![改訂]
柏葉と水銀燈が闘っているその頃、残りの薔薇乙女達は……
「ジャンクにしてやるでぇぇぇすぅぅ!!」
「前歯全部折ってやるのかしらぁぁぁ!!」
緑の子、確か翠星石ちゃんって名前よね?
彼女が蔦を伸ばし、それをカナちゃんが畳んだ日傘で受け止める。
一見すればカナちゃんが押されてるように見えるけど、カナちゃんには飛び道具のピチカートがあるわ!
翠星石ちゃんもそれを分かっているのか、全力で攻められないみたい。
きゃあ〜♪頑張れカナちゃん!そんなジャンクぶっ殺……ゴホン…倒しちゃえ!
あっ、私の名前は桜田のり。ジュンくんのお姉ちゃんでカナちゃんのミーディアムよ。
ジュンくんとはこれから兄弟から恋人同士になるけどね。愛の前では法律なんて関係ないの!まさに禁じられた遊び!
うふふ……でもジュンくんツンデレだから中々素直になってくれないけど、そこがジュンくんの可愛いところでもあるの。
きっと黒い女の子とかボロい赤いのとか臭い緑のとかがいるからジュンくんは安心して私に甘えられないに違いない。
ジュンくんと愛を語り合えないのが悔しかった。私はこのカナちゃんで、邪魔する人達を薙ぎ払う!
「冥土に逝きやがれですうぅぅ!!」
床から三本の蔦が突き出てきたかと思うと、それはカナちゃんめがけて伸びてきた。それはあまりに速くて、お姉ちゃんの私でもメガネをかけていなければ見えないくらいの高速で突き進む。
マズイわ!カナちゃんの危機よ!
「カナちゃん!」
「うぇ? 呼んだかし……」
私に呼ばれたカナちゃんはこちらに頭を傾けた。
そしてカナちゃんは、勢いよく三本の蔦に体を貫かれた。
「ふべっ!?」
「カ、カナちゃぁぁああぁぁあん!?」
「カ、カナちゃぁぁああぁぁあん!?」
僕、桜田ジュンはその悲鳴で我に返った。
相変わらず僕の頭を踏みつけている白色電波少女こと女王様のせいで、顔をあげることはできない。
だが、あれは確実に姉の声だった。
「ね、姉ちゃん……?」
もしかして姉の身に何かが起きたのだろうか。
あんな姉だが、僕のたった一人の兄弟に違いはない。
アイツは大事な家族なのだ。
僕の中で何かが変化した。
混沌とした桜田ジュンではなく、正常な桜田ジュンの精神が表層に浮上する。
簡単にいえば正気に戻ったということだ。
「姉ちゃん……!」
僕は女王様を押しのけ、勢い良く立ちあがった。
彼女は突然のことに片目を瞬かせていたが、それもほんの間で、すぐにいつもの無表情に戻った。
「女王様……」
僕は女王様と向き合った。合わせる顔がなく、僕は彼女の視線から逃げるように目を伏せる。
彼女はあれほど僕を踏み、マゾの快感を目覚めさせてくれた恩師である。
僕はそんな彼女を裏切り、M属性を捨てて、一人の漢として姉を助けに行こうとしている。
しかし、ここで行かなければ、僕は一生後悔するだろう
それは嫌だ。ウジウジと変態の称号を背負い暮らしていく人生はもう嫌なのだ。
(逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!)
「ごめん、女王様……僕は……」
言葉を詰まらせた僕の唇に、細く繊細な指がそっと触れた。
それは女王様の指だった。
全て分かっている、そう伝えるように彼女はゆっくりと首を縦に振る。
無表情に見える表情の下で、彼女は少し寂しげだった。
「――ありがとう、女王様」
そして、さようなら。
僕の指にはいつまにか薔薇の指輪がはめられていた。
僕は女王様に背中を向け、走り出す。
振りかえることなく、一直線に姉のもとへ。
「うわぁぁぁぁ!!」
精一杯の勇気を振り絞り、メチル水銀と柏葉の激戦の間をすり抜ける。
そして前方には床にへたりこむ姉の姿。その傍には力なく倒れこんだキム。
緑の少女が口元を歪ませながら二人に近づく。
僕は叫んだ。
「やめろ! どうしてもやりたいなら……僕が相手になってやるッ!」
「なっ!?」
指輪をはめた方の腕を、僕は真っ直ぐに緑の少女に突き出す。
すると、指輪が眩しい輝きを放ち始めたかと思うと、次の瞬間には細い糸がしゅるりと伸び始め……
……細い糸?……いや、これは縄だ。どっからどう見ても縄だ。
そうこうしている内に縄は僕の指輪からどんどんと伸びていく。
足を止めて僕が唖然とその奇異な光景を眺めていると、あろうことか縄は敵には向かわず僕の体に巻き付いてきた。
何てこった!思わぬ急展開!
僕は必死にもがくが、その度に縄はどんどんと体に食い込んでいく。
数分後。
そこには亀甲縛りをされて床に仰向けに倒れこんでいる僕がいた。もちろん恍惚の笑みを浮かべてだ。
あれ?そういえば僕は何をしようとしたんだっけ……?まぁ、どうでもいいや。
今を生きる。それが僕のジャスティス!
