あべこべろーぜんめいでん 
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 本棚に囲まれた自室で、真紅は黙々と分厚い本を読み耽っている。 
 本棚に並ぶ書籍のジャンルは多岐に渡り、恋愛小説から、果ては医学書のような専門書まで見える。文字も日本語だけではなく、英語やらドイツ語やらが見える。彼女は本を読む事が余程好きなようだ。 
 彼女は現役の女子中学生なのだが、学校も行かずに朝から晩までこの部屋で本を読む毎日を過ごしていた。いわゆる、不登校児の引き篭もりである。 
 当然、家族や学校の先生から登校を勧められるのだが、その度に彼女はこう言い返す。 

「学校ってつまらないんですもの。家で本を読んでいた方が有意義なのだわ。学業のことならご心配なく。学校の教科書なら、全て暗記できますので」 

 だそうである。 
 実際、彼女の学力は半端ではなく、知識だけなら、すでに大学生レベルを超えていた。一度、学校の担任が期末テストの用紙を持ってきて真紅にやらせたのだが、全教科が満点かそれに近い点数で学年トップの成績を叩き出した。 
 なので、家族も教師も真紅には強く出れず、彼女は悠々自適な読書ライフを満喫していた。 

 今日も真紅は相も変わらず読書に勤しんでいた。窓辺で椅子に座り、紅茶の入ったポットとカップを手の届くテーブルに用意するのが、彼女の決まった読書スタイルだ。 
 今、彼女が読んでいるのは、ドイツ語で書かれた古い本。タイトルは「RozenMaiden」とある。 
 何ページ目かをめくった時、本に挟まっていた何かが彼女の膝の上に落ちた。 
「しおりかしら……」 
 真紅は手に取ってそれを確かめる。それは薔薇の刻印で封をされた手紙だった。 
 封筒は表も裏も真っ白で、宛名も何も書かれていない。 
 未開封で宛先不明の手紙があったら確かめてみたくなるのが人の性。真紅は盗み見は悪いと思いながらも、ペーパーナイフを取りに行こうと腰を上げた。 

 真紅は若干わくわくしながら、封筒の端にナイフを入れる。何が出てくるか分からないので、ちょっとした冒険気分だ。 
 手紙を取り出して広げた真紅は、一目で興醒めした。 
 手紙の出だしはこうだ。 

 おめでとうございます。真紅様!! 

 これは詐欺行為の常套文句だ。腹が立った真紅は、衝動的に手紙を破り捨てる所だった。 
 しかし、彼女は思いとどまった。おかしな点に気が付いたのだ。 
 そう、封筒は真っ白だったのだ。この郵便物は、どうやって真紅の所まで郵送されたのか。何故、古い本の間から見つかったのか。不審な点は尽きない。 

「きっと、誰かのいたずらね」 

 身内の者の悪戯と結論付けた彼女は、手紙に一通り目を通すことにした。どこかに犯人の手掛かりがあるかもしれない。 

「まきますか、まきませんか……人工精霊ホーリエが異次元より回収に参ります」 

 読み終えた真紅はペンを取り、手紙の「まきますか」という文字を丸で囲む。そして、手紙を本に挟み、元あった本棚に戻した。彼女は「人工精霊ホーリエ」と名乗る犯人を捕まえる気なのだ。 
 これが、これから起こる騒動の始まりになるとは、彼女は思いもしなかった。 

 真紅は窓辺で読書をしながら、テーブルのティーカップに手を伸ばす。 
 その時、彼女の視界の隅に見慣れない物が入った。 

「何かしら……。あんな物を置いた覚えはないし、誰もこの部屋には来てないと思うし……」 

 いつの間に置かれたのか、床の上には見慣れない鞄があった。 
 不審な手紙の事もあり、真紅は人の出入りに気を回していたつもりだった。 
 それでも、そこに覚えのない鞄が置いてあるのだから、誰かが部屋に来たのだろう。 
 二度目の悪戯にやや気分を害した真紅は、パタンと音を立てて本を閉じた。 

 鞄を開けた真紅は、中に入っていた物を見て驚いた。 

「人形? それにしても大きいわね……」 

 それは、まるで眠っているようだった。 
 黒髪に黒縁メガネに黒い学生服を来た男の子が、鞄の中で丸くなっていた。身長は五十センチはある。 
 その人形は細部まで異常なほど作り込まれ、今にも目を覚ましそうだ。 
 真紅は恐々と人形へと手を伸ばす。本当に動き出したら堪らない。真紅の指が人形の頬に触れた。 
「柔らかい……」 
 人の肌と変わらない感触が指先に伝わる。その感触が気持ちよくて、何度も指先で突付く。 
 段々、怖くなくなってきた真紅は、人形を鞄から出して抱き上げた。 
「本当によくできてるわね」 
 真紅はまじまじと人形を観察しながら、その作りの良さに唸る。見れば見るほど、人間と区別がつかない。 
 空っぽになった鞄を見た真紅は、ネジ巻きを見つけた。 
「これがあるということは、ネジを巻く穴があるはずだわ」 
 彼女はそう言って、ネジ穴を探す。 
 しかし、なかなか見つからない。仕舞いには、両足を持って逆さまにしたが、やっぱり見つからない。 
 こうなったら、最後の手段をとるしかない。 

