総合スレの続きいきます。 
陰鬱な話ですので、苦手な方はご注意ください。 
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 夜が明けて、今度は翠星石と雛苺が帰らなくなったのをのりが知る。真紅から聞いた彼女は、用意した朝食を見て悲嘆に暮れた。 
 そして、自分の事以上に弟の心配をした。立ち直りを見せていた所なのに、これが原因で再びひきこもってしまうかもしれない。のりは様子を聞いてみた。 

「それで、ジュン君は……?」 
「ジュンなら心配ないわ。今、自分にできる事をしようとしている。強くなったものだわ」 

 二階のジュンのベッドはすでに空だった。いや、昨晩からベッドは使われていない。寝床の主は朝になってもカーテンも開けず、机で一心に針を操る。手には深緑の鮮やかなドレス。彼のために命を落とした者のドレス。彼には一つの想いがあった。 

 ある日の午後、裁縫道具を片付けたジュンは、大きな鞄を片手に外へ出た。薔薇の金細工が施されたその鞄は、ローゼンメイデンの持ち物だ。 
 向かう先は人形の専門店。そこは巴に教えてもらった人形工房で、ジュンは足繁く通っていた。彼が通うのには理由がある。そこの人形師は得体の知れない技術を持っているようなのだ。 
 一度、人形に生命を吹き込む所を見せてもらったが、その光景が薔薇乙女と重なって見えたのだ。無論、彼女達のように自在に動いたわけではないが、その神業には恐怖すら覚えた。 

「桜田君、いらっしゃい」 
 人形売り場に入ってすぐ、店員の白崎が声を掛ける。ジュンとは人形制作の手伝いをする仲なので、客相手のよそよそしさはない。棚の埃を掃っていた白崎は、ジュンの鞄を見て手を止めた。 

「随分と大きな鞄だねぇ。それにとても古そうだ。何が入ってるんだい?」 
「人形です。先生に見てもらおうと思って……」 
「それは君の人形かい?」 
「そうです」 

 はっきりと持ち主だと主張するジュン。少し前までの彼なら「男が人形なんて」といった感じで恥ずかしがっただろう。だが、今の彼にそんな思いは微塵も無い。人形である彼女のあの生き様を見たら、恥ずかしいとはとても言えない。 
「彼ならいるよ。行こうか」 
 変化を感じた白崎は、ジュンの顔を確かめるように眺めてから奥の工房へ招き入れた。 

 店内から仕切りのカーテンを潜れば、そこは職人の領域だ。一般人は見慣れない素材や機材が並ぶ。 
 そして、その先に彼は居た。奥の作業机で人形の制作に打ち込んでいた。職人気質な彼は、人の気配に気付いても構わず作業を続ける。 
 終わるのを待っても仕方がないので、白崎が無遠慮に声を掛ける。 

「桜田君が来たよ。何か見せたい物があるんだって」 

 槐は手を休め、のっそりした動作で振り向く。別に機嫌が悪いわけではないのだが、どことなく怖い。そして、彼の目も鞄で留まる。視線に気付いたジュンは改めてお願いする。 
「僕の人形なんです。見てくれませんか」 
「持って来て」 
 ジュンは言われてすぐ、鞄を手渡しに奥に行く。槐は作業中だった机の上を片付け、受け取った鞄を置いた。 
 鞄の留め具を外して開ける。中から光が溢れ、薄暗かった工房を照らす。その光を見た槐は、鞄の蓋を持ったまま動かなくなった。驚いているのを見てジュンが説明を始める。 

「生きている人形ローゼンメイデン――人形師ローゼンの傑作と名高いあれです。でも、壊れてしまって……。それで、先生なら直せるんじゃないかと」 
「美しい……」 

 今の槐の耳には何も入らない。この光に魅入ってしまっているのだ。白崎はそんな彼の様子に驚き、鼻眼鏡を掛け直す。 

「光っているのはローザミスティカと言って、人形の命みたいなものらしいです」 

 説明は続けられるが、槐は歓喜の笑みを浮かべてローザミスティカを手にする。そして、静かに眠る翠星石を見て涙した。その涙には喜びと悲しみが入り混じっていた。 

「この子は素敵な主人と巡り逢えたんだね。この命の輝きを見れば判る。今はゆっくりおやすみ。愛しい私の娘よ……」 

 ジュンはそれを聞き逃さなかった。私の娘――彼は確かにそう言った。前からもしかしてとは思っていたが、今は驚きよりも期待が先を行く。生みの親なら生き返らせることも可能なはずだ。あの水銀燈のように。 

「あなたがローゼンだったんですね。お願いです。翠星石を直してください」 
「残念だけど、それはできない」 

 返事は無情なものだった。娘に命の奪い合いをさせているのは彼なのだから、この返事は想像できた。だが、あと一歩の所まで来たジュンに、そんな考えはできない。いや、したくない。 

「どうしてッ! あなたの娘なんだろ。今だって泣いてるじゃないか!」 

 槐は今も流れる涙を隠そうともしない。彼も悲しいのは同じだった。しかし、考えは変わらない。憤るジュンを諭すように話す。 

「君もこのローザミスティカを見るんだ。この輝きはアリスに相応しいと思わないか? 彼女はドールとして生をまっとうしたんだよ。そんな彼女を認めてあげないでどうする」 

 話を聞いてジュンは愕然とした。価値観があまりにも違いすぎる。アリスゲームを強いた彼を以前から疑問に思っていたが、これは決定的だった。ジュンは肩を震わせて咆える。 

「翠星石はアリスに拘ってなかった。もっと生きたいと言っていた。勝手に決めるなよ! 離れていたあなたに翠星石の何が分かるッ!!」 

 言うだけ言ったジュンは肩で息を切らす。それをじっと聞いていた槐は、悪いと思いながらも微笑んだ。 

「今のだけでも君の愛情の深さが分かるよ。君になら娘を嫁がせてもいいとさえ思った。娘達が揃って成長する訳だ……」 
「真面目に聞けよ!」 
「私は至って真面目だよ。だから忠告しておく。ローザミスティカは有効に使うんだ。でないと、君のもう一人のパートナーも無事では済まない」 