新たな快楽に身を酔いしらせている僕の視界に、突然影が覆い被さった。
そこには、僕を無表情で見下ろす白色電波少女。そして、その手に握られているのは白い鞭。
パシンッ!
彼女は僕に聞こえるようにワザとらしく鞭を鳴らし、頬を赤らめた。
僕は気づいた。もはやMの宿命からは逃れることは出来ない。これこそMの悲劇。
お父さん、お母さん。僕を産んでくれてありがとう。
今立派に成長した貴方の息子は、変態ドMへと続く片道列車に乗車し旅立っていきます。
「わたしは……だぁれ…?」
「女王様であられますぅぅ! はぁぁうぅぅエクスタシぃぃ!!」
「女王様であられますぅぅ! はぁぁうぅぅエクスタシぃぃ!!」
ジュンくんは鞭が振り下ろされるたびに喘いでいる。
ジュンくんったら急に奇声をあげて走ってきたと思ったら、勝手に縄で体を縛られ、今は見知らぬ白い女の子に鞭で叩かれ喜んでいる。
あぁ…お姉ちゃん、ジュンくんが分からないわ……これも思春期のせいなのかしら?
「うぅ……」
あっ、そうよ!今はジュンくんを眺めている暇じゃないわ!
カナちゃんを助けなくっちゃ!ちょうど翠星石ちゃんもジュンくんの方に気を取られている。今がチャンスよ!
「カナちゃん! 大丈夫ッ!?」
私はお腹に三つの空洞ができているカナちゃんの肩を掴み、勢い良く前後に揺らす。
それでも目を開けないので今度は左右に加減をかけずに揺らす。
気分がノッてきたので上下に振りまわしてみた。カナちゃん軽いから振りまわしやすくて、お姉ちゃん楽しい♪
「うぼふぁ!?」
ようやくカナちゃんが血ヘドを吐き出し目を覚ました。
「よかった、カナちゃん! 気がついたのね!」
「はぁはぁ……ウサギと戯れてる夢を見たのかしら…」
「カナちゃん! 死んじゃダメよ! 今すぐ救急車を呼ぶから!」
私は床に落ちていたジュンくんの携帯を拾い上げると、急いで110番に電話した。
これで一先ず安心ね!カナちゃん!お願いだから、救急車が来るまでは死なないでね!
「だ、大丈夫かしら……こんなのカスリ傷……」
「いやぁぁぁぁ!! カナちゃん死なないでぇぇ!!」
「ちょ…振りまわさな…はぐぅ!?」
大変!カナちゃんがまた吐血しちゃったわ!
いやぁぁぁぁ!血が止まらない!うふふ…今夜はお赤飯ね!
お人形さんなのに何で血がでるのかわからないけど、このままじゃ出血多量でカナちゃんがnのフィールドに逝っちゃう!
そしたら、ジュンくんとの『越えてはならない壁、桜田兄弟の禁じられた遊びシュビドゥバ〜ン』計画が破錠してしまう。それだけはなってはならないのよ。
「カナちゃん、目を開けて! 玉子焼きでも目玉焼きでも血糖値が上昇してぶっ倒れるまで食べさせてあげるから! ねぇ、お願い!」
カナちゃんは口を半開きにしたまま血をダラダラ流し、白目を剥いている。
私は半狂乱になりながら、カナちゃんを頭の上で振りまわす。
すると、私の想いが通じたのか通じないのか、カナちゃんの口から光り輝く何かがポロリっと床に落ちた。
「わぁ……綺麗……何かしら、コレ…?」
私がそれに手を伸ばそうとした、その瞬間。
横から割りこむように、何者かがそれを奪い取った。
「クククク……貰っちゃった、貰っちゃったですぅ。 金糸雀のローザミスティカ貰っちゃったです!」
「か、返して翠星石ちゃん! それを売っぱらってジュンくんとの挙式台に……!」
翠星石ちゃんは、走りよる私を防ぐように、蔦を何十本も伸ばしてきた。
「やなっこったですぅ!私はずっとこの時を待っていたのですよ! これでようやく安心して蒼星石と痴呆ジジィを葬れるです!」
そう言うと、翠星石ちゃんは部屋の中空に突然できた奇妙な渦の中へと消えていってしまった。
「逃がさないわ!」
私も慌てて壁にかけてあったラケットを手に取り、渦の中へと飛びこんだ。
薔薇水晶は鞭を打つのを止めた。
ジュンが寝てしまっていたからだ。
彼は瞼を閉じ、穏やかな寝息をたてている。
そして、その頭上には空間の捻じりが起こした奇妙な渦が浮いていた。
先程、翠星石とジュンの姉が飛びこんでいった渦。それが何か、彼女は知っていた。
薔薇水晶は鞭を投げ捨てると、二人の後を続くように渦の中に飛び込んだ。
全てのカオスの根源が終焉へと導かれていくのは、また次のお話し。
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気づいた時、僕はパイプ椅子に座っていた。
辺りは真っ暗で何も見えない。ただ、僕の頭上に一つ、スポットライトの光があるだけだ。
「ここは?」
「ここはnのフィールドと夢の狭間、9秒前の白。 無意識の海よぉ」
暗闇の中から浮かび上がるように現れたメチル水銀が、淡々とした口調で呟く。
「ああ、なるほどね。 無意識の海ね。 帰っていい?」
「だぁめ」
「だったら義務教育もまともに受けていない、引き篭もりの僕にも理解できるように説明してくれよ!」
僕が声をあげると、メチル水銀は無言で闇の中に消えていった。おい、放置プレイか!
