「ジュン、はっきり言ってくれてかまわないのだわ」
「真紅と翠星石のどっちを選ぶかはっきりするですぅ」
2体の人形が腕組みをしながらジュンをにらみつける。
「真紅・・・ゴメン・・・」
真紅はジュンに振られてしまった。
ジュンはこれまでどおり一緒に暮らそうと言ってくれたが誇り高い真紅は受け入れられない。
ミーディアムを寝取られた人形として同じ屋根の下で翠星石と暮らせるわけがない。
真紅はトランクを引きずりながら桜田家を出て、行くあてもなく歩く。
(ジュンが私を捨てるはずがないのだわ、きっとすぐに追いかけてくるわ)
トボトボと歩く真紅に小雨が降りかかる。
(雨だわ・・・どこかで雨宿りするのだわ)
プルル・・・プルル・・・ガチャ
「はい、桜田です」
「私よ、真紅なのだわ。ジュンに代わってもらえるかしら」
ジュンに捨てられてから3ヶ月が経ったが真紅はいまだに諦めきれずにいた。
「・・・真紅ちゃん、もうジュン君は話したくないって」
「ジュンは翠星石に騙されているのだわ、少しだけ話がしたいのだわ」
振られた原因を自分に求めず、ジュンが騙されていると主張するのは高すぎる誇りのせいだろうか。
「はっきり言うけど真紅ちゃん、ストーカーみたいだよ」
ガチャ・・・
ノリに電話を切られてしまった真紅は電話ボックスの床に座り込む。
(わ、私がストーカーですって・・・そ、そんな・・・)
寒風の吹き荒ぶ中をねぐらにしている公園まで歩く。
(ジュン・・・どうして私を捨てたの・・・なぜ・・・)
真紅は近所の公園のトイレで暮らしていた、人形にとってホームレス生活は過酷である。
すでに服はあちこちがほつれ、砂埃が入りこんだ球体関節は軋みをあげる。
陽に晒された髪は色が薄くなり、ゼンマイには錆が浮きはじめていた。
ここまで落ちぶれていても真紅は新たなミーディアムを捜すことはしなかった。
(きっと翠星石がジュンの夢に入って操っているに違いないわ・・・)
ジュンのことを諦めきれないのは愛だろうか、それとも翠星石に対する嫉妬だろうか。
翌朝、目覚めた真紅は自分でゼンマイのネジを巻く。
錆の浮いたゼンマイはギシギシと音を立て、今にも千切れそうである。
人目が無いのを確認して公園のゴミ箱を漁り、食べ物を手に入れる。
贅沢は言ってられない、腐ったコンビニ弁当でもあれば良いほうだ。
今日は幸いにもカビの生えたパンとリンゴの芯が捨てられていた、小さな両手で抱えてトイレに戻る。
「お!いいもん拾ったぞ!これ売れそうだ」
「シゲさん、古道具屋もってけば焼酎一本くらい買えるべ」
真紅がトイレに戻ると薄汚い作業着を着たホームレス二人が大声で騒いでいた。
(あ、あれは・・・私のトランク!!)
ホームレス達は真紅のトランクを乱暴に扱いながら持ち去ろうとする。
「ま、待つのだわ!それは私のトランクなのだわ!!」
真紅はホームレスのズボンを引っ張って返すように要求する。
「なんだ?このちっこいのは?俺が拾ったのは俺の物だ!」
小さな人形が自分より大きなトランクの所有権を主張したところで信用されるはずもない。
ホームレスはいつまでも手を離さない真紅に腹をたて、掴みあげる。
「返すのだわ!返すのだわ!」
真紅はホームレスの腕をポカポカ殴るが、殴られた方は気にする様子も無い。
「生意気な人形だ、ちょっと頭冷やせや!」
ホームレスはトイレの大便器に真紅を頭から突っ込む。
ジョボジョボジョボ・・・
真紅の全身に熱く臭い液体が注がれる。
(や、やめるのだわ!!)