「人形だし、いいわよね」 

 真紅は誰にでもなく言い訳をしてから、学生服のボタンを摘む。その顔は、少し赤くなっていた。 
 学生服の下にはシャツまで着させられていた。本当にいい仕事をされた人形だ。 
 真紅は荒くなりそうな息を抑えながら、シャツの小さなボタンを外す。 
 上半身を裸にして、ようやくネジ穴の場所が判明した。ネジ穴は背中の腰に近い所にあった。 
 早速、真紅はネジ巻きを穴に挿し込み、巻き上げる。 
 すると、人形の全身が震えるように動き出した。 

「な、何っ……!?」 

 気味の悪い動きに、真紅は思わず人形を手放した。 
 床に崩れ落ちた人形は、重力を無視した動きで浮き上がるように自立する。 
 そして、人形が目を開いた。 

「お前がネジを巻いたのか――って、裸ッ?!」 

 しゃべり始めた奇妙な人形は、服が脱がされていることに気付いて青ざめた。そして、体を隠すように自分を抱き締めて真紅を睨み付ける。 

「寝ている僕を襲ったな! この変質者! ケダモノ! アバズレ! 男の敵!」 

 思いつく限りの罵声を浴びせる人形の男の子。 
 動いたばかりでなく会話までこなす人形に驚いていた真紅だが、延々と止まない罵声だけはしっかりと聞こえていた。彼女の額に血管が浮かぶ。 

「――レイプ魔! 人形フェチ! バカ! アホ! えーと……おたんこなす!」 
「黙りなさい!!」 
「へぶしっ!!」 

 真紅の鉄拳が顔面に炸裂し、吹っ飛んだ男の子は本棚に激突して沈黙した。その上から大量の本が衝撃で崩れ落ち、男の子は見事に埋まってしまった。 

「まったく、こんなに酷く言われたのは生まれて初めてだわ」 

 真紅は助けようともしないで本の山を一瞥する。彼女の中では、失礼な人形よりも本が傷まなかったのかが心配だった。 
 誰も助けてくれないので、男の子は自力で本の山から這い出る。頑丈な人形である。 

「暴力まで振るうなんて……。こんな酷い人間は初めてだ」 

 真紅はまだ減らず口を叩く人形の前にズンと立ち、迫力のある目で見下ろす。 

「貴方が悪いのよ。人を一方的に悪者にして。私はネジ穴を探しただけよ。勘違いもいい加減にしてほしいわ」 

 真紅の言い訳を聞いた男の子は、黙り込んでしまった。冷静になって考えれば、勝手に決め付けてしまった自分が悪いと思ったからだ。 
 真紅は脱がした服を拾い、男の子の前に放った。 
「服を着なさい」 
 男の子は黙ったまま学生服の袖に腕を通す。 

「手を上げたのは謝るわ。ごめんなさい」 

 真紅がぶっきらぼうに殴った事を詫びた。人形相手に謝るなんて馬鹿みたいだが、彼女はこの男の子が可哀想に思えたのだ。 

「僕の方こそ、ごめん」 

 服を着終えた男の子も、顔を上げないでぶっきらぼうに謝る。 
 二人の心が初めて繋がった瞬間だった。 

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「僕はローゼンメイデン第五ドール桜田ジュン」 
「私は真紅。それ以上は何も聞かないで」 

 騒々しい出会いが一段落した所で自己紹介を始める二人。 
 人形の自己紹介を聞いても、真紅はそれほど混乱しなかった。彼女はローゼンメイデンに関する書籍を読んでいてジュンと出会ったのだ。わずかでも予備知識があった分、冷静に対応できた。 
 真紅の自己紹介については、深く考えないでおいてほしい。真紅は真紅。それでいいではありませんか。 

 自己紹介が終わった所で、ジュンは大切な交渉を持ち掛ける。これを成すために真紅が選ばれたのだ。 

「ローゼンメイデンはアリスゲームで争っているんだけど、それにはミーディアムの協力が必要なんだ」 
「アリスゲーム? ミーディアム?」 
「そう、アリスゲーム。アリスを生み出すための戦い。僕にとっては非情に迷惑な戦いなんだけど、狙われているから戦うしかないんだ」 
「それで、ミーディアムは?」 
「ミーディアムは、僕達ローゼンメイデンに力を送ってくれる人間を指す言葉。今から真紅がそれになるんだ」 
「は? どうして?」 

 ミーディアムになれと言われ、真紅が見るからに嫌そうな顔をする。戦いに巻き込まれるのだから、それが常識的な反応だろう。 
 こうまで露骨に嫌な顔をされるとは思っていなかったジュンは、一瞬怯みながらも説得する。 

「ホーリエがお前を選んだからだよ。人工精霊は、ドールに見合うミーディアムを選ぶ事ができる」 
「それはいいけど、私に見返りはあるのかしら」 
「見返り?」 
「当然でしょ。得る物も無いのに戦うなんてごめんなのだわ」 