しかし、こんなことで取り乱す僕ではない。僕は慌てることなくパイプ椅子に座り続ける。というか体が動かない。
相変わらず僕の頭上以外は闇に包まれていて、鳥目の僕では周囲の様子を探ることができない。
まさか、このままここで死ぬのだろうか?
嫌な想像が僕の頭を過ぎる。
ウサギさんは寂しくなると死んでしまうという。つまり今の僕だ。
「イィーヤッッハー!!」
意味もなく叫んでみたりするが、僕の美声が反響するだけでなんなら変化はなく、ここにいるのが僕一人だけという恐怖に拍車をかけただけだった。
孤独ゲージもマックスに差し掛かったとき、ついに耐えきれなくなった僕は泣き叫ぶ。
「…ねぇ……誰か…助けてよ……誰か僕を助けてよ!!」
僕の叫びが通じたのか、スッと闇の中から赤いのが現れた。
突然のことに驚いている僕を鼻であしらうと、赤いのは冷たい眼差しを向けながら、一言。
「嫌なのだわ」
僕は絶望に目を見開いた。
途端、周りの風景がグニャリと歪曲したかと思うと、僕の記憶がとてつもない速さでフラッシュバックしていく。
放課後、桑田さんのリコーダーを密かに吹いたこと。
自作のポエムノートを梅岡に没収され、皆の前で音読されたこと。
屋上で友情を深めるために柏葉と殴りあったこと。
赤いのが窓ガラスを破って不法侵入してきたこと。
メチル水銀との出会い。
姉の逮捕。梅岡の死。
そして、アリスゲーム――
「誰も僕の趣味を判ってくれないんだ…」
僕の独白に応えるように、メチル水銀の声が頭の中で響く。
「判りたくもないわぁ」
「踏まれても罵られても叩かれても、揺るぎのない快感だと思っていた…」
「他人の性癖が自分と同じだと、一人で思っていたのねぇ」
「笑ったな! 僕の性癖を笑ったんだ!」
「最初から貴方はM属性。 笑われても仕方がないのに」
「みんな僕を変態と呼ぶんだ。 ……だから、みんな嫌いだ」
「じゃあ、その鞭は何のためにあるのぉ?」
「僕は変態じゃない……僕は変態じゃないっ!」
「じゃあ何故、踏まれて喜んでるのぉ?」
僕は恐る恐る尋ねる。
「……変態でいてもいいの?」
(失笑)
「うわあああぁぁぁぁ!!!」
世界が反転する。
いつのまにか僕は、体育館の中心にポツンと置かれたパイプ椅子に座っていた。
真っ暗で分からなかったが、ここは体育館だったようだ。
「何がそんなに不安なんですか?」
唐突に緑のが僕の後ろから問いかける。
「僕がMだと思われること」
今度はキムが背後に現れた。
「だけど、それ以外の価値が貴方にあるのかしら?」
「僕にはそれしか価値がない。 そうでないと僕は僕でいられない」
「そんなことはないわよ、ジュンくん」
姉が優しく僕の言葉を否定した。
だが、僕は大きく頭を横に振る。
「だけど僕は僕が嫌いなんだ。 Mである自分が。 変態である自分が」
だから誰も僕に構わないで。
誰も僕を見ないで。
「他人の目が怖いのね。 桜田君は本当はとても臆病だから」
「そして自分を誤魔化してここまできた」
柏葉と赤いのが僕に語りかける。
そしてメチル水銀が、僕の目の前に姿を現す。
「貴方は有りのままの貴方を晒せばいいのよぉ」
「有りのままの、僕を……?」
僕はハッとして伏せていた顔をあげた。
心の隙間が、少しづつ埋められていくのを感じた。
「やっと分かったのね、お馬鹿さぁん」
メチル水銀が呆れた顔をする。
と同時に、緑とキムが僕の背中に立っていて、こちらを見据えていた。
「自分の性癖を悪く、嫌だと思っているのは貴方の心かしら」
「性癖は人の数ほど存在するもんですよ、チビ人間」
二人の言葉には、一片の作為もない。
「だから好きにしてもいいのよ。 ジュンくんはジュンくんなんだから」
僕の肩が一瞬震えた。
「でも、みんな変態の僕が嫌いじゃないのか?」
「まったく、使えない下僕ね。 貴方が変態なんて周知の事実よ」
「だけど、そんな桜田君をみんな好きなのよ……私みたいに」
胸にそっと両手を合わせて、柏葉は今まで僕が見たことのないような笑みを浮かべる。
「そう、貴方の奇抜さと破天荒さが、逆に私達を救ってくれたわぁ」
「……僕は変態な僕が嫌いだ。 ――でも、それでいいのかもしれない」
ピキッ、という音とともに空間にヒビが入る。
「僕は変態でいてもいいのかもしれない」
ヒビはその大きさをどんどんと増していく。
「僕は僕だ。 変態でいたい」
