俺は普通の大学生だ。親や兄弟は居るが一人暮らしをしている。
都心の学校に受かったのは良いが、家から距離が離れすぎている為、
学校の近くにある賃貸マンションに住む事になったのだ。
友人や親類の者からは都心は物騒だと聞いていたがそんな事は無く
先日、横断歩道を歩いていたら車に跳ねられました。
ピーポーピーポーピーポー…
救護班:A「大丈夫かね君?」
『うっ……』
救護班;A 「『プシュッ』 こちら○○。患者は頭を強く打ったらしく、意識不明の模様。至急△×病院まで搬送します」
救護班:B 「如何したんだ之?」
救護班:A 「車に引かれたみたいだぜ。車が無い所からすると、多分ひき逃げかな…」
救護班:B 「引き逃げかぁ、最近は物騒になったな〜。俺も気をつけないとな…」
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「……ここは?」
気が付くと、俺は黒い野原の中に倒れていた。
白濁の空の下、気温はやや肌寒く、辺りは薄暗い。
見渡す限りの野原の中に、凹凸を象るのは一軒の民家だけだった。
「…確か俺は車に引かれた筈では」
そのように呟き、頭を掻きながら思考を深める。
「…………」
何度も思い返して見たが、横断歩道で轢かれた事までしか思い出せず、
どうやって此処に来たのか、どうして此処に居るのか、という疑問は解けないままでいた。
「…ふぅー」
口に溜めた空気を吐き、少しばかり気分を和らげると、視界に映る民家に行く事にした。
此処に居てもしょうがない上、あわよくば俺の疑問が解けるかもしれないからだ。
歩き始めてから数分後、俺は民家の前まで辿り着いた。
民家の外壁にはツタやコケが絡みつき、外壁そのものにも年期を感じる。
窓からは淡い光が漏れ、黒い煙が煙突から上がっている。
「……大丈夫だよな」
一抹の不安を抱きながら、俺はノックした。
「すみませ〜ん、誰か居ませんか〜?」
民家の中からは返事が無く、何の反応も見られない。
「すみませ〜……」
『キィー…』
二度目の呼び掛けをしている際に、扉が軋みを上げて少しだけ開いた。
「…これは入れという事なのだろうか?」
返事が無いので少し戸惑ったが、これは相手の許可と受け取り
ドアを開けて民家の中へと入る事にした。
民家の中は、人形のパーツや人形の素体で埋め尽くされており、
足を踏む場所にさえ、気を回さなければならない程だった。
人形の山を掻き分けて、奥へと進んでいくと、この家の主と思われる老人が椅子に座っていた。
老人は黒い帽子を深く被っており、彼の前にはデスク、その上に黒い人形と、瓶に入った宝石が置かれ、
付近の壁際には、6体の完成品と思われる人形が床に座っている。
老人が目前の人形に手を加えてる所から見て、彼が人形師だと推測できる。
老人の技巧を興味深く観察していると、老人の手がピタリと止まり、こちらの方に顔を向けた。
「フォッフォッフォッ、まぁその辺に掛けたまえ」
「…どうぞお構いなく」
…足元には何かのパーツやら設計図やらでごった返しになっている。
掛ける場所など無い筈だが… 俺が聞き間違えたのだろうか?