 交渉はここでストップしてしまう。歳に似合わず、やけに現実主義な真紅の主張に、ジュンは何も言い返せなかった。アリスゲームに報酬など期待できない。 

 ジュンがこの場は諦めようとした時、二人の頭上から黒い羽が数本落ちてきた。ここは屋内。野鳥の可能性は無い。 

「もう来たのか!」 

 ジュンが張り詰めた表情で周囲を見回して警戒する。 
「来たって、何が?」 
「敵だよ、敵。他のローゼンメイデンが来たんだよ!」 
 敵襲と聞いて真紅も表情を硬くする。すでに彼女も逃げられない所まで来ていたのだ。 
 二人が背中合わせに警戒する中、敵は静かに現れた。 

「ジュン、やっと会えた……」 

 外から入ってきたのか、黒い翼を持った人形が窓ガラスを通り抜けてきた。 
 その人形は長い黒髪に真っ白な肌で、まるで幽霊のようだった。何故か、その服装はパジャマにカーディガンの姿だった。 

「第一ドール柿崎めぐ……!!」 

 ジュンが黒い翼のドールの名を呼ぶ。彼女は第一ドールの柿崎めぐだった。 
 ジュンはめぐを見て恐れおののいた。その様子は、蛇に睨まれた蛙さながらだ。 
 だが、めぐの様子は正反対だった。儚げに微笑むと、両頬に涙の筋を作らせる。 

「何十年もあなたを探したわ。今度こそ、あなたを逃がさない……」 

 めぐは両腕を広げ、浮遊したまま無音でジュンに近寄っていく。 
 ジュンは逃げたかったのだが、金縛りにあったように体が動かない。 
 とうとう、めぐはジュンの身体を捕まえ、両腕でひしと抱き締めた。 

「ジュン、大好きよ。だから、おとなしくしててね」 

 そう言った後、めぐはジュンを強引に押し倒した。ジュンは必死にもがいて助けを呼ぶ。 

「真紅っ、助け……」 

 真紅は助けを求められても、何もする気が起きなかった。どこから見ても、ただの惚気だ。 
 だが、傍観していられるのも最初だけだった。 
 なんと、めぐがジュンに跨ったままパジャマを脱ぎ始めたのだ。上着を脱ぎ、ズボンに指を差し込んだ時、さすがに真紅も黙っていられなくなった。 

「ちょ、ちょっと貴女、何をしてるの!?」 
「見て判らないの? 服を脱いでいるの」 
「そんなの判ってるわっ。だから、どうして脱ぐ必要があるのかと聞いているのだわ」 
「だって、服を着てたらできないでしょ」 
「できないって、何が」 
「子作り」 

 真紅の時間がたっぷり十秒は止まった。 
 人形が子作り? 子作りって、やっぱりアレのこと? ちょっと待って。そもそも人形にできるの? 
 真紅の思考が同じ疑問で何周もループする。 
 その間にめぐはズボンを脱ぎ、下着も脱ごうとしていた。 
 固まっている真紅をどうにか呼び戻そうとジュンが声を掛ける。 

「真紅、これがアリスゲームなんだ! だから、早くミーディアムの契約を……!!」 

 この呼び掛けで真紅は溺れかけていた思考の海から生還した。この部屋で男女の情事をおっぱじめられては堪ったものではない。 

「契約はどうすればいいの?」 
「この指輪に誓いの口付けを……」 

 伸ばしたジュンの左手薬指に薔薇の指輪が具現化する。 
 めぐはジュンのズボンを脱がすことに夢中で、そのやりとりには気付いていない。 
 真紅の唇が指輪に触れた瞬間、ジュンの身体は自由になった。 
「きゃっ」 
 めぐが突き飛ばされて床に仰向けになる。 
 真紅の左手にも指輪が具現化し、赤く光って熱を持つ。彼女を通して力が送られている証だ。 

「指輪が熱い……」 
「ミーディアムの力を使ったからだ。おかげで助かったよ」 

 ジュンがズボンのベルトを締めながら説明する。そんな姿で感謝されても誠意は半分も伝わらないが……。 
 あられもない姿で倒れていためぐが、むっくりと上半身を起こす。 

「ジュン、どうして拒むの……?」 
「こんなの間違ってるよ。だから……」 
「私のこと、嫌い?」 
「そんなんじゃない。でも、ごめん」 

 正面から拒絶されためぐは居たたまれなくなって、脱ぎ散らかしたパジャマや下着を急いで掻き集める。 
 そして、今度は窓ガラスを破って外へと出て行った。その目尻には、光るものが見えた。 

「ねえ、アリスゲームって何なの?」 

 めぐが去った後、真紅がアリスゲームの詳細をジュンに尋ねた。ミーディアムになった以上、知らなかったでは済まされない事が起こるかもしれないし、知る権利もあるはずだ。 

「その話は少し長くなるから、紅茶でも飲みながらにしよう。窓ガラスも元に戻さなきゃいけないし」 
「当然、ジュンが淹れてくれるわよね? 私は協力してあげる立場なのだから」 
「かしこまりました」 

 ティータイムを提案したジュンに、すかさず真紅が注文を入れる。彼女の露骨だが正しい意見に、ジュンは必要以上に改まってささやかな反撃をした。 
 早くも真紅に使われるジュンだった。 