 そう言った槐は、ジュンの薬指の指輪を見やる。真紅のことを思い出したジュンは言葉に詰まる。最近の彼は翠星石のことしか頭に無かった。姉妹を亡くした真紅はもっと辛いはず。 
 そのまま勢いを失くしたジュンは、槐ことローゼンを説得できず、工房を出る羽目になった。 

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設定の違いで混乱すると思ったので、ここで言っておきます。 
アニメと違って槐をローゼンにしました。したがって、薔薇水晶も本物の第七ドールです。 
偽者だと話がややこしくなるので、アニメのひねりをなくしました。(単にめんどくさかったとも言う) 
当分の間は、こっちの投下がメインになると思います。 
もう片方は話が煮詰まってからにしようかと……。すみません。 
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 薔薇乙女の父に会った。そう聞いた真紅は初め、何かの冗談かと笑い飛ばした。 
 アリスにならなければ会えないとされるドールズの創造主。その偉大な存在とジュンがとうに出会っている。近所の店で「槐」と名を変えて人形師をしていると彼は言うのだ。 
 話をするジュンの顔は、真剣そのものだった。もしかしたら、と彼女が思い始めるのに、そうは時間は掛からなかった。 
 薔薇乙女の誰もが恋焦がれた「お父様」がすぐ手の届く所にいる。真紅はいても立ってもいられなくなり、帰ったばかりのジュンを連れて外へと飛び出した。 

「ジュン、本当にここなの?」 
「ああ、そうなんだけど……」 
 道路上で佇むジュンと、それに抱っこされている真紅。二人が見ている先はただの空き地。 
 それも普通の空き地ではなく、土地はアスファルトで舗装され、街路樹や小さな花壇で整備されている。まるで、ここには最初から建物など無かったかのようだ。 
 ジュンは狐につままれた顔で突っ立っていた。今さっきあった店が消えているのだ。ここに店が建っていた痕跡が微塵も無い。魔法でも使ったのか、そうでなければ、本当に店があったのか。ジュンは記憶に自信が持てなくなりそうだった。 
 この怪奇現象を確かめたかったジュンは、通行人を捕まえて尋ねてみることにした。彼はちょうど通りかかった地元の人らしい私服の青年を捕まえた。 
「すいません、ここに人形の店ってありましたよね?」 

 青年は抱いている真紅を見て奇異な視線を向けたが、質問に答えてくれた。 

「そういえば、あったな。あれ? でも、いつの間になくなったんだ……?」 

 青年は店があった場所を見て首を捻る。やはり、ジュンの思い違いなどではなかったのだ。 
「それは確かなの?」 
「おう、確かに――」 
 青年の動作が固まる。 
 やたらと目立っていた人形が喋ったのだ。そして、その人形と目が合う。 

「何? 私の顔に何か付いてる?」 

 異様に自然な動作で頬に手をやる真紅。青年の顔は真っ青になる。まずいと思ったジュンは慌てて取り繕おうと苦笑する。 

「ぼ、僕の腹話術、上手いでしょ? 将来は芸人を目指してるんです」 
「ジュン、何を言ってるの?」 
「いいから、黙って合わせろ」 
「私に命令する気?」 
「そんなんじゃないって!」 
「じゃあなんなのよ」 

 喧嘩を始めた二人を見て後退する青年。数歩下がって距離を取り、一気に背を向けて走り去った。真紅のことがばれてなくても、危ない人だと思われたのは確実だ。ジュンは髪を掻き毟った。 

 真紅はジュンの言っていた事が信じるに値するものだと確信した。確かに人形店は存在し、ローゼンはそこにいたのだ。真紅が出向くなり消えた店が、それを裏付けているようなものだ。  
 自室に帰宅した真紅はもう一度、槐について詳しく聞いた。そして、ジュンはその事について苦々しく語った。 

「あの人は壊れた翠星石を見て「自分の娘だ」って泣いたんだ。それで、翠星石を直してもらおうとした。だけど、駄目だった。どうしてだと思う?」 

 真紅には辛い質問だった。お父様はアリスの誕生を望んでいる。それを考えれば、答えは明確だった。 

「翠星石は……今のままの私達は、お父様に望まれていないから……」 

 最終的に求められているのは完璧な少女。不完全な命の欠片を持つ薔薇乙女などは、そこへ行き着くまでの過程でしかない。それは、真紅が生まれた時から承知していた事だった。 
 それでも彼女が父親を愛せたのは、確かな愛情を受けて生まれたからだった。ローゼンは、いずれはアリスになる娘達に等しく愛情を注いだ。例え道具として創られたとしても、その愛情は本物だった。 

「そうだよ。ローゼンは翠星石のローザミスティカを見て「アリスに相応しい」なんて言ったんだ。ふざけるなッ。翠星石は翠星石だ!」 

 思い出して熱くなるジュン。ふと、真紅は彼女が羨ましく思えた。傍にいられなくなっても、想い続けてくれる人がいる。私が遠くへ行ってしまっても、この人は同じように想ってくれるのだろうか。 

「翠星石はジュンの心の中で生きている。あの子もきっと喜んでいるわ」 
「まだ僕は諦めてない」 

 翠星石が死んだように言われ、ジュンは気分を悪くした。だが、絶望的なのは彼も解っていた。頼みの綱の槐には断られ、しかも、その槐がローゼン本人だったのだ。他に薔薇乙女を修理できそうな当ては無かった。 