僕はさらに強く念じた。
「僕は変態でいたい」
パイプ椅子から勢いよく立ち上がり、力強く叫んだ。
「僕は変態でいてもいいんだ!」
空間がガラスのように砕け散り、輝かしい世界が開けた。
僕の視界いっぱいに咲き乱れる薔薇の花。赤い色彩と青い空の対比が美しい世界。
そこには皆が穏やかな笑顔をして立っていて、僕を祝福するように拍手をしていた。
「おめでとう、ジュンくん!」
「おめでとうかしら!」
姉とキムが揃いにそろって手を大げさに叩いている。
「め、めでてぇです」
緑のが照れくさそうな、ぎこちない拍手を僕に送る。
「おめでとう」
柏葉は口元を緩ませながら、落ち着いて両手の平を打ち合わせ続けた。
「おめでとうなのだわ」
控えめな笑みだったが、その笑みからは充分すぎる僕への祝福が溢れていた。
「おめでとぉ……ジュン」
メチル水銀が首を傾けて、満面の笑みを見せる。
その祝福の渦の中、僕の口元からも自然と笑みがこぼれた。
僕は変態でいたい。そして皆と一緒にいたい。心からそう思った。
「ありがとう!」
精一杯の感謝の気持ちを、僕は皆に返した。
(完)
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不意に乾いた拍手が響いた。
「いやいや素晴らしいものでした、坊ちゃん」
「えっ……?」
どこから現れたのだろうか、そこには二足歩行のウサギが立っていた。
いつのまにか、辺り一面に広がっていた薔薇や、みんなの姿も忽然と消えてしまっている。
突然のことに目を瞬かせている僕を嘲うかのように、ウサギは言葉を続けた。
「まさか無意識の海から、こんなにも早く抜け出してしまうとは……いつも貴方には驚かされてしまいます」
両手を肩の上にあげ、ヤレヤレと首を横に振るウサギ。
何故だか分からないがその動きが異様にムカつく。間違いなく僕を馬鹿にしている。
売られた喧嘩は勝てそうだったら買う男、それが僕だ。
「僕をなめるなぁっ!!」
ウサギに拳を向ける僕。
途端、僕の薔薇の指輪から縄が飛び出す。
それは蛇行しながらウサギに飛来し、奴の身体に巻きついた。
「ト、トリビァル!? こ、これは一体……はぁう!? ちょ…ぬぅぅほぉ!?」
ウサギは僕が見ている前で、あっという間に亀甲縛りになる。
亀甲縛りをされているウサギを見て喜ぶ趣味はないが、その時ばかりは、ざまぁみろという気持ちを抑えきれず顔がニヤけてしまった。
――さぁ、苦しむがいい、げっ歯類。
しかし、ウサギの反応は僕が予想しているものとは大きく違っていた。
「な、なんたる快感!? 『縛るは快感』、『快感は縛る』……こ、これが美しい因果律のあり方! トゥゥゥゥリビァァァル!!」
「ヒィィィ!?」
ガクガクと上下に震えながら悶えるウサギ。
その姿があまりに気持悪くて、僕は思わず口に手をやった。
保健所に電話して捕獲してもらった方がいいだろうか?あのウサギの動きはあまりに目に毒だ。
とりあえず一刻も早く、ウサギから離れるために、僕は出口を捜す。
だが、周りにあるものといえば無数の扉と、あとはグネグネと揺れる壁のようなもの。
とりあえず、非効率ではあるけど、片っ端から扉を開けていかなければならないようだ。
「お、お待ちを! 貴方にはここにいてもらわなくてはならないのです! これ以上アリスゲームを滅茶苦茶に……」
「く、くるなぁぁぁ!」
僕は指輪に力を込める。すると、ウサギを縛っている縄の締め付けがさらに増した。
「トトトゥゥリビァァル!!? 凄まじい快感が私の股間をトリビァル! びっくりするほどトゥリビァルぅぅ!」
「ヒィィィィイィィィ!!?」
どうやら逆効果だったようだ。
僕は半泣きになりながら、初めてやられる側の気持ちを身を持って理解した。
一番手前の扉に手をかけ、ノブを思いっきり引くがビクともしない。
その間にも僕の後方からはトリビァル!トリビァル!と連呼しながら、ウサギが器用に歩み寄ってくる。
あぁ、神様ごめんなさい。僕は悪い子でした。
お願いしますから、あの生き物をメギドの火で跡形なく焼き払ってください。
だが、そんな願いも通じるはずがなく、じょじょにウサギと僕の距離は縮みつつあった。
「うわあぁぁ!! 開けよ! なんで開かないんだよ! うっ……く、くるなぁ!!」
「逃がしませんぞ!逃がしませんぞ!」
もう、終わりだ!
