―――暑い夜だった。 
何もしていなくても汗ばむようなじっとりとした空気の漂う、夏の近付いたある日の真夜。 

パァン・・・ 

ただでさえ入院患者の少ない上に、皆寝静まって静寂につつまれた特別病棟の一室で、乾いた音が響いていた。 

パァン・・・   パァン・・・   パァン・・・ 

それは、少女特有の若さと瑞々しさを持つ肌を強打する音。 

パァン・・・ あっ パァン・・・ んっ パァン・・・ はぁん 

いつしか断続的に聞こえる肌を打つ音の合間に、鼻にかかったような甘い悲鳴がまざっていく。 
もしも今、閉じられた病室の扉に耳をつける者がいれば聞こえたはずである。 

はぁ・・・んっ・・・もっとぉ・・・もっと・・・ぶってぇ・・・! 

自分を打つ手を求め、媚びるように哭く少女の声が――― 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 

「ほら、はやく寝ましょうよ」 
メグは一人分のスペースを自分の隣にあけ、ぽんっとベッドを叩いた。 
病室備え付けの、何の装飾もない簡素なベッドである。 
水銀燈は正直、このベッドが嫌いだった。 
毎日取り替えられる清潔なだけが取り柄の純白のシーツはごわごわとした肌触り。 
しかも、そのシーツが貼られたベッドマットは薄っぺらくて弾力も何もない。ただひたすら硬いだけ。 
今はもう取り壊された礼拝堂の冷たい木の床よりはいくらかマシではあったが、 
鞄の中で眠りにつくことに比べたら到底、心身が休まるものではない。 
しかも・・・ベッドの上には一人じゃない。 
窓枠に腰掛けて月を見ていた水銀燈は、ここでやっとメグのほうに顔を向けた。 

「どうしたの?いい加減、寝ようってばぁ!」 
なかなか降りてこない水銀燈に業を煮やしたメグが枕をばんばん叩く。 
アナタがいるからよ・・・ 
水銀燈はそんな言葉が口から出そうになるのを慌てて飲み込んだ。 
眠りにつく時は一人が良い。それが、たとえ知っている相手だとしても。 
だって、寝ている時が一番無防備じゃなぁい?だから、私は一人で寝たいの・・・ 
それが水銀燈の持つ乙女の心、こだわりである。 

「・・・このベッド、嫌ぁい・・・」 
ぽつり、と水銀燈がつぶやいた。 
さすがに、一緒に寝たくない、とは言えない。 
なんだか言ってはいけない気がするのだ。 

「・・・もう!そんなこと言ったって、その羽根が治るまでは鞄で寝れないんでしょ?我慢しなさいよぉ!」 
だが、メグはそんな水銀燈の心の内などお構いなしだ。 
口をとがらせ、ぷりぷりと怒って枕を振り回す。 
我が儘が通らずに愚図る子どもそのままである。 

「・・・ふぅ」 
短い溜息が水銀燈の唇から漏れる。 
どうせ水銀燈には行く場所もなかった。 
ここ数晩、こうして最後にはメグに押し切られて一緒にベッドに入っていた。 
仕方がない。今夜も諦めてメグと寝よう・・・ 
水銀燈は窓枠を蹴って飛び上がり、ふわりとメグの待つベッドの上に舞い降りた。 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 

「・・・眠れないの?」 
肩越しに、メグの声がした。 

「・・・」 
水銀燈は答えない。答えられなかった。 
メグの横で寝るようになって、幾晩たったのだろう。 
慣れない。 
他人とベッドに入るということに身体が慣れないのだ。 
水銀燈はメグから少しでも距離を離そうと、ベッドの端まで身体を運び、足を抱え込むように丸くなっていた。 

「そんなに離れなくてもいいじゃない・・・」 
怒るような、悲しむような、そんなメグの声。 
仕方ないじゃない、そうしなくちゃダメなんだから・・・ 
口に出したい文句も心の中で思うだけになる。 
全身がこわばっているのだ。手足も、口も、身体全体が。 
胸だって張り裂けそうなほど、高鳴っている。 
だから他人と寝るのは嫌なのだ。 
最初の夜はあの歌に聴き入って寝てしまったけど、その後はずっとこうだ。 
メグが横にいると思うと、なんだか緊張して眠りにつけない。 
こうして先にメグが寝入るのを待つしかないのだ。 
そして、寝息が聞こえてからやっと、水銀燈も瞳を閉じるのだった。 
だが、今夜はなかなかメグが寝ようとしない。 

「・・・は、はやく寝なさいよぉ」 
やっと、それだけ声になった。 
だが、その水銀燈の抗議もメグにとってはやっと水銀燈が反応を見せてくれたとしか映らない。 
嬉しさのあまり、メグはぐいっとベッドの中で水銀燈に身体を寄せた。 

「ね、ね、じゃあ少しお話ししましょうよ!」 
グイ・・・と、メグの手が背を向ける水銀燈の方を掴んだ。 
「きゃぁっ!?」 

 ドクンッ 

水銀燈の胸の鼓動が一際大きくなると同時に、身体がびくんっと跳ね上がる。 

「ど、どうしたの!?」 
水銀燈の過剰な反応に驚くメグ。 

「な、なんでもないわぁ!触らないで頂戴っ!」 
水銀燈はいきなり大きな声を出してしまったことが恥ずかしくなり、近付こうとするメグをピシャリと制した。 
肩を掴まれただけでこんなに取り乱してしまうなんて・・・ 
プライドの高さがこんな時には災いする。 
恥ずかしさに溺れ、息が詰まりそうになる。 
水銀燈は自らの身体を抱えるかのようにぎゅうっと抱き締め、先程よりもさらに身体を小さく丸めた。 

「ね、ねぇ、どうしたのよ水銀燈・・・?」 
ただごとじゃない様子の水銀燈を案じて、おろおろとメグが声を掛けた。 

「・・・」 
だが、もちろん水銀燈は答えない。 
恥ずかしさと、バクバクと身体の内側で音を立てる胸が、口を開くことを認めないのだ。 
沈黙が続き、息苦しい空気が狭い病室を支配した。 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 

「ごめん・・・なさい・・・」 
水銀燈が蚊の泣くような声でつぶやいた。 
やっと、すこしだけ気持ちが落ち着いたのだ。 

「・・・」 
メグからの返事はなかった。 
だが、寝入ったわけではない。 
黙って言葉の続きを待っているのだ。 
先を促す無言の返事が背中を向ける水銀燈にも確かに伝わっていた。 

「・・・なんだか、変なのよ・・・」 
水銀燈はベッドの中で丸くなったまま、病室の窓から遠くに視線をむけた。 
静かな夜空で真円の月が輝いている。 
それを見ていると、なんだかすこしだけ身体の強張りが解けていくような気がした。 
そのおかげか、今度は素直に思ったことが言葉となった。 
「メグの隣で寝ていると、身体が強張るの・・・胸も、ドキドキして・・・」 

「緊張・・・したの?」 
肩越しに、メグの声がした。 

「・・・」 
水銀燈は答えない。答える必要がなかった。 
今、自分の気持ちは全部メグに伝わっている。 
そんな予感がしたからだ。 
背中越しに、メグの気配が近寄るのを感じた。 
そして・・・ 

「緊張、ほぐしてあげるわね」 
再び、メグの手が水銀燈の肩に触れた。          (上章・完) 

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とりあえずここまで。 
大まかな構成はもう考えてあるんで続きはまた今度。つか、あまり急かさないでくれ。 

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