「わかってるわ。でも、これだけは言わせて」 
「何だよ」 
「もし、私が倒れても、ジュンの心の中に居させてくれる? 居場所はほんの小さなスペースでいいの……」 

 ジュンは言葉を失った。激情に駆られて、またも真紅のことを忘れてしまっていたのだ。忘れていたばかりか、彼女を追い込むような質問さえしている。 
 目の前の真紅は怯えているのか、いつもより小さく見えた。それに、あの真紅が負けを考えるような弱気になっているのだ。その心情は察して余りある。ジュンは不甲斐ない己に腹を立たせ、拳をぎゅっと固くした。 

「そんなスペースはない」 

 真紅は呆然と目を見開いて放心した。そして、俯いて肩を落とす。最後の居場所まで無くなったのだ、と……。 
 だが、ジュンにそんなつもりはなかった。 

「真紅は倒れない。僕が倒れさせない。だから、そんなスペースは用意してない」 
「ジュン……!」 

 感極まった真紅は、目頭が熱くなるのを感じた。しかし、気丈な彼女は涙は見せない。彼女は誇り高い薔薇乙女なのだから。 
 そして、ジュンはその彼女に相応しい男に育ちつつあった。出逢ったばかりの頃の彼の暗さは影を潜めている。自暴自棄の彼に励ましの手を差し伸べ続けた成果が表れ始めたのだ。 
 真紅は己のマスターを誇らしく思えた。同時に、不甲斐ないドールで申し訳なく思えた。いつしか戦いを恐れるようになり、蒼星石との戦いではマスターの負担を顧みない愚を犯してしまったのだ。 
 ドールはマスターの期待に応えなければならない。真紅はジュンの想いに応えるべく、新たに決意を固める。 
 二度と情けない姿は見せない。 
 ゆっくりとだが、彼女の闘志は戻りつつあった。 

 金糸雀は日傘を片手にnのフィールドを彷徨っていた。と言っても、当ても無くぶらついている訳ではない。彼女には目的があった。 
 そして間も無く、彼女は目的の人物と遭遇する。 

「アリスゲームを、始めましょう」 

 白い髪の少女の開口一番は宣戦布告だった。 
 それでも、金糸雀は驚かない。一斉に脱落者が出た今、これは至極当然の成り行きなのだ。 

「まずは話を聞いて。ゲームはその後でもできるのかしら」 

 日傘を差したまま、彼女は落ち着いて不戦の意志を告げる。薔薇水晶は何も言わずに静止する。それを了解と受け止め、金糸雀が話を始める。 

「私は雛苺のローザミスティカを手に入れたわ。だから、持ってるのは二つかしら。あなたは?」 
「答える必要がありません」 
「そうね。でも、多くて三つかしら。真紅が少なくとも二つは持ってるもの」 

 金糸雀は頭脳派と自称するだけあり、情報の収集に余念が無かった。住居が特定されている真紅の監視は比較的やりやすい。これを見逃すのは愚かだ。 
 彼女は人工精霊のピチカートを偵察に連日送り、翠星石の脱落を知ったのだ。隙を突いて雛苺を襲えたのも、その努力があっての事だった。 

「あちらはローザミスティカ二つに加えて、ミーディアムのジュンまで居る。正直、カナの勝ち目は薄いかしら」 

 マスターを殺された金糸雀の戦力は、大幅にダウンしていた。ローザミスティカを一つ奪ったが、相手も同じように強くなっていては戦いが有利にはならない。真紅が翠星石のローザミスティカを使えば、金糸雀と同じ数になる。 
 彼女はこの差を埋めるために薔薇水晶と接触したのだ。今から、そのための交渉に入る。 

「もしもあなたにマスターがいないとしたら、やっぱり真紅には勝てないと思うわ」 

 仮定が当たっていても、薔薇水晶の表情は変わらない。彼女も指輪の契約はまだだった。ローザミスティカも蒼星石から奪っただけなので、真紅とぶつかれば苦戦を強いられるのは確実だろう。 
 だが、彼女はどんな状況でも真紅に負けるつもりはなかった。分が悪いのなら、目の前の少女の力を奪うまでだ。自然と瞳に殺気が宿る。 
 敏感に危うい空気を感じ取った金糸雀は、事が起こる前に本題を述べた。 

「そこで提案だけど、私と手を組んで欲しいのかしら」 

 それは、同盟の提案だった。アリスゲームに明確なルールは無い。これも立派な作戦だ。 

「もちろん、真紅を黙らせるまでの一時的なものよ。ダメなら、ここで命の取り合いをするしかないのかしら」 

 共闘の誘いを受け、薔薇水晶は熟考する。 
 ここで金糸雀を潰すのも悪くない。しかし、万が一にも手傷を負わされでもしたら、その後の強敵真紅に勝てる見込みは無くなる。 
 アリスに選ばれるのは一人だけ。最後まで生き延びなければ意味がないのだ。最も優位な立場の者を蹴落としたいなら、下位で無用な争いをするべきではない。益々、上位が楽になるだけだ。 
 それに、ここで誘いを蹴っても損をするだけだ。下手をすれば、金糸雀が他のドールと組む事もありえる。金糸雀があくまで最終的な勝ちを狙うなら、真紅を誘っても何ら不思議ではない。 
 結論は出た。 

「いいでしょう」 

 その返事に満足し、金糸雀は不敵な笑みを浮かべる。薔薇水晶も同じ笑みでそれに返した。 

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 ある日の午後、ジュンの家に久々の来客があった。 
 しかし、客人と言っても人ではない。その小さな客人は金糸雀だった。 
 彼女は堂々と正面から玄関の呼び鈴を鳴らし、のりにリビングへと通された。雛苺の事を知らされてないのりは、上機嫌で紅茶と菓子を出す。 