 お茶にする前に、ジュンは風通りがよすぎる窓を直すことにした。 
「ホーリエ、頼む」 
 赤い光の精霊が現れ、窓の前で踊る。 
 すると、ばらばらになったガラスの破片が、どこからともなく集まってきた。 
 窓ガラスが時間が巻き戻るように元通りになるのを、真紅は呆然と眺めていた。魔法としか言いようのない奇跡に、驚嘆の声も出なかった。 
 次は崩れた本棚をてきぱきと整理し、ジュンは電気ポットのお湯で紅茶を淹れにかかった。 

「なかなかの腕前ね。もう少し熱い方が好みなのだけど」 
「覚えておきます、お姫様」 
 ジュンが淹れた紅茶を彼女なりに褒め、ジュンは思いっきり皮肉混じりに受け答える。 
 それでも、真紅はお姫様と呼ばれて悪い気はしなかったようだ。彼女は涼しい顔で紅茶を啜る。 
 ジュンも紅茶で喉を潤しながら、アリスゲームの話を始めた。 

「ローゼンメイデンは全部で七体。その中で男として作られたのは僕だけなんだ」 
「どうして貴方だけ男なの?」 
「それはアリスゲームのためさ。僕を巡って残りのドールズがしのぎを削る。何のためかは、めぐに聞いただろ?」 
「まさか、本当に子作りのために?」 
「その「まさか」だよ。僕との間の子が、アリスとして誕生するらしい。お父様も信じられない事をしてくれるよ……」 

 人形の子供がアリスとして生まれる。そんな馬鹿げた話に真紅は眩暈を起こしそうになった。それにはジュンも同感で、彼も頭を抱えて塞ぎ込んでいた。 
 話は解っても、当然湧いてくる疑問がある。好奇心に負けた真紅は、恥ずかしげもなくそれを尋ねる。 

「貴方、子供が作れるの?」 
「僕はローゼンメイデンだぞ。不可能は無い!」 
「そうね……」 

 ジュンの自信たっぷりな返答に、真紅は疲れを感じずにはいられなかった。 

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 真紅とジュンの奇妙な共同生活が始まった夜。普段はテレビの音もしない静かな部屋が、またまた騒がしい事になっていた。 
 今度の騒ぎの元凶は、真紅の姉だった。彼女がこの部屋に乗り込んできた所まで時間は遡る。 

「真紅! 今日という今日は許さないわよ」 

 ノックもしないで部屋に入ってきたのは、銀髪と赤い瞳が印象的なきれいな女性だった。その肌の白さは異常で、めぐにも勝る。この女性の白さは本当に病気なのかもしれない。 
 読書に耽っていた真紅は、別段驚きもせずに本から顔を上げる。 

「あら、水銀燈姉さん」 

 赤い瞳の女性は、真紅の姉だった。彼女の名は水銀燈といい、ここの長女である。年齢は……高校生とだけ言っておこう。ちなみに、この家は七姉妹という大家族で、真紅は五女だ。 

 真紅のすました顔が水銀燈の虫の居所を悪くさせる。彼女は真紅という問題児に昔から手を焼かされているのだ。長女として生まれてしまったからには、妹の面倒を看る責任がある。その妹の中でも、真紅は群を抜いて厄介な存在だった。 
 真紅の引き篭もりは今に始まった事ではない。小学校に上がる前から、今と同じような、本に囲まれた生活を送ってきたのだ。小学校へは、一年生の初めに何日か登校しただけだ。どれだけ周りに心配をかけたか、想像に難くない。 

 部屋に入った水銀燈は早速、見慣れない鞄と人形を発見する。ジュンは絨毯に寝そべって何かの本を読んでいた。 
 水銀燈はジュンに近付いて、本を読む人形を上からしばらく観察する。そして、いきなり学生服の襟を摘んで、猫を扱うようにひょいと持ち上げた。 
「わわっ!」 
 急に持ち上げられたジュンは、驚いて手足をじたばたさせる。 
 水銀燈はジュンをこっちに向かせ、顔をじっくりと拝見する。 

「貴方がジュンね。でも、少しガッカリ。もっといい男かと思ってたのにぃ」 

 初対面で名前を当てられ、ジュンと真紅はぎょっとする。そして、この人形慣れしている態度に嫌な予感がしてならなかった。 

「水銀燈姉さん、ジュンを知って……?」 
「よぉく知ってるわよぉ。この子の事は毎日のように聞かされているからぁ。私のめぐにね」 

 それを聞いた真紅は、咄嗟に水銀燈の左手を見た。薬指に薔薇の指輪がはめられている。彼女もミーディアムだったのだ。それも、よりによって第一ドールの……。 
 ジュンにとっては最悪の事態だ。あの柿崎めぐが、同じ屋根の下の住人をマスターに選んでいたのだ。めぐもこの家で暮らしていると考えた方が自然だ。ジュンの顔色がみるみる悪くなる。 