僕が諦めて瞼を閉じた、その時だった。
轟音とともに、地面から何が突き出してきた。
ウサギはそれによって上空に弾き飛ばされ、数秒後に地面と勢いよくキスをした。
奴を弾き飛ばした何かは、神秘的な紫の光を放ち続けている。
一見ただの氷のようにも見えるが、それは大きな水晶であった。
そして水晶はウサギが地面とキスしたのを合図に、次々と生えはじめる。
やがて、この変な空間がその水晶の余りの量に耐え切れなくなったのか、甲高い音を立てて砕け散った。それと、同時に、水晶も砕け散る。
僕はその砕け散った水晶の一部をポケットに忍び込ませる。元の世界に帰って売ったらけっこうな値になるにちがいない。
「あっ……」
僕はそこでようやく気がついた。
あの変な空間が割れ、代わりに現れた真っ白な空間。
そこに立っていたのは懐かしい人物だった。
「じ、女王様……?」
白いドレスを着飾った、薄幸な片目の少女。
おそらく僕を助けに来てくれたのだろう、あまりの感動に涙腺がゆるみまくりだ。
「女王様ぁぁぁ!!」
ついに我慢できなくなった僕は号泣しながら、女王様に駆寄り抱きついた。
抱きついた時、女王様が柄にもなく顔を真っ赤にしてたのは気のせいだろうか?
「うぅぅ……マジあのウサギ怖かった…」
女王様は最初こそ硬直していたが、やがて泣き喚く僕をなだめる様に頭を撫でてくれた。
僕は桜田ジュン。女性の母性本能をくすぐるのが得意な罪な少年。うらやましいか、モテナイ男共!
しばらくの間、そんな時間が続いたのもつかの間、けたたましい声が響き渡る。
「も、もう、許しませんぞ! そこの見知らぬ人形ともども人参といっしょに食ってやりますぞ!」
いつのまにか亀甲縛りの拘束が切れ、自由になったウサギがステッキを振り回しこちらにむかってきていた。
「じ、女王様! 逃げよう!」
僕はウサギを真っ向から睨み付ける女王様に言う。
彼女は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。
女王様はおもむろに人差し指をあげると、そこに歪みが発生し、奇妙な渦ができ始めた。
そして彼女は、僕の腕を引っ張るとその渦の中にためらいなく飛び込んだ。
「くっ! 『逃げる』は『追う』! 絶対に逃がしませんぞ!」
渦の中にもまれている僕の耳に、ウサギの声が聞こえた。
二兎追うものは一兎も得ず。ウサギと薔薇乙女達が最終決戦を行うのはまた、次のお話。
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飛び交う羽根と、その度に振り払われる木刀。
アリスになるためだけに闘ってきた水銀燈と、雛苺のローザミスティカを喰らい本能に従うまま闘う柏葉。
桜田家での二人の激しい闘いは、いまだ終わることなく、続いていた。
が、その闘いはあまりに意外で唐突に終結することになる。
一旦攻撃を止め、対峙する二体。
「やるじゃなぁい、人間のくせに」
「そう。 でも、まだこれからよ」
「うふふふ……呆れたおばかさぁん」
張り詰めた空気が支配する室内。
再び水銀燈が攻撃を開始しようと羽を広げた時、その間を割り込むようにグニャリと歪みが発生した。
そしてその歪みから転がり落ちてくる、白い少女と全裸の少年。
あまりに混沌とした様に唖然としている水銀燈や柏葉を尻目に、全裸の少年、桜田ジュンは慌てて立ち上がると悲鳴に近い声で叫んだ。
「み、みんな逃げろぉぉぉぉ!! アレが来るぞぉぉぉ!!」
あまりに意味不明で理解しきれない内容に聞き返そうとした水銀燈だったが、その疑問を晴らしてくれるかのごとく、今度はファスナーを開けたかのように空間に裂け目が発生した。
途端、響き渡る悪魔の唸り。
「トゥゥゥゥリビァァァル!!!」
それは全ての終局を告げるように。混沌の始まりを示すように。
アリスゲームは今、最終章へと突入する。
THE END OF CHAOS・MAIDEN
下心を、君に
「やっと追い詰めましたぞ、坊ちゃん! さぁ、このステッキを尻穴に突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやりますぞ!」
「いやぁぁぁ!!」
床に足をついたその瞬間から、いきなりウサギは僕に死刑宣告をした。
僕はステッキを尻穴に突っ込まれているのを想像し、文字通り奥歯をガタガタ震わせた。
そんな貞操の危機に怯える僕を守るように立ち塞がる、メシアこと女王様。
白馬の王子様なんて信じてるわけじゃない。
だが白い女王様なら信じてる、そんな僕の名前は桜田ジュン。うほっ!男なんか信じられるわけないだろ!