「カナちゃん、どこへ行ってたの? 心配してたのよぅ」 
「どこってほどの所はないかしら」 

 金糸雀はソファーで紅茶を一口飲み、部屋を見る。他には誰も居ない。この部屋も静かになったものだ、と感慨に耽る。この時間、少し前までは薔薇乙女の憩いの場だったというのに……。 

「真紅は?」 
「たぶん、二階ね。呼んでこよっか」 
「お願いするわ」 

 金糸雀はカップを置き、気を引き締める。今から会う真紅は仇であり敵なのだ。呑気にお茶を楽しむ事は許されない。 
 そんなことになっているとは露知らず、のりは軽い足取りでリビングを出た。 

 のりが呼びに行ってすぐ、真紅が硬い表情で金糸雀の前に現れた。後ろにはジュンの姿も見える。アリスゲームの真っ最中の今、マスターの彼が付きっ切りになるのは当然だ。 
「真紅、元気そうでなによりかしら」 
「貴女もね」 
 金糸雀の挨拶には皮肉の意が込めてある。真紅もそれを解って返している。のりだけが普通の挨拶だと受け取っていた。金糸雀はソファーから降り、真紅の前へ出た。 

「私がここへ来た意味、言わなくても判るかしら」 

 真紅は判っていた。だが、それを認めてしまっては悲劇を避けられない。もう手遅れなのは彼女もひしひしと感じている。それでも、言わずにはいられなかった。 

「金糸雀、まだ遅くないわ。ここに戻ってきて。雛苺の事は水に流すわ」 
「別に流さなくても構わないかしら。カナはみっちゃんの事を水に流すつもりないもの」 

 まさに、聞く耳持たず。金糸雀は真紅の言葉を一笑に付した。これには、ジュンも何かを言いたくなる。 

「お前はそれで本当にいいのか?」 
「それはこっちのセリフかしら」 

 金糸雀はきっと睨み、ジュンの物言いに反発を見せる。彼が気に入らないようだ。 

「ジュンはどうして真紅の味方ができるのかしら。悪いのは全部真紅よ」 
「まだそうと決まったわけじゃ……!」 
「決まってるのかしら!」 

 眼前で繰り広げられる剣呑な言葉の応酬に、のりはおろおろとうろたえるばかりだ。 
 言い合ってても仕方がないと、金糸雀が一歩一歩と足を前に出し始める。 

「ついて来るのかしら」 

 それは戦いへの誘い。アリスゲームを申し込まれた以上、無視する事はできない。仮に無視しても、ここが戦場になるだけだ。 
 やはり、こうなるしかなかったのか。真紅とジュンは、諦めに似た思いで金糸雀の後に続いた。そこが、最後の決戦の場になるとも知らずに。 

 金糸雀に連れてこられた異世界は殺風景な所だった。 
 辺り一面が真っ白な雪原で、地平線の彼方まで全方位に建物の一つ、木の一本も見えない。空はどんよりと厚い雲に覆われ、微かに粉雪がちらついている。 
 金糸雀は二人と距離を置いて対峙する。戦いの幕開けが目前に迫っていた。 

「そろそろ始めるかしら」 

 武器であるバイオリンを形にした時、彼女の上空に異世界からの扉が開く。 
 そこから飛び出したのは薔薇水晶だった。 
 金糸雀と薔薇水晶が当然のように並んで立つ。完全に罠だったのだ。 

「お前達、二人掛かりなんて卑怯じゃないかッ」 
「何が卑怯なのかしら。真紅とジュンで二人。カナと薔薇水晶で二人。とっても公平な戦いかしら」 

 ジュンが抗議するが、金糸雀はそれを一蹴する。それを言い出したら、最初に同盟を組み始めたのは真紅の方なのだ。ジュンの所に集まっている真紅達に金糸雀も一度は戦いを挑んだ。 
 彼女には罪悪感の欠片もない。バイオリンを喉元に構え、宴の始まりを奏でる。 

「第一楽章、白雪のプレリュード!」 

 弓が弦を激しく擦り、かなり騒々しい前奏曲で始まった。耳をつんざく音の連続は、曲と言うのもおこがましいものだった。ちなみに、曲目に意味はあまりない。彼女がその場の気分で付けているだけだ。 

「うわっ、耳が……ッ!!」 

 騒音攻撃だと思ったジュンが両手で耳を塞ぐ。 
 だが、それは間違いだ。本当の攻撃はこれから来る。 
 演奏の高鳴りと同時に金糸雀の姿が陽炎のように揺らぐ。空気が大きく振動しているのだ。そして、その揺らいだ空気の塊が前方に何発も撃ち出される。 
 それが見えていたジュンは、驚いて逃げようとした。 
 しかし、耳を塞いでいては体勢が悪く、見事に逃げ遅れた。瞬間的に体が逃げるのを諦め、頭だけを守ろうと顔を逸らす。 
 その時、小さな影が彼の前に躍り出る。彼女は手を翳し、薔薇の花びらを集めた盾で空気の砲弾を吸収した。 

「ジュン、音くらい我慢なさいっ」 

 チラリと後ろを見て叱責する真紅。 
 来るであろう痛みを、目を閉じて待っていたジュンは、助かったのを知って表情を緩める。 
 しかし、安心するのはまだ早い。金糸雀の砲撃は止まずに続いているのだ。 
 真紅の顔が焦りで歪む。花びらの防壁が突破されそうだった。 
 この時、金糸雀は違和感を覚えていた。真紅に手応えが無さ過ぎるのだ。疑問に思った彼女は挑発してみることにした。 