「めぐの知り合いですか?」 
「私はめぐのミーディアムよぉ。今日はあの子を泣かせてくれたそうじゃないの。今も私の部屋で泣いてるんだからぁ」 

 水銀燈はめぐから直接、今日の出来事を聞いていた。彼女が立腹してここへ来たのは、そのためだ。彼女はめぐを可愛がっていた。 
 めぐは今も傷心中らしい。そのめぐを慰める手っ取り早い方法は一つ。水銀燈は、ジュンを持ったまま部屋を出ようとする。 
 それを真紅が見逃すはずも無く、慌てて椅子から腰を上げて引き止める。 

「姉さんっ、ジュンをどうするつもり!?」 
「めぐにあげるのよ。彼女、この子を欲しがってたから」 

 水銀燈が事も無げにこう答えた。 
 それはまずい。まずすぎる。確実にジュンが殺られる。というか、犯られる。  
 人形がどうなろと真紅にとっては関係ない話だったが、このまま見捨てるのも寝覚めが悪くなる。 

「ジュンは私の人形よ。勝手に持ち出さないで」 
「あらぁ、貴女が本以外に執着するなんて初めてじゃないの?」 

 水銀燈が驚いた顔で真紅を見る。その表情から、彼女が言っていることが本当なのだと解る。それだけ、真紅は本の虜になっていたのだ。 

「執着なんてしてないわ。ただ、ジュンがかわいそうだと思っただけよ」 
「人形相手に?」 
 真紅がジュンを人形だと言ったので、意地悪くそこにつけこむ。真紅はむっとなって声を張り上げる。 
「気まぐれよっ。気まぐれ!」 
「はいはい、そういうことにしておいてあげるぅ」 

 水銀燈は真紅の喜ばしい変化に微笑みながら、ジュンを床に下ろして開放する。 
「妹をよろしくおねがいね、ジュン」 
 水銀燈はウィンクをしながら小声でそう言うと、部屋を出て行った。その柔らかい表情に素直に引き込まれたジュンは、彼女が出て行った後も、しばらく惚けていた。 

 好きなだけ惚けたジュンは、真紅のおかげで危機を脱したことにようやく気が付いた。水銀燈の言葉も思い出し、真紅の足下までトコトコと歩く。 

「また助けられたね。ありがとう」 

 真紅は黙って椅子に座り、本を開いた。 

「気まぐれだと言ったはずよ」 

 真紅は意地になって、助けた事を認めようとしない。彼女が素直になれるまで、まだまだ時間が掛かりそうだ。 

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 今日の真紅は朝からずっと不機嫌だった。 
 理由は、目の前の人形達にあった。 

「どうして逃げるの? 手を握っただけじゃない」 
「なんで手を握る必要があるんだよ!」 
「私のこと、嫌い?」 
「嫌いじゃないけど――って、もうそれはいいって!」 
「ぐすん……」 
「泣いてもダメェッ!!」 

 昨日の今日だというのに、めぐは懲りずにアタックを続ける。ふられたからといって、アリスゲームを諦める訳にはいかない。これは、ただの恋愛ゲームではないのだ。 
 しかし、あれだけ見事に玉砕して一晩で立ち直れる彼女は恐ろしくもある。めぐのジュンへの執着心は病的だった。ジュンが彼女を恐れるのも納得できる。 

 人形達は朝からこれと似たようなやりとりを、飽きもせずに何度も繰り返していた。厳密には、ジュンはうんざりしているのだが、めぐを無視することは許されない。何故なら、彼女を完全に無視すると、もっと凄い事になるからだ。 
 以前に一度、散々追い掛け回されたジュンは、彼女を無視してみた事があった。 
 その時の事は思い出したくもない。めぐは口を利いてくれないことに耐え切れず、昨日のようにいきなり襲ってきたのだ。言うまでもなく、強姦である。 
 その時は他のドールの助けもあって九死に一生を得たのだが、そんな危ない橋は何度も渡りたくはない。なので、めぐを放っておく訳にもいかないのだ。 

 そんな理由を真紅が知るはずもなく、彼女のイライラは沸点を超えようかという所まできていた。ジュンとめぐのやりとりは、傍からだとイチャイチャしているようにしか見えない。真紅は自分の部屋に居ながら、二人の邪魔をしているように思えて居心地が悪かった。 
 とてもではないが、この空気の中では落ち着いて本など読めない。読書という最も大切な行為に支障をきたされ、真紅の精神状態は平静ではいられなかった。 

 それでも、真紅は本を開いて読書に集中しようとする。読書への情熱が、こんな障害如きに阻まれてはならないのだ。もはや、これは戦いだ! 

「ねえねえ、私のマスターにはもう会った? 水銀燈っていうんだけど」 
「ああ、昨日の夜、怒鳴り込んできたよ。でも、優しくてきれいな人だったなぁ」 
「でしょ〜。今度のマスターは大当たりだわ。ジュンの新しいマスターはどんな感じ?」 

 真紅の耳がピクリと動く。話題が自分の事となっては、気になっても仕方がない。 
 ジュンは難しい顔をして自身のマスターの印象を語る。 

「うーん……気難しい人っていうのかな。どうも、とっつきにくい感じがあるんだ。ちょっと苦手かも……」 
「あはは、それってハズレってこと?」 
「そうなるのかな」 

 本を持つ手がワナワナと震える。 
 ハズレだと? 人形風情が人間様に向かって何を言う! 
 我慢に我慢を重ねてきた真紅も、標的をピンポイントで狙ったこの攻撃には耐えられなかった。 
 本を閉じてテーブルに置くと、すっくと椅子を立って人形達の方へ歩を進める。 
 ジュンとめぐは、二人を覆う影に気付いて上を見た。 
 そこには、ツインテールを角のように立てる赤鬼の姿があった。 

