『禁じられた遊び』

子供は虐待から逃げることは出来ない。
家を飛び出して飢えと寒さに苦しむよりは、親の「虐待」に耐えるほうがマシと本能的に考えるからだ。
上野香織はアダルトチルドレンになることを約束されていた。
3才の時にやさしかった父を失い、そして母は狂ったように香織を虐待した。
毎日、死なない程度に香織を殴り、事が終わると母は酒を飲み泣きながら寝ていた。
母が寝ると、香織はようやくは食事することを許された。母を起こすとヒドイ暴行を受けるため、音をたてないように毎日インスタントラーメンを食べていた。
香織には遊んでくれる相手もいなかった。遊ぶ玩具もなかった。毎日を呼吸を殺すような震えの中過ごしていた。
そんな時だった。
母が理由を告げずに出掛けた日、香織の家に一枚の手紙のようなモノが届いた。
まきますか まきませんか
始めは不審に思ったものの、この氷の中に閉じ込められた様な現実を打破してくれる、夢みたいな起因として「まきます」と香織は丸で囲んだ。
そして彼女が届いた。

誰かが線を引いたかのような美麗な輪郭に、小さく形のいい鼻梁を宿している。金色の髪を二つに結んで流し、赤いドレスを着ている。
生きているようなアンティークドールだった。
香織は毎日をその人形と遊んだ。髪を梳かし、一緒にご飯を食べ、一緒の布団に入って眠った。
しかし、香織は常にその人形と一緒にいるわけにはいかなかった。母親に見つかっては、捨てられるかしてしまうからだ。
だが、香織は少しだけ毎日が楽しくなった。少しだけ笑顔が増えた。しかし、母親はその香織を見るなり殴り付けた。
香織は赤くなった頬を手で押さえながら、布団に戻り、動かない人形を抱いて泣いた。それ以来、香織は殴られるたびに人形を抱いて泣いた。
いつしか人形は香織の心の支えになった。
―そんな時に、母親が自殺した。首を吊ったのだ。
「香織ちゃん、泣いてもいいのよ?」
親戚の叔母さんが母親の葬式で言った。少しばかり目に涙を浮かべている。
香織は言った。
「私のお母さんはまだ死んでないよ」
あたかも当然のような香織の言い草に、叔母は諭すようにように返した。
「香織ちゃん!」
「私のお母さんはまだ死んでない。だって―」
香織はリュックサックの口を開けた。
「私のお母さんはこの子だもん」
リュックサックから人形が顔を出した。

もはや香織にとって、母親は人形だった。
ある種、それは当然の事なのかもしれない。自分を暴行し、虐待し続けた人間より、自分をやさしく見守ってくれた人形を母としてみるのは。
だが、世論はもちろんそれを許さなかった。香織を精神障害とし、その行為を現実との乖離と蔑んだ。
「動いてよ」
そして何よりの問題があった。『人形である』という事柄だった。狼よりも人間を育てることは出来ない。
香織は施設に行くことになった。その前に、“前の母親”の遺品を取りに自宅に戻った。
スーツを着た男が家の前にいた。「遺品は本当に全部いらないんだね?」
香織は頷いた。男は複雑そうな顔をしながら業者に指示をした。
空になっていく家を見るのが少なくとも辛かった。靄の中に黒くて綺麗なものが光っている。そんな感情だった。
香織はただ道路を呆然と見た。無心になればいくらか気が楽だったからだ。
すると、さっきの男が確認を取りにきた。「これも捨てるのかい?」

男が持ってきたものを見て、香織はハッとした。それは人形が入っていた鞄だった。
香織は会釈して鞄を受け取った。男は、少しだけ笑みを浮かべて仕事に戻った。
期待と希望と不安を抱きながら、香織は鞄を開けた。
鞄は空だった。―ように見えた。見落とす程度に隅に
ゼンマイが入っていた。
「ゼンマイ……?」
香織の頭の中を光が走った。あらゆるものが明るく見えた。香織は人形をリュックサックから取り出すと、
深呼吸してから人形にゼンマイを差し、そしてまいた。
―ファンタジィという言葉はきっとこの為にある。そう香織は思った。
「私の名は〈真紅〉。ローゼンメイデンの第5ドール。おまえは、これより真紅の下僕となる」
人形が動き、喋った。香織は目の前のものすべてを信じることが出来なかった。
だが目の前には確かに人形が、お母さんが動き、生きている。香織はこの現実を放さないように享受した。
只ただ子供に、はしゃいだ。真紅はそれを見るなり、結んだ髪の先端ではたいた。
頬が少しだけ赤くなった。だが頬だけだった。他の部分は全く痛くならなかった。

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