「真紅〜、どうしたのかしら。ローザミスティカを奪ってもこの程度?」 
「私は奪ってなんかないのだわ」 

 返ってきたのは意外な答えだった。だが、敵の言う事を鵜呑みにするのは危険だ。金糸雀は確認するためにも追求する。 

「この金糸雀が知らないとでも? あなたが翠星石のローザミスティカを持っているのは調査済みかしら」 
「それなら別の場所に残してあるわ。あの子は必ず生き返ると信じているもの」 

 真紅は手元にあったローザミスティカを吸収してはなかった。それをしてしまったら、彼女が忌み嫌うアリスゲームを容認する事になる。一度は不戦を誓った彼女なりのけじめだった。 
 それを聞いた金糸雀は、呆れるのを通り越して怒りさえ覚えた。せっかく手に入れたローザミスティカを、骨董品よろしく蔵に仕舞い込んだと言うのだ。この命を狙われている時期に、だ。 

「カナも随分となめられたものね。いいわ、ここで後悔するだけなのかしら!」 

 弓を扱う手の動きが激しさを増し、倍加した空気の砲弾が雨のように降り注いだ。 

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「逃げるわよッ」 
 真紅がそう言うのと同時に、花びらの盾が霧散して消えた。金糸雀の休む間もない攻撃に力負けしてしまったのだ。 
 執拗な砲撃に曝された二人は、みっともなく見えるくらい必死になってかわす。 
 かわされた空気の砲弾が硬く凍った大地を掘る。こんなのを一発でも喰らったら怪我では済まない。必死になって当然だ。 

 真紅はいきなり追い詰められていた。見晴らしのいい平原で逃げ回っていても埒が明かない。彼女は賭けに出る事にした。 
「ジュンはここで見てて」 
 真紅はジュンから離れて戦う事を告げる。マスターと距離を取れば、ドールに攻撃を集中してくれると考えたのだ。 
 彼が何かを言おうとする前に、真紅は金糸雀に向かって駆け出した。 

「く、来るのかしら――ッ!!」 

 防戦一方から転じて反攻してきた真紅にやや焦る金糸雀。 
 バイオリンでの攻撃は近接戦闘に向かない。あの大きな楽器を持って殴り合いはできない。近寄らせまいと真紅に集中砲火を浴びせる。 

 しかし、真紅には一発も当たらない。彼女は確実に砲撃の軌道を見切り、虚しく外れた弾が雪煙の柱を無数に立たせた。 
 あっという間に距離を詰められ、金糸雀の瞳が恐怖で震える。 
 真紅の顔が手の届く位置にある。そして、彼女の手は攻撃のために固く握り締められている。絶対に殴られる! 

「ヒィッ……!!」 

 悲鳴を上げた瞬間、殴られたのは真紅だった。 
 金糸雀の視界の左から凄まじいスピードで細長い腕が割り込み、真紅の右頬をぶち抜いた。 
 もんどりうって地べたに激突し、数十メートルは雪上を転げ回る。殴られた真紅も何が起こったのか判らなかった。 

「真紅ッ!!」 

 ジュンが彼女の名を叫び、血相を変えて助けに向かう。 
 吹っ飛ばされた真紅は両手を付いて起き上がろうとする。が、ダメージが深いのか、その動作も鈍重で覚束ない。 
 長い助走を取り全体重を掛けた拳にカウンターを合わせられたのだ。その破壊力は凄まじいの一言に尽きる。立てなくても無理はないだろう。 
 渾身の一撃を間近で見た金糸雀は、その破壊力の大きさに怯えを隠せなかった。殴っただけであれだ。助けが無かったら、地べたにへばりついていたのは自分だった。 

「た……助かったかしら。一応、礼は言っておくわ」 

 薔薇水晶は金糸雀の礼には関心が無かった。真紅が思うように動けない今がチャンスなのだ。すかさず彼女は追い撃ちへと向かう。移動の間際に水晶の剣を創って手にする。 

 真紅の所には先にジュンが駆けつけていた。だが、そんなものは関係ない。まとめて斬り伏せてしまえばいい。薔薇水晶は勢いをそのままに剣を振りかぶる。だが、彼女の考えは甘かった。 

「――何ッ!?」 

 薔薇水晶の驚愕の声が上がる。アメジストの剣が硬い壁に阻まれて止まったのだ。彼女はとっさに真紅を見る。まだ立つのがやっとの状態で、何かをしている様子はない。 
 では、この力は? 
 ジュンが真紅を庇うように背を向けていた。そして、薔薇水晶は彼の指輪が際立った光を放っていることに気が付いた。ルビーよりも鮮やかな紅い光が目に熱い。 

「ミーディアムが力を行使していると言うの!?」 

 それは、本来ならあり得ないイレギュラーだった。ミーディアムは薔薇乙女にエネルギーを送るパイプラインでしかない。薔薇の契約を交わしてもドールの能力は手に入らない。それなのに、ジュンは真紅が汲み上げた力を操れていた。 

 驚く薔薇水晶の一方で、ジュンはただ必死になっているだけだった。 
 真紅を守ると約束した。二度と翆星石の時のような思いはしたくない。 
 その一念が彼を突き動かしていた。 

 守ろうとする強い想いが少女に流れ込む。少女の中で彼の存在がどんどん大きくなっていき、体中に力がみなぎる。マスターとの絆が深まるほど、ドールはより強くなれる。 

「もう大丈夫よ、ジュン」 

 真紅が地をしっかり踏みしめて立ち、剣に対抗してステッキを手に取った。 
 今は誰にも負ける気がしない。 
 彼女は薔薇水晶に向かって突進した。 

 杖と剣が高速でぶつかり合い火花を散らす。二人の斬り合いは常識外れの動きの連続だった。傍からでも見るのがやっとの剣筋を二人は的確に捉えて打ち落とし、場合によっては体の動きで避ける。 