「い、いったいどういうことぉ?」
「あのウサギ……どこかで……」
現状を飲み込めていないようだったメチル水銀と柏葉も、奴の放送コードギリギリな発言と僕の様子に、ようやくただ事ではないと理解したようだった。
「あれは……ラプラスの魔…? ラプラスの魔が二人……一体どういうこと…?」
ボロボロな赤いのが足を引きずりながら訳のわからないことを呟いた。
赤いの、きっと酸素欠乏症にかかって……可哀想に……
「おやおや、皆さんお揃いで。 ですが、私が用があるのはそこの坊ちゃんと白いドールだけです。 貴女がたは気にせずアリスゲームを続けてください」
ウサギは紳士風なお辞儀をして言った。
さっきまで縛られて喘でいた奴とはとても同じに見えない。
「断るわぁ。 その人間は私がアリスになるために糧になるんだからぁ」
「聞き捨てならないわ、ウサギ。 桜田君の貞操を奪うのは私の役目よ」
二人とも優しいなぁ。
あれ?目から汗が……
「まったく……貴女達まで私の邪魔をするというのですか?」
ヤレヤレとウサギが首を横に振る。
「仕方がありません。 大変残念ですが、一度貴女達のローザミスティカを抜き取り、彼らを始末してから改めてアリスゲームをやり直すこととしましょう」
「やれるものならやってみなさぁい。 その前にジャンクにしてあげるわぁ」
メチル水銀の漆黒の翼が持ち上がる。
「ちょうど良かったわ。 この木刀『雛殺し』も血を欲しがってたのよ」
柏葉が木刀を中段に構えた。
「ラプラスの魔! 裸の方のラプラスの魔を倒すのは私よ!」
薔薇の花びらが風と共に舞い踊る。
「……」
女王様は威圧的な目で睨みつけながら、手のひらを掲げた。
「あのお方がこの惨状を見ればどれほど嘆くか…… こんなことだから誰一人アリスになれないのです。 貴女がたがどれほどに無力か、この私が教えてさしあげましょう」
そのウサギの言葉を合図に、みんなは一斉に攻撃を開始した。
数え切れないほどの羽根と花びらがウサギめがけて飛んでいく。
間をおかずに、幾つもの水晶がウサギを囲むように突き出す。
そしてそれに続くように、柏葉が木刀を投擲した。空中を滑る木刀は真っ直ぐにウサギへと向かう。
「イィーヤッハー!! くたばれウサ公!」
勝った。僕は右腕を振り上げ、勝利を確信した。
すでに祝杯用のビールもスタンバイしていた。
それほど皆の攻撃のコンビネーションは完璧。
一部の隙もない、回避不能のはずなのだ。
だが、その考えがどんなに甘かったか、僕達はその身を持って知ることになる。
全ての攻撃がウサギに当たろうとした、その瞬間。
「――聖少女領域」
ウサギを中心に展開されるオレンジ色の壁。その壁に触れた羽根も薔薇も水晶も、全てが一瞬で砂のように霧散した。
そう、あれほどの数が全て、一瞬でだ。
「うへぇ!?」
僕は我が目を疑った。
メチル水銀や赤いのも一様に目を瞬かせ、信じられないといった顔をしている。
「あ…あら……?」
「わ、私達の攻撃が……」
柏葉が見えない何かに弾き飛ばされた木刀を静かに拾い上げ、それを強く握り締めた。
「効かないようね……」
「トリビァルトリビァルまったくもってトリビァルぅぅぅ!! そんな生ぬるい攻撃など私の聖少女領域の前では無意味ですぞ!」
「ち、畜生! 性処女性癖ってのは一体何なんだ!?」
両手を大きく広げたウサギの高笑いが、室内に響き渡る。
「クククッ……聖少女領域とは、真に清らかな淑女だけが作り出すことのできる聖なる結界! トリビァルな攻撃は全て無効化できるのです!」
「ま、待ちなさいラプラス! 貴方はウサギじゃない! どこが淑女なのよ!」
赤いのが納得できないといった感じでウサギに問う。
そらそうだ。ウサギなんかが使えるのに、自分が使えないというのは納得いかないだろう。
「貴女と違い、心は可憐な乙女ですぞ!」
「ファック!! 万死に値するのだわッ!」
まぁ、どっちにしろ赤いのには一生かかっても使えないな。
僕が心の中で一人で納得しているうちに、いつのまにかウサギがステッキを地面につきながらこちらへと歩み寄ってきていた。
自然と僕達の体が強張る。
性処女性癖。僕達にとってはあまりに脅威で、未知の絶対防御。あれがあるかぎり勝機はないのだ。
「さぁ、次はこちらの番ですぞ! こんなトリビァルな闘いはさっさと終わらせることとしましょう!」
風が全て僕達の方へ吹き始める。
窓ガラスにヒビがはいり、床や天井が地鳴りとともにめくれあがっていく。
退く隙もあたえずに、一気にオレンジの壁が膨張した。
僕達はそろいにそろって仲良く弾き飛ばされ、床に叩きつけられる。
顔から突っ込んだ僕だが、不思議と痛くも痒くもない。やった!僕マジ無敵モード!
と思った瞬間、視界がグラリと揺れ、鼻から赤い血がナイアガラの滝もびっくりなぐらい噴出した。
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「ぬぅはぁぁぁ!? 死ぬ死ぬ死ぬ!」
鼻血がとまらない!慌ててティッシュを探すが、どこにも見当たらない。
そういえば昨日の夜に全てを使い切ってしまったことを思い出し、僕の顔からさらに血の気が引いた。
なんてこった!こんなことなら昨日、あんな動画をみるんじゃなかった!
しかし全ては後の祭り。勢い衰えることなく出続ける鼻血。
とりあえず僕は応急処置として、床に倒れているメチル水銀の翼から羽根をちぎり鼻につめこんだ。
「ふがっ!?」
まずい。今度は鼻の中に羽根をつめすぎて、気管を塞いでしまった!
