その少女は何の取柄も持たない病弱な少女だった。
小さい頃から入退院を繰り返し、自分の未来に何の希望も見出せなくなった少女にとって
小さな病院が彼女の生きる世界そのものだった。
病院の中だけが自分の全て、社会に染まれば何の価値も無い只の一個人でしかないが、
この中では先生や看護婦、少女の両親が彼女の事を特別扱いしてくれる。
そして全てを病気の責任に転嫁して弱い自分の心を防御しながらも、
いつしか少女は自分の病気が治ることを無意識に拒絶するようになっていった。
社会生活も営めず、友達も知り合いも無く、傍から見れば悲惨な生活ではあったが、それが彼女の王国だった。
自分の惨めな状況、自分より先に退院してゆく何人もの患者達を羨む気持ちと、
外の世界への恐怖と自由へ憧れる心という二律背反に悩んだ末に、
少女は「水銀燈」というもう一人の自分を空想した。そして空想に逃げ込んだ。
少々勝気な性格のこの想像上の天使は、黒い天使の翼をつけて少女の前に現れ
彼女の話を聞いてくれる唯一の理解者となっていった。
少女が歌を歌うと、どこからとも無く現れて少女の声に聴き入り、いつか自分の魂を
大地のくびきから救いだし、天国へ導いてくれる存在だと夢想し、現実から逃避するための手段として、その空想の友人を良い様に利用した。
少女は自分の惨めな王国が少しでも長く続くように、食事を拒否したり、
医者の言う事を守らなかったりしていたが、そんな世界が長く続く筈も無く、
とうとうある日、退院する日がやって来た。彼女にとってそれは地獄であったろう。
退院して自宅療養になった後も、少女は何とか空想に逃避する事で生活を続けている。
今では昔の友人「水銀燈」の事は忘れてしまったらしいが、
彼女自身は、黒い羽飾りのついた帽子を好み、黒い服をいつも着ながら
ひとり寂しく「からたちの花」を歌っているという事だ。
おそらく、少女は水銀燈になりたかったのだろう。
時々、現実逃避の手段として空想を用いる人を見ると
私はそんな悲しい少女を思い出す。