 ドールズの本気の戦いは、その体の大きさに似合わず迫力があった。人間のジュンは見守ることしかできない。しかし、金糸雀は違った。彼女も同じドールなのだ。 

「この時を待ってたかしら」 

 不敵な笑みを浮かべてバイオリンを構える。そして、大きく深呼吸して目を伏せた。 

「最終楽章、薔薇人形へのレクイエム」 

 ゆったりとした演奏が始まり、周辺の大気が静まり返る。 
 今度は先程のような騒音ではなく、重厚と言える曲だった。彼女のバイオリンの腕前は確かなのだ。 
 しかし、それは嵐の前の静けさ。 
 演奏の盛り上がりと共に一帯の空気が震え、次第に円を描いて流れ始める。 

「この風は?」 
 剣を交えていた真紅の手が止まる。 
 だが、気付くのが遅すぎた。すでに金糸雀の術中に嵌っていたのだ。 
 真紅は薔薇水晶諸共、巨大な竜巻の中に閉じ込められていた。金糸雀は二人まとめて葬るつもりなのだ。 

 金糸雀は薔薇水晶と手を組む前から、この時を待っていた。真紅と薔薇水晶がやり合っている間の漁夫の利を狙っていたのだ。 
 ドールを確実に負かすには出来得る限りの大技を使いたい。だが、大技は発動までに時間が掛かる。それで、足止めを兼ねて薔薇水晶を引き込んだのだ。 
 真紅が二つのローザミスティカを確保したと薔薇水晶が知れば、金糸雀が最初に狙われる公算が高い。その回避も含め、金糸雀は一石二鳥の作戦を立てたのだ。 

 薔薇水晶も仲間の裏切りを察知して攻撃の手を休めた。 
 金糸雀とはこの場限りの同盟なので、それほどのショックはない。しかし、この状況は不味すぎる。 

「貴女も危険なのではなくて?」 
「そのようです」 

 落ち着いて会話を交わす真紅と薔薇水晶だが、実はかなり焦っていた。お互い、敵の前では弱味を見せられないだけだ。 
 話している間にも暴風の壁は着実に迫る。あんなのに巻き込まれたら、手足がもがれて壊れた人形になってしまう。正面から突っ込んで突破する気は起きない。しかし、周りを何度見ても逃げ道は無かった。 

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 この危機に、ジュンは傍観している場合ではなくなった。竜巻の外に居た彼は、意を決して金糸雀の元へと走る。 

「やめろッ!!」 

 雑音が入り、演奏に陶酔していた金糸雀が薄っすらと瞼を開ける。そして、つまらないものを見るような目をジュンに向ける。 

「命が惜しかったら邪魔しないで」 

 破壊の演奏は止まらない。冷たく言い放った金糸雀は、すぐに全身を使って曲を表現する。演奏中の彼女は別人のようだった。 
 ジュンはそう言われて黙っている訳にはいかない。言って駄目なら行動で止めるしかない。彼は恐れず前に進む。 
 金糸雀はそれを見て呆れた。 

「忠告したのに……」 

 直後、ジュンの情けない叫び声が上がる。 
 数歩進んだ所で突風に吹き飛ばされたのだ。数メートルは舞い上がった体が重力のまま落下し、全身をしたたかに打ちつけた。 
「あがっ……うぅ……」 
 這いつくばっているジュンが痛みで呻きながら身をよじる。幸いにも、命と手足の骨は無事だった。彼はすぐに立ち上がり、よろよろと足を前に出した。 

「まだ懲りないの!?」 

 鬼気迫るジュンの行動に、金糸雀も動揺を見せる。人形のためにここまで命を張る人間は初めてだった。所詮は薔薇乙女も人間から見ればただの人形。物のために命を捨てる奇特な人は稀だ。 

「お願いだから来ないで! 本当に死んじゃうかしらっ」 

 再三の忠告は、やはり聞かれなかった。ジュンは痛む体でゆっくりと、だが確実に近づいてくる。 
 いつの間にか、金糸雀はお願いする立場になっていた。彼女はマスターが殺されて非情になっていただけで、本当は優しい子なのだ。 
 しかし、完璧な勝利を目前にして立ち止まる事はできなかった。彼女は目に涙を湛えて風に命令する。 
 これで、彼は再び宙に舞うはずだった。 

「どうしてッ!?」 

 金糸雀が驚いて叫ぶ。ジュンが今もこちらに向かって歩いて来ているのだ。 
 何も起こらなかった訳ではない。一度目に劣らない風が確かに吹き荒れた。しかし、彼は何事も無かったかのように歩を進める。 
 よく見ると、左手の指輪が強い輝きを放っていた。彼も同じ力で対抗していたのだ。 
 こうなっては金糸雀に成す術は一つも無い。力の大半は巨大な竜巻に取られているのだ。 

「い……いやっ。こっちに来ないでっ」 

 怯えて後ずさる金糸雀。それでも、演奏の手は休めない。 
 最後の仕上げまで来てしくじりたくない。 
 そう思っても、ジュンはすぐそこまで来ている。 

 ついにジュンが眼前に立ちはだかった。 
 金糸雀は強張った顔で彼を見上げる。依然、バイオリンの音は止まない。 
 そして、思ってもなかった方法で演奏が止められる。 
 ジュンは力尽きたように膝から地面に落ち、そのまま倒れて金糸雀を下敷きにした。 
「きゃあっ」 

 小さな悲鳴と共に、バイオリンが手を離れて凍った雪の上を滑る。 
 演奏が止まったのと同時に、成長を続けていた竜巻が徐々に小規模になっていく。 

 急激に静寂が戻りつつある中、金糸雀は動けないでいた。 
 ジュンに押し倒された形になったままなのだ。 
 彼の肩口から頭は出せているが、体はすっぽりと下敷きにされていた。ジュンがそのまま耳元で説得する。 

