「のりだけズルイの〜〜〜〜っ!」
土曜日の夕方の桜田家。玄関発リビング行きの絶叫は、雛苺の口から発せられた。
何事かと血相を変えて玄関に駆けつけたジュンの目の前には、微笑ましいのか涙ぐまし
いのか、判断に迷う光景が展開されていた。
「のりから苺のいい匂いがする〜〜〜〜っ! ヒナも苺が欲しいの〜〜〜〜っ!!」
「あ、あのあのあのあの……ああああっ! ヒ、ヒナちゃん泣かないでええええっ!」
「苺〜〜〜〜っ! 苺が欲しいの〜〜〜〜っ!!」
寝転がって四肢をじたばたさせる雛苺と、玄関先でおろおろ立往生するのりとを交互に
見遣りながら、ジュンは溜息をついた。この人達は一体何をやってるの……と。
「……騒々しいわよ、雛苺。あなたはそれでも誇り高い薔薇乙女のドールなのっ!?」
いつの間に来たのか、真紅が雛苺に意見する。いや、意見というよりも、むしろ凄んで
いると言った方が正しいかも知れない。その余りの迫力に雛苺は即座に泣き止んだ。
「真紅……くんくんはいいのか?」
キッ!
「ヒイッ!」
触れてはいけない話題だったらしい。ジュンが何気なく見た玄関の壁掛け時計の針は、
放送終了10分前を切っていた。水戸黄門は20時45分頃から悪人を懲らしめに掛かる。くん
くんの犯人当ても、まぁ似たようなものだ。つまりは、真紅はくんくんの謎解きスタート
の瞬間を見損ねた事になる。
足音も荒く、肩をいからせながらリビングへ戻る真紅を見送ると、ジュンはヒクヒクと
すすり上げる雛苺のそばにしゃがみ、優しく話しかけた。
「どうしたんだよ、雛苺?」
「いっく……ひいっく……」
「ええいっ! いい加減大人しくしやがれです、おバカ苺!!」
2階から翠星石が『飛んできた』。
「馬鹿っ! お前、家の中をトランクで飛ブッ!!」
ジュンの言葉が、その口から最後まで紡ぎ出される事はなかった。
「いてててて……どういう事なのか、説明してもらおうか……姉ちゃん」
所変わってリビング。ジュンはソファの上に胡坐をかいていた。その側で、翠星石がぶ
つぶつ言いながら、ジュンの腫れ上がった頬を濡れタオルで押さえている。ジュンの対面
では、のりが正座している。
「あ、あのねぇ……」
申し訳なさそうに上目遣いになりながら、のりが口を開いた。
のりの話はこうだ。
放課後の帰り道で、のりは部活の同級生ととある喫茶店に入った。その時のりが口にし
たストロベリーカフェモカなるものの残り香に敏感に反応した雛苺が、「ヒナも欲しいの〜
〜〜〜っ!」と駄々をこねた、以上。
「深みも渋みもない、及第点以下の説明文だわね」
優雅に紅茶を嗜みながら、真紅が意味不明な指摘をした。それをサラリと聞き流すと、
ジュンは呆れたような口調でのりに問い質した。
「というかさ、姉ちゃん……それだけの為に僕はこうなったわけ?」
「……ごめぇん」
「まったく……人形騒がせなのりですぅ」
「人騒がせな事をしたお前が言うなよ、性悪人形っ! はぁ……馬鹿らし。寝る」
のりや真紅が呼び止めるのも聞かず、ジュンはリビングを辞した。
ドアが閉まる寸前、ジュンは、視界の隅にいる雛苺を見た。
雛苺は何か言いたそうな、そして、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
----
そして真夜中。
「……真紅――よし! 翠星石――よし! 雛苺――よし!」
部屋に鎮座ましましている3つのトランクを確かめ、ジュンはベッドを抜け出した。
枕元に用意しておいた薄手のジャンパーを羽織ると、ジュンは足音を忍ばせながら、ド
アのレバーハンドルを操作した。音がしないように、細心の注意を払いながらドアを開け、
部屋を出る。ドアを閉めるときも同様で、極力静かに……。
「はぁ……僕の部屋なのに、なんでこんなに気を遣わなきゃならないんだろ……」
小声で呟くと、ジュンは階段を下りていった。
「翠星石……起きていて?」
