前スレ860の続きっちゅうことで。
スレまたぎで今までの話の流れが見えん! という方にはひたすら陳謝。
桜田家に到着した私を出迎えたのは、涙目で膨れ面を作る真紅だった。お叱りの言葉を
いただく前に、私は持っていたデパートの紙袋を真紅に差し出した。
「遅くなりました。申し訳ありません」
「――中身は何?」
「紅茶と、それに合う菓子を持って来ました」
一瞬、表情を綻ばせた後、真紅は鼻をスンスンさせながら呟いた。
「……そんなものでは、誤魔化されないんだから」
それから30分ほど後。桜田家のリビングは賑やかなお茶会の場と化していた。
「うわぁ……泉田さん、この紅茶とっても美味しいです!」
アルプスあたりの民族衣装を模した衣服をまとい帽子をかぶった、蒼星石というボーイ
ッシュな人形が嬉しそうに声を上げた。右眼が緑、左眼が赤のいわゆるオッドアイだ。
「ねぇねぇ蒼星石、このケーキもおいしいの〜♪」
蒼星石の横で、雛苺という人形がケーキに舌鼓を打っている。ここにいる人形の中で、
一際幼い容姿だ。ワンピースと同じピンク色の大きなリボンが一際目を引く。
「お馬鹿苺、ケーキはデカ人間が作ったわけじゃないです。美味しくて当然ですぅ」
雛苺の歓声を聞き、緑色のドレスをまとった人形が鼻先で笑った。蒼星石の双子の姉・
翠星石。蒼星石とは逆に、右眼が赤、左眼が緑だ。
「――『デカ人間』って、誰?」
「……お、お前の事を言ってる、ですぅ」
翠星石が、おずおずと小声で言いながら、私の鼻先に指を突きつけた。基本的には人見
知りが激しい臆病な人形らしいのだが、なかなかどうしてきつい事を言う――ちなみにジ
ュンくんは『チビ人間』と呼ばれているらしい。
「やめろよ翠星石。泉田さんに失礼だろ?」
「チビ人間は黙ってろです――あ、えと……お代わりが欲しい、ですぅ……」
「あなた達、少しは静かになさい。泉田、私にも紅茶のお代わりを」
翠星石がおずおずとカップを差し出したのに対し、真紅は悠然とカップを差し出してき
た。私は紅茶をカップに注ぎながら、目の前で繰り広げられている、賑やかな光景を見つ
めた。『微笑ましい』と取るか『姦しい』と取るかは別として、こういう喧騒は決して嫌
いではない。
「……機嫌は直ったみたいだな」
「泉田、何か言ったかしら?」
真紅の眼が光った。今度から、独り言は私独りだけのときに言うようにしよう。
それにしても、こうして見ていると到底人形とは思えない。喜怒哀楽の感情を持ち、言
葉を発し、食べ物や飲み物を口にする。以前この家を訪れた時にも思った事だが、一体、
どこの誰がこの不思議な人形たちを作ったのだろうか?
「デ、デカ人間っ、何やってるですかあっ!」
「ちょっと泉田! 何をぼーっとしているの!」
「――え? ……あ゛」
たった数秒意識を飛ばしただけで、悲劇は襲い掛かってくる。真紅が、翠星石が、彼女
らの叫び声に反応した雛苺や蒼星石が私を見上げている。私は大きく溜め息をついた。
テーブルの上には、温かな湯気を立てる紅茶の海が広がっていた。
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「まったく……お茶を淹れているときに眼を離すなんて、信じられないです」
「……面目ない」
何故か私はキッチンで洗い物をしている。大切な紅茶をテーブルに飲ませた罰だそうな
――紅茶第一主義者・真紅の発案である。翠星石が手伝ってくれている。
「それにしても、本当に美味しい紅茶だったです♪ どこで覚えたです?」
私が洗ったティーカップを拭きながら、翠星石が訊いてきた。
「――学生の頃、好きだった女の人が大の紅茶好きでね」
「それで、なんとか口説こうとしたわけです?」
「アパートに誘ってね。結果は失敗だった」
拭き終えたカップを置き、翠星石はきょとんと私を見上げた。やがてクスクス笑いなが
ら、翠星石は口を開いた。
「分かった。テーブルに紅茶をふるまったですね?」
「外れ――アッサムティーにミルクをつけるのを忘れてね。慌てて買いに出て、戻ってき