「真紅、どうしたの……?」 

 ジュンが怯えながらご機嫌を窺うが、時すでに遅し。真紅は問答無用で二人を片手ずつに抱き上げると、部屋の出入り口へと向かった。 

「読書の邪魔」 

 それだけ言って、真紅は二人を部屋から放り出した。 

「追い出されちゃったね」 

 めぐが何やら嬉しそうに話し掛ける。 
 ドアが閉まるのを呆然と見ていたジュンは、今の状況に気付いて戦慄した。 
 めぐと二人きり。それは、これ以上なく危険な状況に他ならない。 
 人目があってもすこぶる積極的な彼女だ。それがなくなったら、どんな行動に出るか簡単に想像がつく。獣は野に放たれた! 

「真紅っ、ドアを開けて! お願いだよっ!」 

 ジュンはドンドンとドアを叩くが、鍵を掛けられたドアはびくともしない。 
 部屋の中で、真紅はその様子を聞いていた。助けを呼ぶ声が、椅子に向かう彼女の足を止める。 
「開けてっ! 独りにしないでっ!」 
 真紅を頼るジュンの声が、彼女の心を揺さぶる。 
「ひど〜い、私がいるじゃないのぉ」 
「め、めぐっ、ダメだって!」 
「何がダメなの?」 
 真紅が迷っている間にも、外のジュンにめぐの魔の手が伸びる。声しか聞こえなくても、ジュンが危ない目に遭っているのは目に見えるように分かる。 
「もうっ……!!」 
 意地になっていた真紅が、身を翻してドアに向かう。あれだけ散々に言われても、彼女はジュンを放っておけなかった。 
 ロックを解除してドアノブを押した真紅は、助けが遅かったことを知る。 

「あれ……いない?」 

 部屋の前に二人の姿はなかった。廊下に出て端から端まで見渡しても、それらしい姿はなかった。めぐから逃げるためにどこかへ行ったのだろう。 
 探してまで助ける気は起きず、真紅は部屋の中へと戻った。 

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 ジュンはめぐを振り切るために家の中を走り回っていた。いや、家よりも屋敷と言った方がしっくりくる。余裕で人がすれ違いできる幅の通路が何十メートルと続き、部屋数も相応にある。 
 真紅は大邸宅に住まうお嬢様だったのだ。彼女の硬い口調や、値段の張りそうな本のコレクションを見れば、それも頷ける。 

 しかし、今のジュンにとって真紅の素性がどうなどという話は二の次だ。背後から迫るめぐを巻けなければ、身の安全は守れないのだ。 
 通路の壁に掛けられた絵画や脇に置かれた調度品には目もくれず、逃げ道だけを探してひた走る。 
 だが悲しいかな、ジュンの逃走はめぐには通用しそうになかった。彼女にはジュンには無い優れた移動方法がある。それは、翼を使った飛行だ。 
 全力で走るジュンの後ろを、余裕を持って追うめぐ。黒い翼を広げて飛ぶ姿は優雅にさえ見える。追う目的を知っていれば、そんなふうには断じて見えないだろうが……。 

「――行き止まりッ!?」 

 慣れない屋敷内で、いつまでも走り回っているのは不可能だった。 
 ジュンが何度目かに曲がった角の奥は、ドアが一つだけある薄暗い行き止まりだった。 
 このドアの向こうは用具置き場か何かだろう。この日当たりの悪さといい、埃臭さといい、人が住んでいるような環境には見えない。 
 立ち止まった彼のすぐ後ろで、着地しためぐが翼を畳む。 
 ジュン、絶体絶命のピンチだった。 

 真紅は自室で本を広げていた。 
 しかし、手元の本は同じページのままで、一向に先に進まない。それもそのはずで、真紅の視線は本の文字を追ってはなかった。 
 彼女の目は開いているだけで、何も見えてない。頭の中は、人形の男の子の事でいっぱいだった。もう一体の人形に襲われてないか気掛りで何も手に付かない。 
 ジュンを追い出したのは真紅だが、だからこそ気になってしまう。彼女は負い目に近い感情を抱いていた。 

「ジュンが悪いのよっ。私は悪くないわ」 

 読書を妨げる余分な思考を振り払おうと、真紅は独り呟く。もう一度、紙に並ぶ文字に視線を落とし、読書を敢行しようとする。 
 しかし、感情は荒れるばかりで、文字を強引に目で追っても内容が全く頭に入らなかった。 
 落ち着いて本を読むために独りになったのに、これでは逆効果だ。 

