nのフィールドを闊歩する一人の血のように赫いドレスを着込んだ少女。諸刃
の手斧をその右手に持ち、周りに辺り構わず振りまいているのは狂気と殺意の入
り混じったどす黒い感情。一人何事か呟きながら彷徨っている。
「生きるは醜い。可哀相。私が全て壊して犯して殺してあげる。」
悪意を振り撒く少女に運悪く、なのか邂逅してしまった一体のドール。紅いゴ
シックドレスにヘッドドレスを被った少女よりも更に小さい、一見少女、否童女
に見えるそのドール、真紅は只ならぬ雰囲気に身を硬くした。出会いが始まる。
「人間…じゃない?でも壊してあげる。全部私が!」
「なんなの、貴女?いきなりなんだというのかしら?」
少女の鬼気迫る様子に真紅が外面だけを取り繕って平静を装って対応する。し
かし少女はそんな真紅の様子も歯牙にもかけず、斧を振りかざして地を駆けて距
離を詰めてくる。恐るべき速度。真紅は咄嗟に薔薇の花弁を放出して身動きを封
じようと少女の躯全身に薔薇の花弁が覆い被される。一瞬だけ身動きが止まる。
其の隙に真紅が問いを発した。
「人間、貴女何者なの?いきなり攻撃を仕掛けてくるなんてどういうつもり?」
だが少女は答えない。躯に力を込めると一斉に薔薇の花弁が舞い散った。力押
しで花弁の拘束から抜け出すと真紅に迫る。其の速度は先ほどよりも増した、迅速。
真紅は薔薇の花弁を刃のように撃ち放ち、迫る少女を牽制しようと。しかし、皮
膚を切り裂きドレスを引き裂いた薔薇の花弁にもまるで怯むことなく、懐に飛び込
むと斧の腹を真紅に叩き込んだ。鈍い音と共にドールの華奢な躯が吹き飛ぶ。球体
間接が悲鳴を上げてバラバラに砕け散る寸前までの一撃を受けて真紅が動かなくな
る。
「真紅!」
「いったいどうしたですぅ!?」
駆けつけたのはシルクハットに少年のような蒼い服を着込んだ蒼星石と翠のロン
グドレスとレースを頭に装飾した翠星石だった。崩壊寸前までの一撃を受けた真紅
を庇うように少女と真紅の前に護るように立ちはだかる。
「気をつけて…あの子…只者ではないのだわ…。」
「真紅、喋らないでじっとしていて。ここは僕たちが何とかするから。」
蒼星石が真紅を気遣う。そして少女が二人目掛けて迫る。
「スィドリーム!」
翠星石が庭師の如雨露を呼び出して少女の足元に植物を生やす。巨大化して少
女を包み込むように巻き込んだ植物は一時的に少女の動きを止める。
「悪いけど終わらせてもらうよ!」
蒼星石が跳び上がり、少女の胸元に一撃を決めるために庭師の鋏を取り出す。
そこに少女の邪悪な笑みが浮かんだ。四肢に力を込めると植物の蔦が一瞬にして
弾け飛ぶ。そして自由を取り戻した少女は庭師の鋏を手斧で迎え撃つ。金属のぶ
つかり合う甲高い悲鳴。拮抗するかと思われた力の均衡は脆くも崩された。少女の
人外とも言える、異常な腕力。とても其の細腕から放たれるとは思われない万力が
蒼星石を弾き飛ばす。
「蒼星石!」
翠星石が悲鳴を上げる。咄嗟に庭師の如雨露で蒼星石の前に植物の壁を作って
護ろうと試みる。其の途端少女が向きを変えた。地を蹴ると方向転換して、翠星石
の方に向かいだす。フェイントだった。蒼星石を狙うと見せかけて翠星石に狙いを
定める。慌てて如雨露で水を撒いて植物を生み出そうとするが、そのタイムラグの
間に水を撒いた地点を疾風の速度で駆け抜けて翠星石へと――。
まさに斧が振り下ろされる瞬間に防いだのは先ほど吹き飛ばされた蒼星石だった。
しかし体勢も不十分で恐るべき腕力を発揮する少女の前に蒼星石は翠星石ごと吹き