真紅は手足を振り回して便器から脱け出そうとするが、首がスッポリはまり脱け出せない。
体中に臭い液体が滲み込み、おぞましさに体が震える。
30分後、ようやく大便器から抜け出した真紅は泣きながら公園の中を探し回る。
(ない・・・どこにもない・・・私のトランクが・・・)
すでに真紅のトランクは持ち去られ、中に入っていたマイカップや人工精霊も失った。
顔は涙と埃でグシャグシャになり、服も泥だらけ、体からは汚物の異臭が漂う。
真紅は水飲み場に向かい、顔の汚れを洗い落とす。
服も脱ぎ、足で踏んで洗うが服の汚れは容易には落ちない。
かつての鮮やかな紅色は失われ、ドス黒い赤色に茶色のシミがあちこちにあるボロボロの服。
ベンチに服をかけて乾かそうとすると誰かの手が服を奪い去った。
「わ、私の服!」
いつの間にか真紅の周りを小学生の集団が取り囲んでいた。
「こいつが噂のお化け人形か〜」
真紅の服を取り上げた小学生は服を丸めて仲間同士でキャッチボールを始める。
「返すのだわ!返して!」
服が右へ左へと投げられるたびに真紅も泣きべそをかきながら右往左往する。
フラフラになった真紅はその場に座り込み、グスグスと泣き始めた。
小学生の一人が憐れに思ったのか、丸めた服を真紅に差し出す。
「あ、ありがとう・・・」
涙をこぼしながら真紅が服に手を伸ばすと・・・
ぽーーーん!
小学生は近くの樹の上に真紅の服を投げつける、服は樹の枝に引っかかり、落ちてこない。
真紅は樹の下で服に手を伸ばすが、とても届かない。
樹によじ登ろうとするが、ズルズルと滑り落ちてしまう。
指さして笑う小学生たちに真紅は頭をペコペコ下げて頼み込む。
「あの服をとって欲しいのだわ、お願いするのだわ」
地面に頭をこすり付ける真紅にかつての威厳はない、小学生もバカにする。
「取ってやってもいいけど、お礼は何をくれるんだ?」
「お、お前を私のミーディアムにしてあげるのだわ」
小学生たちは真紅を近くのゴミ箱に放り込み立ち去っていった。
自らが人に可愛がってもらえる人形でなくなったことを悟った真紅はゴミ箱の中で涙を流す。
ゴミ箱をガタガタ揺らして倒し、なんとかゴミ箱から脱け出す。
再び服を取り戻すために樹に登ろうとするが、すべって登れない。
力尽きて樹の根元で倒れこんだ真紅に白い物が降りかかる。。
「雪だわ・・・」
下着姿の真紅に寒さが骨にまで滲み込んでくる。
寒さをこらえきれなくなった真紅は服をあきらめ、住居にしているトイレに向かう。
トイレにつくと仲良くしている野良犬が擦り寄ってくる、犬好きな真紅にとって心休まる唯一の相手である。
「くんくん、私は捨てられた人形なのだわ。お前と一緒なのだわ」
犬の首に抱きつき顔を埋めると、野良犬もペロペロと顔を舐め返してくる。
「もう寝ましょう、9時なのだわ」
トランク代わりのダンボール箱にもぐり込もうとすると犬が腰を擦り付けてくる。
「あらあら、止めなさい。寝られないのだわ」
真紅が笑いながら犬を押しのけようとすると、犬は背後に回り圧し掛かる。
ハァハァと息も荒く真紅の両腕を押さえつけると、口でくわえて下着を剥ぎ取る。
ようやく野良犬の意図をさとった真紅は必死にもがく。
「や、やめるのだわ!!私は犬ではないのだわ」
真紅の股間に犬の物がグイグイと侵入し、真紅の最後の誇りを汚していく。
ようやく真紅の中で果てた犬は慰めるように真紅の顔をペロペロ舐めるといなくなった。
下着も破られボロボロになった真紅は呆然としてトイレの床に倒れこんだままだ。
「ジュン・・・ごめんなさい・・・」
裸になってしまった真紅には寒さが骨にまで滲み込む。
拾ってきた新聞紙を体に巻きつけるが震えが止まらない。
「寒いのだわ・・・寒いのだわ・・・」
コンクリートの床と入り口から吹き込む風が容赦なく真紅の体温を奪っていく。
「このままでは凍死してしまうのだわ・・・」
すでにトイレの外には5cmほど雪が積もっていた、10cmも積もれば人形の真紅には身動きが取れなくなる。