「ほんっと、手間の掛かる子なのだわ……!」 

 ついに真紅が音を上げた。文句を言いながら席を立つと、本をテーブルに放って部屋を出て行った。 

 袋小路に捕まったジュンの背後から、黒い翼の悪魔が忍び寄る。その殺気を背中に感じた彼は、恐る恐る振り向く。 

「もう逃げないの?」 

 そこにいたのは、嬉しそうに笑みを浮かべるめぐだった。今の彼の目には、その笑みも邪悪なものにしか映らない。 
 ジュンは体を敵の正面に向けて後ずさる。後が無いと判っていても、怯える身体が彼女から距離を取りたがった。 

「こんな暗い所に逃げるなんて……。もしかして、私を誘ってる?」 

 めぐの冗談か本気か区別のつかない発言に、ジュンは大きく首を振って否定する。 
 その必死な様子が可愛く見えたのか、彼女はクスクスと笑いながら足を前に踏み出す。こうなっためぐは、ちょっとやそっとでは止まらない。 
 後退するジュンの踵が閉ざされたドアに突き当たり、めぐがじりじりと距離を詰める。 
 息をする音さえ聞こえそうな距離に近付いためぐは、ジュンのメガネを外して瞳を覗き込む。その目は、恐怖で大きく開かれていた。 

「怖がらないで。これは、お父様の望みでもあるのだから」 

 めぐはそう囁いてジュンの肩に手を置く。触れられたジュンは、悲鳴に近い声を上げた。 

「めっ、めぐ――」 

 めぐはこれ以上騒がれる前に強引に声を奪った。口を口で塞ぐという強引な方法で。言ってしまえば、キスである。 
 途端にジュンの頭は真っ白になる。極限まで張り詰めていた彼の心は、キスだけで流されてしまったのだ。 
 ショックで放心状態の彼をめぐが見逃すはずがない。その隙に、舌を彼の口に送り込む。 
 腰の抜けたジュンは、背中をドアに預けたまま、ズルズルと尻餅をつく。その間も、めぐは唇を逃がさなかった。 

 長い長い口付けがようやく終わり、めぐがジュンの唇を解放する。その必要が無くなったからだ。ジュンの瞳は虚空を見たまま動かず、心ここにあらずといった様子だった。完全に陥落していた。 

「可愛い子……」 

 めぐはうっとりとした表情で、ジュンの頬の形を指でなぞる。顎の先までなぞり、行き場をなくした指先は、そのまま学生服のボタンへと移る。第一ボタン、第二ボタンと素通りした指先は、彼のズボンへと向かう。 
 チャックに到達しようとした時、その救世主は現れた。それも、いきなり飛び蹴りで。 

「桜田君、危ないッ!!」 
「ほげっ!!」 

 もろに両足を側頭部にもらっためぐは、頭から壁に突っ込んで倒れた。人間なら頭が割れて流血の惨事になっていただろう。 
 その救世主は、セーラー服を着た少女の人形だった。髪型は健康的なショートカットで、左目の泣き黒子がチャームポイントになっている。 
 新たに現れた人形は、ジュンの様子を見て慌てふためく。彼は未だに放心の真っ只中だったのだ。 
 めぐに何をされたのかは知らないが、どうにかしないと……。 
 そう思ったセーラー服の人形は、ジュンの前に膝を着いた。 

「こういう時は、人工呼吸が基本です」 

 意味の解らないことを言った彼女は、ごくりと生唾を呑む。この先の行動は、誰でも想像できる。 
 そして、彼女は期待を裏切らなかった。ゆっくりと唇を寄せ、瞼を閉じる。 

 だが、唇が触れ合うことは無かった。隣で復活しためぐが、飛び蹴りをお返ししたのだ。 

「ジュン、危な〜いッ!!」 
「はぶううぅっ!!」 

 セーラー服の少女は、めぐとは反対の壁に頭を打ち付けて沈黙した。だが、めぐの蹴りは助走が少なかったせいか、すぐに立ち上がる。 

「何するの!」 
「何するのじゃないわよ! それはこっちのセリフ」 

 初めてまともに顔を合わせた二人は、敵意を剥き出しにして大喧嘩を始めた。この二人の間には、何やら因縁めいたものがあるようだ。 
 髪を掴み合って子供みたいな喧嘩を繰り広げる横で、ジュンが正気を取り戻す。 

「あ……柏葉も起きてたんだ」 

 二人の動きがピタリと止まる。惚れてもらわないといけない相手の前で、幼稚な姿は見せられない。利害が一致した二人は、素早く離れて笑顔を作る。 

「三日前に目覚めたの。桜田君は?」 
「昨日起こされたばかりだよ」 

 ジュンは自分の足で立ち、お尻の埃を払う。 
 これが、第六ドール柏葉巴とジュンの運命の再開だった。 

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 真紅は屋敷内を速い足取りで歩き回っていた。ジュンを探しているのだ。 
「どこまで行ったのかしら……」 
 なかなかジュンが見つからないので、真紅の顔に焦りの色が出始める。 
 走って探そうかと考えた時、真紅は自分と同じように屋敷を歩き回っている少女を見つけた。 
 大きな瞳の幼い顔立ちが可愛らしい雛苺だ。彼女は真紅の一つ下の妹で、同じ中学生だ。だが、その童顔のために、よく小学生と間違われる。 
 雛苺はあっちこっちと見ながら真紅の先を歩く。何かを探しているようだ。 
 少しして、彼女は後ろを歩く真紅に気付く。すると、走って向かってきた。 