「もちろんです、真紅」
「行くわよ」
「まったくチビ人間め、何をコソコソと動き回ってるです……」
ひそひそ声とトランクのラッチが外れる音が、部屋の中に響いた。
「……こんな感じかなぁ?」
誰もいないはずのキッチンに、煌々と明かりが灯っている。その中でジュンは、カップ
に入った出来たてホヤホヤの茶褐色の液体を見つめていた。中身はエスプレッソとチョコ
レートソース。しかし、これはあくまでもベースである。
これに蒸気で泡立てたミルクと、ホイップクリームを載せ、その上にストロベリーソー
スで星形の模様を描けば、ストロベリーカフェモカの完成である。
「ホイップクリームとストロベリーソースは、あとで買いに行くとして、だ。とりあえず
味見をしないとな……」
ジュンはカップに口を付け、中の液体を1口飲んだ。
「……こんなもんか。まぁ、雛苺が飲むんだから、チョコレートソースは少し多めにしと
いた方がいいかな?」
明日、雛苺にコレを出したらビックリするだろうな……ふとそんな事を考え、ジュンは
少しだけ表情をほころばせた。もっとも、その後で
「……別にどうでもいいんだけどね。というか、『食べ物の恨みは恐ろしい』って言うし、
この先夜な夜な『苺が欲しいの〜』なんてすすり泣かれても困るから……ただそれだけだ
からな!」
と、言い訳めいた独り言を呟いたのは、言うまでもない。
「――なるほど。そういうことだったのね、ジュン」
「まったく……チビ人間は愛情表現が下手くそですぅ……」
物陰から様子を窺っていた真紅と翠星石は、顔を見合わせクスクスと笑うと、ジュンに
気付かれないよう部屋に戻っていった。
----
翌日。のりが日曜日恒例の練習試合に出掛けて、残されたジュンと3体の人形達だけで
昼食を済ませた後の事。真紅と翠星石が、録り溜めしていた『名探偵くんくん』のビデオ
を見ていると、雛苺が嬉々とした表情で何かをトレイに載せて持ってきた。
「〜〜〜〜♪」
「あら、どうしたの雛苺? 嬉しそうね」
「鼻歌なんか歌って……頭の中に本格的に春が来たですか?」
「むぅ〜〜〜〜、そんなんじゃないの! 見て見て真紅、翠星石!」
雛苺が手にしているトレイには、コーヒーカップが3つ載っていた。泡立てたミルクの
中にホイップクリーム。そしてその上を鮮やかに彩る星形のストロベリーソース。夜中に
ジュンが寝る時間を惜しんで作っていた、ストロベリーカフェモカの完成品である。
「うわぁ……苺の匂いが美味しそうですぅ」
「エヘヘ。ジュンがね、皆で飲むようにって♪」
「そう……それで、ジュンは?」
「うん……なんだか、すごくおねむだったみたいなの。ヒナ『一緒に飲もう』ってジュンを
誘ったのに、ジュンお部屋に行っちゃったの」
少しだけ雛苺の表情が曇った。真紅の脳裏を、朝食のときに見た、目の下に隈を作った
ジュンの顔が過ぎった。多分あれから一睡もしていなかったのだろう。ベッドの中で、泥
のように眠るジュンの姿を想像し、真紅は心の中でジュンの労をねぎらった。
「――まったく、雛苺の誘いを断るなんて、失礼な家来だわ」
もちろん本気で言ったわけではない。しかし、真紅の言葉を聞いて、雛苺が頬っぺたを
膨らませた。
「むう! 真紅、ジュンの事を悪く言っちゃめっめー、なのぉ!」
「そうですよ真紅。今日のところは、ジュンをゆっくり休ませてあげるです……ね?」
辛口の翠星石が、珍しくジュンの事を『ジュン』と呼んだ。少しも照れることなく、ごく自然
に、穏やかな表情で。真紅と一緒に、夜中にキッチンに立っていたジュンの姿を見ていた
翠星石は、先ほどの雛苺からの報告を聞いて、何か感じたものがあったのだろう。
「……そうね、その通りだわ。さぁ、冷めないうちに頂きましょう」
真紅の提案に異を唱えるものはいなかった。
昼下がり。3体の人形が繰り広げる喧騒の中、部屋にほんのりと苺の香りが漂っていた。
<終わり>
……締めが甘いなぁorz