飛ばされる。二人して縺れ合うように地面を転がった後、立ち上がろうとするが
力が入らない。少女がトドメを刺すべく二人の下へと歩み寄る。狂気の嗤いを浮べ
て。
そこへ二体の影が現れる。小さなその二つの影の片方が重苦しい空気を振り払う
かのように明るく告げる。
「ローゼンメイデン1の策士金糸雀かしら〜。真紅達のピンチを楽してずるして
恩を売っちゃうのかしら〜。」
黄色い傘をくるりと廻してnのフィールドに現れる。そしてもう一つの小さな
人影は。ピンクゴスロリを着たリボンの特徴的な最も小さなドール雛苺。
「うゆ〜、皆を虐めちゃ駄目なのぉ〜。」
また破壊を邪魔された少女は不快げに2体を見やるとそちらに向かって歩みを始
めた。狂気に歪んだ笑み。邪魔はされたがまるで獲物が増えた事に歓迎するような。
「第一楽章、攻撃のワルツ!」
バイオリンの音色と共に音波の見えない衝撃波が少女を襲う。しかし、まるで
動じた様子も無く、斧の腹で弾き飛ばす。気配でも読めるのか見えないはずの攻
撃を難なく弾け飛ばした。
「カ、カナの攻撃が効かないかしら〜。」
弱気になる金糸雀。雛苺がすかさず援護する。
「もう、怒ったなのぉ!」
苺轍が足元から生えて少女を拘束する。右手の斧まで拘束して動きを鈍らせる。
しかし翠星石の蔦まで振り解いた少女には時間稼ぎにしかならない。
「金糸雀!早くなのぉ。」
「わ、判ったかしら。最終楽章、破壊のシンフォニー!」
焦る雛苺に金糸雀が自身最大の攻撃を仕掛ける。バイオリンを肩にかけて弦を
弾き巨大な竜巻を発生させる。烈風が吹きすさび少女のか細い躯に直撃する。風
の刃が衣服を切り裂き、其の肌をも切り裂いていく。其処で少女が動いた。苺轍
による戒めを引き千切り、諸刃の手斧を振り下ろす。生み出された瘴気とも言え
る悪意の満ちたどす黒い衝撃波が竜巻を二つに裂いて金糸雀と雛苺の間を通り抜
けていった。破壊が蹂躙して大地を削り、その爆裂に二体が巻き込まれて吹き飛
ばされる。悲鳴が掻き消されて、金糸雀と雛苺もその場に倒れこみ動かなくなる。
少女の破れた衣服は不思議と再生していき元のダークレッドのドレスへと姿を
戻した。しかし躯の裂傷から流れる血は止まらない。全滅の危機に誰もが焦燥感を
覚える中、最も意外な援軍が登場した。
「なんだか騒がしいと思ったらなぁにぃ?無様にみんなやられちゃってぇ。真紅
を倒すのはこの私ぃ。勝手にやられては困るのよねぇ。」
「……………アリスゲームの邪魔は許しません……。」
黒い翼を身に纏い、逆十字を背負わされた最凶ドールこと、水銀燈と、左眼に眼
帯をつけた淡い紫の薔薇をモチーフとしたドレスを纏った薔薇水晶だった。
新たな来客に少女が不敵に嗤う。皆殺し、全てを破壊する。堕ちて穢れて死を
齎す。それが使命と自負する少女は新たな二体と対面する。薔薇水晶の唐突な攻撃。
地面から水晶を生やして串刺しにせんと大地を埋め尽くす。呼応するように地を蹴
り飛び上がる。少女。すかさず其処に水銀燈が剣を持って振り下ろした、また、少
女が嗤う。待っていたとばかりに。振るわれた斧の凶刃は剣を圧し折り、水銀燈に
喰らいつくように斧が迫った。慌てて後退する彼女。其処へ薔薇水晶が宙を舞い
追撃に移った。水晶の剣を二本生み出して交差させるように斬り付ける。その中心
に斧を叩きつけて応戦するが折れたのは水晶の剣が一本のみ。そのまま弾き飛ばす
かのように斧を振るい薔薇水晶を引き離すと大地に舞い落ちる。そして水銀燈目掛
けて、疾風迅雷の速度で跳躍する。
「この水銀燈を舐めるんじゃないわよ!」