「君は、何をしに此処へ来たのかね?」
「え?あっはい、少しお尋ねしたい事がありまして…」
「そうか… なら何でも質問したまえ、遠慮はいらんよ」
「…では質問します、ここは一体何処なんですか?」
「フォッフォッフォッ、 ここは第0番目の世界、始まりの世界と呼ばれている場所じゃ。
…終わりの世界とも呼ばれるがね」
「終わりって……」
それを聞き背中に冷たい物を感じた。肌からは鳥肌が立ち、脳髄の奥に痺れを感じる。
車に轢かれて、見知らぬ土地に倒れている。
そこから連想されるのは、たった一つの不吉な出来事だったからだ。
「ハハ…ハハハ」
どうしてか、虚しいはずなのに何故か笑ってしまう。
「ハハハハハ…」
何故か、涙まで声と一緒に出てきてしまう。
俺は一体何をして来たんだろう。寝て起きて遊んで勉強しての繰り返しだった。
その日々が走馬灯のように脳裏を過ぎっていく。
「ハハハハハハ…」
「フォッフォッフォッフォ」
「ハハハハハハ」&「フォッフォッフォッフォ」
「………」
「フォッフォッフォッ…フォッ……」
笑い声が止み、一時の静寂が戻ってくる。
明らかに耳障りな声が聞こえていたが、今は聞かなかった事にしておく。
【人の気も知らないで!】と、老人の胸倉を掴みたくなったが、それは俺の乳酸菌が足りないせいなのかもしれない。
落ち着け。落ち着くんだ………
「ふぅーハァ〜〜」
深呼吸をし、気持ちを沈める。大分落ち着いてきたが、気分はブルーのままだ。
「所で、こんな所で何をしているんです?」
老人に話題を振ってみた。話をしていく内に、気分も少しは楽になると思ったからだ。
「わしかね? わしはアリスを創ろうとしているのじゃよ」
老人は、両肘を机に突き両手を顔の前で組むと、真剣な顔をして
俺にそう答えた。 少し若返ったように見えるが多分雰囲気の性だろう。
「アリス?」
「そう、私が追い求める至高の少女の事だ」
「…そこに置いてある人形でかい?」
「その通り、ローザミスティカにより根本的な部分の問題は解決したのだが、まだ器が完成には至っておらぬ…。
今作っているのが七体目の器、水銀燈と言う名前じゃ。」
「…アリスね〜、この人形の服は黒いけど之がアリスになれるんですかね〜?」
「何か問題でもあるのかね?」
「いや、アリスってのは白を基調とした天使のようなものだとイメージしたものでして…」
「………」
老人は何も言わず苦笑いをし、水銀燈と言う人形をじっと見つめ
「そうだな、その通りかもしれん。この器は之で終わりだな」
と 呟くと、椅子から立ち上がると共に、腹の無い未完の人形を持ち上げ、
壁に腰掛けた人形達の真横に置き、ゆっくりと俺の方に振り返った。
「君のお陰で、時間を浪費せずに済んだよ…
お礼といっては何だが、この人形達の一つを君にプレゼントしよう」
老人は人形達に手を向け、さぁ さぁ、と俺に進めている。
「いえ、俺は人形には興味ないんで…」
その言葉を聞き、老人は一瞬顔をしかめたが、また元の笑顔をに戻った。
「まぁ、そう言わずにどれか選びたまえ… それとも人の好意を無下にするつもりかな?」
「………」
少し悩んだが、取り合えず貰える物は貰っておこうという事で、素直に人形を選ぶ事にした。
赤い服を着た少女の人形、緑の服を着た人形、腹の無い人形、黄色い人形、紫の人形、桃色の人形、
そして、青い服を着た少年の人形。
正直、少女型の人形には興味の欠片も無いのだが…。
「…?」
俺の目に少年型の人形が目に止まった。一つだけコンセプトの違うと思われる人形で
少年をモデルにしたと推測される。…少しだけ興味が湧いた。
「では、あの青い服を着た人形で…」
俺は人形に指を指し、老人に告げた。
「ほほぅ、蒼星石で良いのかね?」
「蒼星石…ですか、 まぁあれでいいです」
俺の返答を聞くと、老人は机の上に置いてる瓶から、宝石一つを取り出し
それを蒼星石と言う人形の口へと運でいた。
老人の手により、人形の口の中に宝石が押し込められると、
人形の体が光り始め、部屋全体が光に包まれたと思いきや、光は徐々に収束し人形の中へと収まっていった。
「何なんだよ…」
俺が疑問に思っていると、老人は愉快そうに笑っていた。
「何かおかしい事でもあったんですか?」
老人は笑い続けている。俺の言っている事が聞こえないのだろうか?