「こんなの、お前に似合わないって……」 

 ジュンのか細い声が金糸雀の胸に響いた。久しく忘れていた暖かいものがこみ上げてくる。 
 そして、今は亡きマスターとの日々が思い返され、今戦っている彼との日々と重ね合わせられる。 
 雛苺と遊ぶことが多かった金糸雀は、よくジュンに叱られた。落書きしたり、物を壊したり、散らかしたり。彼を怒らせて楽しんでいた。 
 楽しかった時間を思い出した彼女は、完全に戦意を喪失した。 

 次第に破壊力が減衰する竜巻の中、薔薇水晶が先に脱出を試みた。 
 弱まったといっても竜巻には変わりない。風の弱い中心でも立っているのがやっとだ。かなり危険な行為だった。 

「まだ早いわっ」 

 制止する真紅を振り切り、薔薇水晶は暴風へと身を投げ出した。彼女の姿が瞬く間に消える。 
 真紅はわずかに逡巡した後、彼女を追って風の壁へと飛び込んだ。 

「どうでもいいけど、早くどいてほしいのかしら」 
 金糸雀が半分投げやりな口調でぼやいた。彼女は今も押し倒されたままだった。 
「わるい、動けないんだ……」 
 ジュンが弱々しい声で謝る。彼は本当に動けないでいた。 
 慣れない力の使い方をした上に怪我までして、立っていられない状態だったのだ。あの演奏の止め方をしたのは、倒れ込むしか方法が無かったからだった。 

 金糸雀はなんとなくこのままでもいいと思った。ジュンの重みは嫌じゃなかった。 
 だが、そんな甘い考えが許されるはずもない。今は戦いの最中なのだ。その事を忘れた者には、手痛いしっぺ返しが訪れるのが世の常。 

「薔薇水晶……ッ!!」 

 その名の姿を目にして叫ぶ金糸雀。 
 だが、叫ぶのが精一杯だった。 
 なぜなら、彼女の腹には細長い水晶が突き刺さっているのだから。当然、その上の彼にも……。 

 金糸雀とジュンは剣で串刺しにされ、一つに繋がっていた。 
 背中から一突きにされたジュンは、声も無く絶命していた。心臓を貫かれての即死だった。 

 金糸雀の傷口から彼の熱い血潮が大量に流れ込む。 
 この死の間際で人の体温を感じられた事を、彼女は幸せだと感じた。どうとでもない事かもしれないが、最期の時はどんな小さな幸せでも見つけたくなるものだ。 

「策に溺れたかしら……」 

 それが彼女の最期の言葉だった。 
 血みどろの剣が引き抜かれると、金糸雀が淡い光で輝き出した。二つの魂が折り重なるジュンを突き抜けて浮上する。その様子は、まるで金糸雀とジュンの魂のようにも見えた。 

 薔薇水晶は二つの輝きを掌に載せて鑑賞する。ローザミスティカの輝きには、即賞味するには惜しいと思える魅力があった。彼女はその美しさに恍惚となって微笑んだ。 

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 遅れて竜巻から脱出した真紅は、目にした現実が悪い夢としか思えなかった。 
 白銀の大地を汚す血の色の染み。その上に重なって倒れる金糸雀とジュン。その横で宝石を手に載せて微笑んでいる薔薇水晶。彼女の手には、紅い水が滴り落ちる剣。 

 薔薇水晶が気配に気付いて振り向いた。 
 面が合い、立ち尽くす真紅の表情が呆然のそれから無表情のそれへと変わる。 

「ジュンを、どうしたの……?」 

 一見、穏やかな声で尋ねる真紅。 
 しかし、その奥底には計り知れない激情が垣間見える。訊くまでもなく、彼女は事態を把握していた。 
 薔薇水晶もそれを知りながら、一切の怯みも見せず淡々と答える。 

「彼は死にました。でも、心配はいりません。苦しまないよう、一瞬でしてあげましたから」 

 瞬間的に真紅の感情が爆発した。 
 今の彼女の心を支配しているのは悲しみではない。目前の妹に対する憎しみだけだ。 
 これまで憎まれてばかりだった真紅は、初めて憎む側に立ったのだ。 

 薔薇水晶は並ならぬ怒気を肌で感じ、宝石鑑賞を早々と切り上げた。 
 二つの輝きが掌から舞い、彼女の胸元へと吸い上げられる。そして、彼女は金糸雀と雛苺の魂を吸い込んだ。 

「胸が、熱い……!」 

 体内でローザミスティカの吸収が始まり、薔薇水晶の胸を焦がす。言いようの無い高揚感に満たされ、体の底から力が湧き上がる。 

 一方の真紅も、相手の力が増すのをただ傍観しているだけではなかった。どこから取り出したのか、掌にはローザミスティカが。 

「薔薇水晶……貴女は地獄に堕ちるべきだわ」 

 手の中のローザミスティカが呼応するように輝きを増す。翠星石の魂も愛する者の仇を許せないのだろう。 
 真紅は両手を胸元に当て、翠星石の命を吸収した。もはや、彼女に姉妹を思いやる心はわずかも残っていなかった。 

 睨み合って対峙する真紅と薔薇水晶。 
 ローザミスティカの持ち数は真紅が二、薔薇水晶が四。数値上は薔薇水晶が有利な感は否めない。 
 しかし、真紅には別の力の源があった。それは、凄まじい憎悪で燃え盛る心だ。 
 かつての水銀燈がそうだったように、狂気は時に恐ろしいまでの力を生む。 
 ジュンの亡骸を前に、真紅の感情は天井知らずで昂ぶっていた。 

 先に動いたのは薔薇水晶だった。前方に翳した掌から、水晶の飛礫を無数に放つ。先の尖った水晶は、弓矢の雨と同じだ。 
 真紅は花びらの舞で反撃しながら回避運動を取る。薔薇水晶も花びらから回避するために後ろに跳ぶ。 
 激闘の幕が再び上げられた。 