翼から刃のように羽の嵐が降り注ぐ。それを斧を盾にして顔と胸だけを覆って、
それ以外は躯に羽が次々と突き刺さる。流血し、傷つきながらも恐るべき速度で
水銀燈に迫るとその腹部目掛けて斧を薙いだ。まさか全く怯むことなく距離を一
瞬にして詰めらることを予想だにしなかった水銀燈は身を捩る事が精一杯で胴体
を半ばまで切断される。黒のゴシックドレスが凪ぎ散らされて、斧の一撃の衝撃
で地面まで叩きつけられた。
残る薔薇水晶は水晶の飛礫で牽制して少女の侵攻を阻もうとする。けれども少女
は躯を小刻みに左右に揺らしながら突進してきて、飛礫をかわす、或いは斧で弾く
。既に金糸雀に引き裂かれ、水銀燈の羽を受けて血に塗れた其の躯を物ともせずに
迫る姿は正しく鬼人。薔薇水晶は咄嗟に水晶の剣を右手に生み出し、振り下ろされ
る斧の黒刃に対抗すべく受け止めようとするがあっさりと砕ける。斧が眼帯を掠め
てはらりと地面に堕ちた。一瞬の動揺が生まれた隙に少女の左拳がが躯も砕けよと
ばかりに薔薇水晶の腹部に叩き込まれる。叩き上げるように舞い上げられた其の一
撃に数メートルの距離を舞って地へと無残に叩きつけられた。
最早動けるドールはほとんどいない。破壊の宴がまさに開かれんとした時に、真
紅が躯を軋ませながら立ち上がった。
「水銀燈、まだやれるわよね。この位でへこたれる貴女じゃないでしょう?」
「言ってくれるわねぇ、真紅ぅ…。」
元から胴の無い水銀燈にはショックは大きかったものの物理的なダメージを少な
めだった。そしてもう1体のドールが立ち上がる。
「…………お父様の邪魔は……させません……。」
砕けそうな躯を気力だけで動かしながら、薔薇水晶が立ち上がる。
「不本意だけど、貴女達と力を合わせるしかないようね」
「それはこっちの台詞よぉ。」
「………………目的の為に手段は選びません……。」
三体のドールが力を合わせた総力戦が始まった。気を失っている他の4体のド
ールが参戦できない今、負ければ目の前の少女の贄となるだろう。
真紅がまずは立ち向かう。宙を舞うことの出来る、nのフィールドのドール
だけの利点を生かして空から。注意を引き付ける為に薔薇の花弁で少女に向かって
攻撃を仕掛ける。地に佇む少女は其の攻撃を避けながら隙を見て跳躍する。常人
では届かない高みに身を浮かす真紅に向かって軽々と間合いを詰めてその諸刃の破
滅を齎す斧を振り上げる。真紅の薔薇の花弁の盾が迎え撃つ。
「喰らい尽くせ。」
少女が呟くと共に薔薇の花弁の盾があっさりと飲み込まれるように砕け散った。
そして真紅が切り裂かれる。筈だった。だが其処には真紅は居なかった。
「後ろ――!」
少女が気付いて振り向いた時にはもう遅かった。薔薇の花弁を目晦ましにして
背後に廻った真紅が最後の力を込めて右腕から渾身の一撃を打ち放つ。少女の頬に
炸裂し、為す術も無く宙を吹き飛んだところを逃がさずに水銀燈が剣を生み出して。
「さっきのお礼よぉ!」
少女の腹部目掛けて剣を突き刺した。鮮血が散り、少女が吐血する。それでもま
だ少女は動く。水銀燈の肩を掴み地面へと向けて怪力で叩きつける。その瞳には殺
戮の狂気と自身の血に塗れた恍惚の色。吐血して口元を押さえながら落下している
最中に薔薇水晶が水晶の剣で其の首目掛けて最後の一撃を――。
そして胴体と首が泣き分かれした少女の遺体が地面にボタリと堕ちた。
「いったい、なんだったのかしら。」
地面に落ちて力の抜けた躯を横たえながら呟く水銀燈。しかし其の問いに答えら
れる者は誰も居なかった。
了