息を吸おうにも、その度に羽根が僕の口内でパタパタ動くだけで一向に肺は膨らまない。
おのれ!謀ったな、メチル水銀!
このままでは冗談抜きで死んでしまう。羽根を鼻につめて窒息死。こんな死に方ぶっちゃけありえな〜い!!
あっ……目が霞んできた。
「どうやら無事なのは貴方だけのようですな、白いドール!」
「……」
遠のく意識の中、閉じかけた僕の瞳は跳躍する白い影をぼんやりと捉えていた。
(ダメだ……女王様……逃げて――)
電源が切られたように、僕の意識は完全にブラックアウトした。
私に飛び掛ってくる白いドール。
しかし私の聖少女領域に阻まれ、彼女は静止をよぎなくされる。
白いドールの眉間に刻まれた皺が深くなった。
おやおや、そんな表情をしては折角の美しい顔がもったいない。
「この壁は貴女ごときに破ることはできませんよ、白いドール」
「……ッ!」
「にしても貴女は実に奇異というか……何故そこまで必死になるのです?」
彼女は答えない。それどころか掌を私の聖壁に押し付け、何かをしでかそうとしている。
大方水晶でも出して零距離から突き破ろうという考えでしょうが、この聖少女領域に距離など関係ありません。
しかし、好き勝手やらせておくのも私のプライドに障ります。
私は床を蹴り、彼女の前まで一瞬で駆け寄った。
そしてその細い手首を掴むと、その腕を捻りあげる。この間、わずか一秒たらず。
さすが私。一番アリスに近い薔薇乙女という通り名は伊達ではありませんぞ!
「やめてよね。本気でトリビァルしたら、貴女が私にかなうわけないですぞ」
「あぅ……!」
彼女の腕を捻りあげた手にさらに力を込める。
苦痛に顔を歪ませる白いドール。
ミシッという球体間接が軋む心地よい音を、私の耳が聞き拾う。
その音を聴くたびに、私の心が快感で満たされていく。
「クククク……ドールとはあまりに脆い。 このままジャンクにしてあげましょうか? それともひとおもいにローザミスティカを抜き取ってやりましょうか?」
「はな…して……へんたいッ……!」
「なっ!?」
こ、この白いドール。たった一つの私の汚点を……!
確かに私は縛られて快感を感じましたが、それはオーガニズムの高揚と申しますか、ムラムラしていたというか、一夜の過ちというべきか……とにかく坊ちゃんが全て悪いのです!
断じて私にそのような趣味などありません!そう、決して!
「よいですか、白いドール……!」
「う……!」
私は彼女の腕をグッと力任せに引っ張った。
ギチギチと何かが千切れていく音に、白いドールは下唇をかみ締める。
「ラプラスは……私は変態なんかじゃあ……」
「あァっ!」
我慢しきれなくなったのか、白いドールの口から短い悲鳴が漏れる。
「ないですぞ!!」
ブチィィ!
耳を覆いたくなる音が、桜田家に響き渡った。
私の名は水銀燈。
ウサギによって廊下に投げ出された私が気がついた時、最初に目に飛び込んできたのは真紅の姿だった。
自称誇り高き第五ドールこと真紅は、ウサギの聖少女領域に弾かれて桜田家のトイレのドアを頭から突き破って気を失っているらしく、下半身しか見えない。
でも、今あの子は至福の時を味わっているに違いないわぁ。
だって真紅は、トイレで紅茶を飲みたがるほどの生粋のトイレフェチなお馬鹿さぁんだもの。
真紅=トイレ、という代名詞が薔薇乙女の間でつくほどだし、お父様も真紅はアリスよりトイレを目指した方がいいって言ってたぐらいよぉ。
「まったくぅ、真紅はホントおまぬけさぁんなんだからぁ」
出来の悪い妹を助けるのは姉の役目。
私はフラフラしながらも翼の力を使い立ちあがる。なんだか羽根が軽いのは気のせい?