今度は少し声を張り上げて、老人の耳に入るように尋ねた。
「一体何がおかしいんですか!?」
老人は笑うのを止めた。
「……まだ気付かないのか? 自分の身に何が起きているのかを」
「はい?」
自分の体に目をやると、そこには体と言った物は無く
霧状のもやもやとした、ガスらしき物が浮いているだけだった。
「え?ちょっ、マジかよ… お前、俺に何したんだよ!」
老人は満足げな表情をしながら、俺の質問に淡々と答え始めた。
「本来の君の姿、意思の在るべき姿に戻ってもらっただけじゃよ。
何も心配する事は無い。今から君はローザミスティカと一つになるのじゃから…」
老人は、青い服を着た人形を腕で抱え、俺にゆっくりと近づいて来る。
「だから、ちょっと待てよ! 俺が一体何をしたって言うんだ? 」
「ローザミスティカを機能させる為には、精神との融合が必要不可欠でね。
意思の力を何処で手に入れるか悩んでいた所に、君がノコノコと現れてくれた訳だ…」
老人の持つ人形と霧状になった俺の体と重ると、
人形の口が大きく開き、俺の体が口から中へと吸い込まれ始めた。
「っておい!待ってよ、待ってくれよ! 俺じゃなくても別に構わない筈だろ?」
「本当に感謝しておるよ、フォッフォッフォッ」
「……!!」
俺の体がどんどん吸われていく。この場から逃走しようと何度か試みたが、
手足は体と共に霧状に変化しており、自分の意志では動く事さえ出来ない。
「ううっ…」
痛みは無いが、自分の存在が失っていく怖さはある。
どうしようも無い絶望を目の前にして、俺は自失していた。
『ガタッ…』
不意に人形が老人の手から離れ、床に落ちた。老人は何もせず、人形をじっと見つめいる。
俺のからだの吸引は、老人の手から人形が離れた時点で止まったが、
体は元に戻ってはくれなかった。
自失から立ち直ると、先程の人形が目に付いた。
節々の間接を軋ませ、芋虫のように地べたを這いずり回っている。
【何故人形が動くんだ?】と言う考えさえ、俺の頭には浮かばなかった。
やがて、人形は生まれたての小鹿のように、立ち上がっては転び、起き上がっては倒れるを繰り返し始めた。
その永遠とも思える不気味な光景を目前で繰り返された後、気付いた時には人形は普通に立てるようになっていた。
…俺の体はまだ元にはもどらない。
「お父様僕はもう大丈夫。後は自分で処理できます」
「そうか、では私は見ているとしよう」
奇妙な事に、人形と老人が話をしていた。
…話をしていると思う。俺の耳には、老人の声しか聞こえないが、人形の口も老人に伴って開閉しているからだ。
人形と目が合った。人形は、目を合わせたまま、こちらへと歩み寄ってくる。
何が起こるのかと、少し気になったが、人形の行動でそれは示唆された。
人形は瞳を大きく開き、さらには口を限界寸前まで開け、俺の体を再び吸い込み始めた。
…もう何も出来ない。足の感覚も手の感覚も無く、さらには意識さえ飛びかけている。
もう、半分くらいは吸われてしまったのだろうか?もう、俺も限界が近いらしい。
薄れゆく意識の中で、何処か遠くの方の輝きを目にした気がした。
・
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・
・
「…………」
ゆっくりと、瞼を開けた。眩しくも気持ちのよい日差しが俺を照らしている。
少しばかり開けられた窓からは、新鮮な空気が入り、俺が被っている布団は柔らかくそして暖かい。
「!!」
俺は驚きと共に、上半身を起き上がらせた。
「何故俺が此処に……」
思考を始めた瞬間、 頭に電気が走った。
思わず、頭に手を当ててしまう。
何か手に違和感を感じたが、今は痛みを抑える事に必死だった。
ようやく痛みが治まり、手の違和感を模索すると、何かが頭に巻きついていることが判明した。
巻きついた物が気になり、外して確かめてみると、それはただの包帯だった。
…包帯
急いで辺りを急い見渡すと、此処が病院だということに気付いた。
「おはようございます、やっと起きられましたね」
死角から声がした。反射的に声のする方へ顔を向ける。そこには点滴を持った看護婦が立っていた。
「…………」
突然の出来事に、頭が付いて行けず唖然としてしまう。
「貴方は一週間ほどずっと寝ていらしたのですよ。何でも頭部を強く打ったとかで…」
「…………」