たら部屋から消えてた。それっきり」
「……しまらない結果ですぅ」
翠星石は、呆れながらもおかしそうに笑った。
ちなみに、テーブルに置いておいた4個のフィナンシェが、彼女と一緒に姿を消してい
たのだが、そんな事を告白しようものなら、翠星石から『お菓子以下なのですね、お前の
存在価値は』と、心底哀れまれることは確実である。
恥の上塗りは避けるに限る。私は食器洗いに専念することにした。
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不意に、翠星石が私の手を握り、俯き気味に言葉を発した。
「……くっつかなくて正解だったです。そんな女なんかには、準一郎の淹れた紅茶を飲む
資格はないです」
穏やかな物言いの翠星石だが、言葉の中に静かな怒りが感じられた。
「そりゃ、事前にミルクを用意し忘れて、慌てて買いに行く準一郎もおマヌケさんです。
けど、準一郎がいない間に出て行ってしまうなんて……冷たい女です。仮に巧くくっつく
事が出来ても、長続きはしなかったと思うです」
一気に言うと、翠星石は黙り込んだ。私は食器を洗う手を休めた。
暫くして、再び翠星石は言葉を発した。
「真紅が言ってたです……『美味しい紅茶を淹れる事が出来るのは優しい人間だけ』と。
準一郎の淹れた紅茶は、香りが良くて、温かくて、美味しくて……」
翠星石はそう言うと、微笑みながら私を見上げた。
「優しさが凄く伝わってきたです」
「優しさ?」
「美味しい紅茶を皆に出したいという思いです。真紅や蒼星石、チビ苺にも、準一郎の優
しさは伝わっていると、翠星石は思うです……あの、ごちそうさまでした……ですぅ」
翠星石はそう言うと、顔を赤らめながらゴニョゴニョ呟いた。何を呟いているのか気に
なるが、詮索するのはやめておこう。
私はそっと、翠星石の頭を撫でた。翠星石が、ビクッと身を縮こまらせた。
「紅茶の事で、そんな風に言われたのは初めてだよ……有難う」
「え……ど、どういたしましてですぅ♪」
翠星石は照れくさそうに笑った。
ごぼごぼごぼ、ごぼごぼごぼごぼごぼごぼ。奇妙な音がキッチンに響いた。
「……何です? 今の音は」
「さあ?」
すぐ間近で音が聞こえた気がしたので、私は下を見た。
「げっ!」
水が溜められた洗い桶の中から、手が2本伸びていた。人の頭部らしき物も見える。横
から覗き込んだ翠星石も絶句した。洗い桶の中のそれは完全に姿を現し、キッチンシンク
の中に立つと、妙に怒りながら服の裾を絞り始めた。
黒を基調にした衣装とプラチナブロンドの頭髪――ついさっき見たばかりだ。
「は〜あ、服がビショビショだわぁ」
「……自業自得だろうが」
私の呟きを聞き、それは顔を上げた。妖しく微笑む顔を見て、私は無性に腹が立った。
「うふふっ、やっと見つけたわぁ、人間……あら、今度は驚かないのぉ?」
「――いちいち驚いてられるか。また貞子みたいな悪趣味な登場をしやがって」
自分でも敵意剥き出しな物言いだと思う。貞子もどきの眉間に、深く皺が刻まれていく
のがはっきりと分かった。翠星石がいぶかしげに私を見た。
「……水銀燈を知ってるですか、準一郎?」
「水銀燈? 貞ぶっ!」
貞子に改名させろ、と提案しようとしたが、絶妙のタイミングで側頭部――ちょうどこ
めかみ辺りにヒットした水入りの洗い桶によって、私はキッチンの床に昏倒した。
提案は却下、というか未然に阻止された格好だ……残念。
「きゃあああああっ! 準一郎、しっかりするです! 水銀燈、何てことするです!」
翠星石が悲鳴をあげた。水が蓄えられた洗い桶って十分凶器になるなぁ……そんな事を
考えつつ、私は意識を手放した。
最後に見えたのは、怒筋を立てながら両手で洗い桶を抱えている、水銀燈という名前の
生き物(だと思う)だった――やはり人形なのだろうか?
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