一歩、真紅の方へ足を踏み入れたとき、私の靴底に床ではない妙な感触が伝わった。
「あら……?」
目線を下にさげる。
そこには鼻と口から黒い羽根を溢れさせて白目を剥いた顔面蒼白の少年。
こんなところにも、おまぬけさぁんが一人死んじゃってるわぁ。
まったく、世話がやけるわねぇ……
「……って、ににににんげぇぇぇええええぇぇん!!?」
私は驚きのあまりに開いた口が塞がらないまま、床に尻餅をついた。
生きてるかもしれないが、人間の悲惨というか間抜けな顔を見る限りアッチの世界にイッちゃってるのは間違いない。
私は驚きのあまりに開いた口が塞がらないまま、床に尻餅をついた。
生きてるかもしれないが、人間の悲惨というか間抜けな顔を見る限りアッチの世界にイッちゃってるのは間違いない。
「そ、そんな……貴方は…私の糧になるのよぉ……なのにぃ……こんな阿呆な死に方して……ほんとにほんとに……」
続く言葉が見つからない。
代わりに私の目からは涙が溢れる。
鼻の奥が熱く、視界が涙で揺れた。
「……お馬鹿…さぁん」
廊下には私の嗚咽と、真紅の下半身が小刻みに痙攣してドアを蹴る音しか聞こえなかった。
僕は意識を取り戻した。
だが、どういうことかそこは僕の家じゃなかった。
というか日本ではなかった。
落書きのような雲を背負い、聳え立つ巨大な樹。
まるでファンタジーRPGの一場面を思い出させる、現実離れした光景。
その時、僕は確信した。死んだ、と。
んでもって、ここはあの世。想像とは違ったが、まぁ実際はこんなもんだろう。
「まぁ、いいか」
死んでしまったのだから仕方がない。今更もがいても意味がない。
諦めが早い未来志向なナイスガイ、それが僕だ。
とりあえず疲れたので一杯お茶でもしようかと、両手を叩いてマイカップを練成する。
やっぱり疲れた時は熱い紅茶に限るな。
パンがないのなら、紅茶を飲めば良いじゃない。
それが信条なぐらい紅茶が好きなブルジョアな僕だ。いきなりガブ飲みしたりはしない。
まずその香りを楽しみ、存分に堪能してから少量だけを口に含み味わう。
いやぁ、それにしてもこの紅茶。温度が低すぎるし、葉も開ききってないし、香味も飛んでるし、紅茶とは呼べないけど。
でも、とても……
「マズッ!!」
僕はカップを投げ捨てる。
これだから紅茶は嫌いなんだ!第一、何で純日本人の僕が紅茶なんぞ飲まなきゃならないんだ!ふざけるのもいい加減にしろッ!
「ったく……にしてもあの世は暇だな……」
贅沢は言わないが、せめてパソコンが常備使用可能でネットができて電気ガス水道が繋がっていて24時間営業のコンビニがあるだけでもいいんだけどなぁ……
でもここで独りきりってのは、さすがに嫌だ。
ここに女王様がいればさぞかしエロティカなのに……
ん?女王様……?
僕はハッと目を見開いた。
「そうだッ! 女王様が危ないんだった!!」
僕のジュノンボーイ!なんでそんな大切なことを忘れてたんだよ!!
慌てて首を左右に回すが、そこら中に生えている小さな樹の群れが広がっているだけで出口は見当たらない。
こんなのだったらウサギの空間の方が出口あるだけマシだ。
いや、やっぱり撤回。あんな基地外ウサギに追われるより、ここの方がマシだ。
「クソぉ!! どうすればいいんだよ……!」
跪き、僕は地面を叩く。
「あ?」
跪いた僕が見つけたもの。
それは赤いというか異様にドス黒い樹。
周囲には雑草が腐るほど生えて、これでもかと絡み付いてるせいか、そのドス黒い樹はまったく成長していない。
うわぁ、なんだよこの禍々しい樹は。きっと環境汚染の賜物だろう。
僕が不快に目を細めて口を尖らせると、偶然その樹の幹に文字が彫られているのを発見した。
「なんだ……? 何か書いてある…」
僕は嫌々ながらもドス黒い樹に顔を近づける。
真紅。確かに樹にはそう彫ってあった。
何て読み方をするのか判らないが、どっちにしても何だかとても憎悪が湧いてくる。
「畜生ッ!! 馬鹿にすんなぁぁぁぁ!!」
僕はその樹を鷲づかみにして、力一杯引っ張る。
だが憎まれっ子世にはばかるという言葉があるように、いくら引っ張っても地面から抜ける気配はない。
押しても引いてもダメなら、最早あれしかないだろう。
そう、火あぶりだ。
僕はおもむろに取り出したマッチに火をつけ、口元をニヤリと歪めた。
私は誇り高き第五…ってここはどこ!?
目の前には滑らかな形状の見覚えのあるモノ。
消臭剤の香りが私の鼻につく。
ここはトイレ!?なんで私がこんなところに!?
と、とりあえずこんな汚らしい所から早く出るのだわ。
私は身体を動かす。が、動かない。
足をバタつかせるが、一向に床に触れる感触がしない。
私は額から大粒の汗をたらしながらも首を傾け、後方に目をやった。
そこにはドアから突き出した私の上半身。背筋に悪寒が走った。
「で、出れないわ!? なんてこと!? ホーリエ! ホーリエ!」
人工聖霊の名を必死に呼ぶが、便器の中の水に浮いている光る物体を見つけ、私は舌打ちをしながら口をつぐんだ。
一体どうすればここから出れるのか。私は冷静に思考する。
そんな時、私の鋭い鼻腔に焦げ臭い匂いが侵入してきた。
思考を中止し、私は匂いの元を探る。
辺りを見渡してみても、火の元など見当たらず、私は首を捻る。
気のせいかしら?
そう思った瞬間、私の身体が真っ赤な火で包まれた。
「なのだわぁぁぁぁあああ!?」
火の勢いは衰えることなく私の服を焼いていく。
「お父様……どうして…どうして…私が…!? 私は……アリスに……アリスになって……お父様をぶっ殺し…て……やる…のだわ……」
赤い人形から燃え盛る赤い炎は、壁へと燃え移っていく。
どんどんと火の手は広がり、やがて桜田家は紅蓮に包まれていった。
炎の中で行われる最後の死闘。長かったアリスゲームが終局するのは、また次のお話。
(続きますか?・次回、ほんとにほんとに終劇)