 薔薇水晶は水晶を放って距離を置こうとする。 
 真紅はそれを嫌い、花びらの盾で防ぎながら突撃を繰り返す。闘争心剥き出しの彼女は、一秒でも早く薔薇水晶を叩きのめしたかった。 

 殺気を異常なほど振り撒く真紅に、薔薇水晶は押される形となった。それでも、ローザミスティカの数が上回る相手の攻撃を掻い潜って接近するのは至難の業だ。 

「くっ……なかなか近づけないわ」 

 逆上して闇雲に突っ込んでいた真紅も、戦法を考えざるを得なくなった。忌々しく吐き捨てた彼女は、思案を巡らす。 
 その時、不思議とすぐにアイデアが浮かんだ。なんとなく、真紅は誰かに助言された気がしたのだ。そして、彼女は道具を出す。 

「スィドリーム!」 

 翠星石の人工精霊の名を呼ぶと、手元に如雨露が現れた。翠星石愛用の庭師の如雨露だ。 

 真紅は如雨露を持って駆け回る。すると、いつしか周りには濃い霧が立ち込めていた。 

「どこ……?」 

 薔薇水晶は濃霧で真紅を完全に見失っていた。しかし、焦りは無い。彼女にも考えが思い浮かんだのだ。 

「ピチカート」 

 薔薇水晶の手には金糸雀のバイオリンが現れる。 
 このバイオリンの力で霧を振り払おうと言うのだ。彼女は弓を構えて音を奏でる。 

 しかし、それは失策だった。音を出してしまっては、位置を教えているようなもの。 
 真紅はここまで計算していたのか、少しも霧が晴れないうちに薔薇水晶の位置を捉えた。 

 死角から真紅がスピードを上げて忍び寄る。 
 霧と楽音が隠れ蓑になり、気付かれる様子は無い。薔薇水晶の思いつきはことごとく裏目に出ていた。 
 この思いつきは、彼女が身体に宿している金糸雀、雛苺、蒼星石の抵抗だったのかもしれない。ジュンは、彼女達の誰からも好かれていたのだから。 

 千歳一隅の好機。背後を取った真紅は必殺の意を込めて掌の一点に力を集中し、至近距離から花びらの大砲を撃ち抜いた。 

「――ッ!?」 

 突然、薔薇水晶の背中に衝撃が起こる。 
 叫び声を上げる間も無く前方に吹き飛ばされた。 
 その威力は半端ではなく、体に風穴が開くかと思ったほどだ。真紅の攻撃は背後からでも容赦無しだった。 

 程なくして霧が晴れていく。 
 真紅が霧に消えた薔薇水晶を捜す。近くには見えない。手応えは充分あったが、念のため周囲を一度警戒してから目を凝らす。 
 すると、遥か遠くに倒れ伏しているのがぽつんと見えた。全力攻撃の衝撃であそこまで飛ばされたのだ。動く様子が無いのを見ると、致命傷を受けたようだった。 

 倒れた薔薇水晶の耳に小さな足音が入る。真紅が止めを刺しに来たのだ。それが判っていて立てない彼女には、もう戦う余力は無かった。 
 それでも、何もせずに殺られるのはご免だった。彼女は足音のする方に寝返りを打ち、ゆっくりと歩いて近づく真紅を眼帯をしていない右目で睨む。 

「私の勝ちのようね」 

 頭のすぐ脇に立った真紅が、見下ろして勝ちを宣言した。 
 彼女の瞳は氷のように冷めていた。アリスゲームの勝者となれた喜びの色は髪の毛一本ほども見えない。 
 ジュンを失った彼女の怒りは、それほどまでに大きかった。 

「まだ、負けてません……ッ!」 

 しかし、薔薇水晶は諦めなかった。這いずるようにして真紅の左足を掴む。彼女はアリスへの道を渇望していた。全ては、愛するお父様のために……。 
 そんな行動が真紅の癪に障ってしょうがない。顔を顰めた彼女は、掴まれてない右足を高く上げた。そして、ありったけの力で踏みしだく。 

「あぐっ!!」 

 ボキリ、と鈍い音がした。 
 苦痛で顔を歪めていた薔薇水晶が自分の腕を見る。 
 右の手と手首が分断されていた。 
 それでも、彼女は諦めない。何かに取り憑かれたように、左手を伸ばして掴む。 

「いっ……!!」 

 間髪置かず、先程と同じ鈍い音が鳴る。左腕も折られたのだ。今の真紅に相手を哀れむ心は無い。 
 両手を失っても尚、薔薇水晶は抵抗を続ける。手首までしかない両の腕で、硬い雪の上を這う。今度は口で噛み付こうとでも言うのか。 

「お父様のアリスに……私が、なります……!」 
「目障りだわッ」 

 真紅が思い切り蹴り上げた。薔薇水晶は見事な放物線を描いて宙を舞い、きれいに頭から落下した。 

 薔薇水晶は動かなくなった。 
 しかし、まだ目は死んではなかった。仰向けになった彼女は、見下ろす真紅をぎらぎらとした目で睨む。 

 真紅はステッキを取り出した。 
 その絶望に濁らない目が我慢できなかった。眼帯で片目しか見えない分、余計に目に付く。 
 杖の先端を薔薇水晶の右目の上に持っていく。 
 それでも、薔薇水晶は怯えない。目を閉じない。 
 真紅は真上に杖を上げ、そのまま真下に衝き下ろした。 

「キャアァアアアアアア――ッッ」 

 硝子の瞳が砕け、誰も居ない世界に絶叫が響き渡る。そして、脆くなっていた薔薇水晶の心も砕けた。 

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