助けを求めるためにトイレの外に出た、雪が降りそそぐ中を電話ボックス目指して歩き出す。
真紅の頭や肩に雪が降り積もっていく。
真紅は雪の中を苦労しながら歩く。
体に巻きつけた新聞紙は風に飛ばされ、股間から垂れる液体が足の関節を凍らせていく。
雪の中で何度も転んでしまい、全身がキズだらけになる。
電話ボックスについた真紅は凍える手で桜田家の電話番号を押す。
「はい、桜田です。もしもし?」
思いがけず最初にジュンが電話口に出た、真紅はいきなりのことで声がでない。
「もしもし?・・・もしもし?」
ここで素直に助けを求めれば良かったのだが、プライドが邪魔をした。
「お、お前をミーディアムにしてあげるのだわ・・・」
かすれた小さな声でまたミーディアムになることを求める。
「!?・・・真紅か!ふざけるな!いいかげんにしろ!」
ガチャ・・・
電話の受話器を抱えたまま真紅は涙をこぼす。
(ジュン・・・ジュンに名前を呼んでもらえたのだわ・・・)
今の真紅には昔の生活を思い出させるジュンの声だけが心の支えだった。
再び受話器を取り、桜田家に電話をかける。
すぐに切られたが何度でもかけなおす、手の中の小銭がなくなるまで。
ジュンにまた名前を呼んでもらうために。
翌朝、雪化粧で真っ白になった公園を会社に向かうサラリーマンが通りかかった。
サラリーマンがトイレに用を足しに入ると、足の下で何かがグシャッと砕けた。
「なんだこりゃ?壊れた人形か」
サラリーマンはそれを公園の茂みに蹴りこむと、急いで会社に向かった。
「ジュン、はっきり言ってくれてかまわないのだわ」
「真紅と翠星石のどっちを選ぶかはっきりするですぅ」
2体の人形が腕組みをしながらジュンをにらみつける。
「真紅・・・ゴメン・・・」
真紅はジュンに振られてしまった。
真紅は荷物をまとめ重い足取りで桜田家を出て行った。
「次はもっとうまくやっていくのだわ」
だが行く当てもなく途方に暮れて立ち尽くした。
「フフフ・・・」
どこからか微かな笑い声が聞こえてきた。
「隠れていないで出てきなさい!水銀燈!」
真紅の頭上にフワリと現れる。
「追い出されたの? 相変わらず無様ね、真紅」
「あなたには関係のないことだわ」
「そんなことないわ、惨めで無様なあなたの姿を見るのはとっても楽しいもの」
頭にきた真紅は水銀燈を無視して立ち去ろうとした。
「それで、どこか行く当てはあるの?」
無言で歩き続ける真紅。
「その様子じゃ今夜どこに泊まるかも決まっていないようね」
「あなたの誘いは受けないわ、水銀燈」
「待ちなさい!真紅」
水銀燈の強い口調に真紅は足を止めた。
「このまま一人で野良になってもぼろぼろに朽ちるだけだよ。あなたが傷付くのは見たくないわ」
「さっきと言うことが全然違うのだわ」
「そんなことでアリスゲームから脱落して欲しくないのよ。私があなたからローザミスティカを奪うまでは」
「それで何が言いたいの?」
「新しいマスターを紹介してあげる」
自分だけ長い眠りに再びつくのはイヤだった真紅は水銀燈の話に胸が高鳴った。
が、それを見透かされたくないので間を置いてからゆっくり尋ねた。
「で、どんな人を紹介してくれるの?」
「そうねぇ、あなたにはこの人なんかどうかしら」
水銀燈は分厚いファイルから一通の用紙を抜き取り、真紅に手に落とした。
真紅は食い入るように用紙を見る。顔写真、住所、氏名、年齢・・・。
「フランスね・・・年も若いわ(いい男だし)・・・って何この財産!」
真紅は眼を見張った。そこには天文学的な数字が。
「フフフ・・・。円じゃなくユーロよ。どちらにしても桜田家なんか比較にならないけど」
ジュンのことを持ち出され思い出した真紅は、彼らを憎んだ。
「どうでもいいわ、そんなこと(これをものにすれば見返すことが・・・)」
(あなたの感情が手に取るように分かるわ、真紅。もう逃げられない、針にかかった魚のように)
「それで、代わりに私は何をするの?ただなんて気味の悪いことは言わないでね」
「もちろん、ただじゃないわ」
(クソ!ただじゃないのかだわ!)