「お願い、真紅。手伝ってほしいのお」 
「ごめんなさい。私も忙しいの」 

 何のためらいもなく断る真紅。助けが欲しいのは真紅も同じだ。それにしても、このあっさりとした対応はさすがだ。 
 しかし、雛苺も負けてはなかった。目に涙を溜めて食い下がる。 
「そんなこと言わないでぇ。ヒナのお友達が迷子なの。一緒に捜してほしいの」 
「知らないわ。他を当たってちょうだい」 
 しつこいので真紅の口調もきつくなる。それでも、雛苺は諦めずに見つめてくる。急いでいる真紅は、脇を通り抜けようとした。 
「お願いなのぉ。大事なお友達なのっ」 
「雛苺っ、離しなさい……!」 
 雛苺が真紅の腰に抱きついて追い縋る。それほどまでに大事な友達らしい。 
 しかし、真紅にも大事な用事がある。腰に回された腕を振り解こうと無理にでも足を前に出す。それに、雛苺が必死にしがみつく。 

「イヤなの。今は真紅しかいないの。お友達はお人形さんなのよ!」 
「なんですって!」 

 真紅の態度が一変する。このタイミングで「人形の友達」と聞けば、あの生きている人形しか思い浮かばない。 
 真紅は後ろに振り向き、雛苺の両肩に手を置いて尋ねる。 

「貴女もローゼンメイデンを所持しているの?」 
「うん、真紅は聞いてないの? ヒナは水銀燈から聞いたのよ。真紅もお人形さんとお友達になったって」 
「聞いてないわ……」 

 雛苺は真紅がマスターになったことを聞かされていた。何も聞かされてなかった真紅は、のけ者にされたようで気分が悪かった。だが、これは自業自得と言える。一日中、部屋に篭って家族とのコミュニケーションを疎かにしていれば、こうなっても仕方がない。 
 真紅はしがみつく雛苺を引き剥がし、まさかと思って聞いてみる。 
「他にもあの人形を所持している人はいないでしょうね」 
「多分、いないと思う。それより、早く捜すの」 
「そうね」 
 二人は協力してドールの捜索を再開した。 

 廊下の真ん中を三体の人形が歩く。子供より小さい人形が歩くと、広い廊下が更に広く見える。ジュンの両隣にはめぐと巴が陣取っている。まさに両手に花の状態だ。 
 だが、二人に挟まれたジュンは生きた心地がしなかった。度々、めぐと巴は互いを牽制し合って視線で火花を散らす。先程、ドロップキックの応酬をしたばかりなのもあり、二人の仲は最悪だった。 
 そんな中、我慢を知らないめぐが、さりげなく手を繋ごうとする。当然のように、目を光らせていた巴は見逃さなかった。彼女はジュンの後ろを回ってめぐを突き飛ばした。 

「桜田君に触らないで」 

 めぐは倒れそうになるのを堪えて、キッと睨み返す。二人の間の険悪度が一気に増す。 
 一触即発の空気の中、ジュンは声を震わせて仲裁に入る。見た目によらず、勇気のある男だ。 

「仲良くしようよ。久しぶりに会ったばかりだし。ね?」 
「ジュンが言うならそうする〜。私っていい子でしょ? そう思うでしょ?」 
「あ、ああ」 

 急に明るく振舞うめぐに気圧され、ジュンは仕方なく頷く。返答に満足しためぐは、子供のような屈託の無い笑顔を見せる。本当に喜んでいるようだ。 
 時々、ジュンはめぐのことが解らなくなる。このような笑顔を見せる子が、真顔で襲い掛かってくるのだ。それがアリスゲームのためだとしたら、彼はやめさせたかった。そんなのは悲しすぎるからだ。 
 複雑な表情でめぐを見つめるジュンを、巴は心配そうに見ていた。 

「トモエーっ」 
 大きな声で呼ばれ、人形達が一斉にそちらに振り向く。声の先には、駆けてくる雛苺と、その後ろを歩く真紅の姿があった。 
「捜したのよ。突然いなくなるから……」 
「ごめんなさい」 
 やはり、雛苺は巴のマスターだった。巴を抱き上げて軽く叱る。 
 遅れてきた真紅は、何も言えずにそれを眺めていた。そして、ジュンと目が合う。 

「僕を捜しにきてくれたの?」 

 真紅は返答に詰まる。彼の言う通りなのだが、それを認めると負けなような気がしてならない。 
「違うわ。そこの雛苺に頼まれただけなのだわ」 
 ジュンが落ち込んで俯く。その分かりやすい反応が、真紅をじわじわと責め立てる。真紅は彼に背を向けながら言う。 
「ジュン、部屋に戻るわよ」 
「いいの?」 
 ジュンはまだ部屋を追い出されたことを気に病んでいた。黙ってついてこればいいのに、と真紅は心の中で髪の毛を掻き回す。 
「人形に家の中を歩き回られても困るのよ。誰かに見られたらどうするの」 
「わかったよ」 
 真紅は適当な言い訳を考えてジュンを連れ帰った。彼女は本当に強情なマスターだった。 

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