「では、今から点滴を打ちますが、よろしいですか?」
「……あっ、まぁ」
どうやら俺は一週間も寝ていたらしい。此処に運ばれたという事は、あの老人や人形は夢だったようだ。
あれが夢で嬉しい反面、そんな夢をみる俺がどこか恨めしい。どうせ見るならもっと楽しい夢をと…
「点滴を打ち終わりましたよ。では、何か困ったことが有りましたら。どうぞお声をかけてください」
「…あっ、はい、ではまた」
看護婦は行ってしまった。
俺のベッドは窓際にあり、窓から柔らかな日差しがぽかぽかと暖かい。
…ここでこうしているのも、悪くないかもしれない。
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やっと退院する日が訪れた。頭の傷は治ったものの、慢性的な怠惰感は否めない。
主治医にも相談したが、それは一時的なもので特に問題は無いらしい。
長い間お世話になった看護婦や医者にお礼の言葉を残し、病院を出た。
電車に乗り、自室へと向かう。
久しぶり長距離を歩いた性か、それとも長期間の院内生活のお陰か、
家に着く頃には、病に掛った時のような気だるさが全身を蝕んでいた。
吐く息も重く、軽い眩暈さえする。
本に記されてあった【動かなければ筋力や心肺機能は退化していく】と言うのは、本当だったようだ。
そんなこんなで、今日は就寝時刻を早め、床に着く事にした。
見慣れぬ天井を迎えて、俺は体を起こした。
窓から入る淡い光は、今日一日の空模様を表しているように思える。
昨日早めに寝たお陰か、今は気分的にも肉体的にもとても清々しい。
脈打つ心臓も妙に力強く、院内で感じていたあの怠惰感は何処かへ行ってしまったようだ。
深呼吸と共に伸びをし、布団から出る事にした。
「…!」
足で何か硬いものを踏んでしまったようだ。反射的に体重を乗せまいと、前屈みに倒れ両手を床に付く。
後ろを振り返り踏んだ物を見つめると、妙に古臭い鞄が布団の横に置いてあった。
…之は俺のじゃない。………よな?
俺の脳には、この鞄の情報は記録されていない。
しかし、この部屋にあると言う事は、俺の物である事に間違いないはず。
「………」
どうやら、事故のショックで忘れてしまったらしい。
取り敢えず、中身が何なのか調べる事にした。
鞄に手を掛けロックを外す。鞄には鍵穴も付いていたが、鍵は掛っていないらしく何の抵抗も無く開いた。
…中には青い服を着た人形が収まっている。
どうやら俺は混乱しているようだ。多分、中にあの時の人形が入っているなど夢想だにしていなかった性だろう。
唖然としている俺を余所に、中の人形が動き始めた。
鞄の底に手を付き、上半身を起こして顔を俺の方へ向ける。
「やあ、久しぶりだね」
と、人形がさも当然のように言葉を発した。
その空気の振動が俺の鼓膜に伝わるや否や、俺の中の何かが崩れたような気がした。
時間の感じ方が変わり、一瞬の沈黙が何秒にも感じてしまう。
いや、実際俺の中の時間は止まっているのだろう。
その止まった時の中で、不意に俺の手に衝撃が走った。
…無意識の内に俺が鞄の蓋を力いっぱい閉めたからだ。
人形の姿が視界から消えたお陰で、俺は我に返ることが出来た。
立ち直ったのは良いが、今の状況はとても好ましくない。
頭をフル回転させ、これからどうすれば良いのかと思考を張り巡らせる。
もちろん、鞄には手で圧力を掛けてある。
「……これでよしと」
鞄の上に周囲の物を山積みにしておいた。
…それより、なんであいつが此処に居るんだよ。 ……まさか夢か?
部屋の異常を確認するため、辺りを素早く見渡す。
もし、これが夢なら何処か変わった所が見られると思ったからだ。
しかし、可笑しな点は何処にも無い。
寧ろ、『之が俺の部屋だ!』と、言わんばかりに見知った雑具が目に入るばかりだった。
やるせないまま鞄に目を移すと、内蓋を力強く叩く音が部屋に響いていた。
鞄だけなら幻覚として捉える事ができただろうが、その音が俺に幻と現実との区別を明確にさせる。
…大丈夫だ、奴は出られない。動物園に行って檻に入った猛獣を怖がる者は居ないだろう。
だから落ち着け。大丈夫だ。…大丈夫だ。
俺はで呪詛のように心の中でそう呟いていた。
顔を洗えば何か打開策が見つかるだろうと言う事で洗面所へと足を運ぶ。
鏡を見ると、引き攣らせた顔をした自身の姿が映っていた。