「条件があるわ」
「どんな?」
「その1、私に逆らわず私の言うことを聞く駒になること。
その2、マスターに逆らわず関係を長続きさせること。桜田家でのような失敗は許されないわ。
その3、あなたの私のこの契約は他の姉妹には明かさないこと。
この三つが条件よ」
(3番目は問題ない。水銀燈の紹介だなんて誰にも言うはずがない。2番目は当然。でも1番目は・・・)
「1番目の条件が気に入らないわ」
「どうして?それがなかったら私にメリットがないわ」
「でも、いつまでも命令される訳にはいかない。1回だけなら聞くのだわ」
「少ないわ。3回は働いてもらわないと」
「1回でないとこの話は受けないわ」真紅の手に汗がにじむ。
「しょうがないわね・・・じゃあ1回だけでいいわ」
ホッとする真紅。
(フフフ、私の目的を達するには1回で充分よ)
「このマスターのところには、どうやっていくのだわ?」
「問題ないわ。すぐに手配する」
「どうやって?」
「私には私の言うことを聞く部下が何人もいるのよ」
「マスターが何人もいるの?」
「違うわ、私がマスターなのよ。ある程度の力があれば、その力は増殖してさらに強い力になれるのよ。まあ長年眠り続けて、起きてもニート相手にお茶飲んでばかりいた今のあなたに言っても分からないことでしょうけど」
「・・・」
「来たわ。あの車に乗れば空港に行って、そのまま新しいマスターのところにまで連れて行ってくれるわ」
「水銀燈・・・なんてお礼を言ったらいいか」
黒塗りの高級車が二人の前で止まり、中から人が降りてくる。
「お待たせしました」
「・・・嘘ではなかったのだわ」
「私のネットワークを見くびらないで欲しいわ。新しいマスターによろしくね」
「ありがとうなのだわ」
「フフフ、安い買い物は後で高くつくものよ」
「えっ!?」
「じゃね!真紅、また会いましょう!!」
自動車のバックミラーで小さくなっていく水銀燈を見ながら真紅の胸に不安がよぎる。
もしかして騙されている?裏がある? 考えても分からない上に、状況が疑うことを許さなかった。
構うものか、半ばやけ気味に真紅は覚悟し、眼を閉じた。
(私も甘いわね。何も言わずに送り出せばいいものを)遠ざかる自動車を見送りながら水銀灯は思った。
(まあいい・・・私には私の目的がある)
「翠星石、どうしたんだ?」
「ちょっと真紅の様子を見てくるのです」
「いいよ、翠星石さえいてくれたら」
「それでも姉妹のことだから、野垂れ死んでいたら可哀想なのですぅ」
「ははは、翠星石は優しいんだね」
nのフィールドを抜け、真紅の元へ。
「こ、これはどうしたのです!?こんな豪邸に、しかも身の回りはすごい高級品ばかりでぅ。このサイズは、もしかして全部特注品ですか?!すごいですぅ、羨ましいですぅ」
「翠星石、よく私の前に出て来られたわね」
「私は真紅のことが心配で・・・」
「だったら無事を確認できたんだし、早く帰れば?」
「もう少しここに居たいですぅ」
真紅の様子を見に行った翠星石は、それっきりジュンの所には戻りませんでした。