それは何の前触れも無く突然起こった。ジュンが倒れたのだ。それだけではない。
のりや巴、また家の外を歩いていた通行人や猫にいたるまで、次々に人が倒れて行った。
「ジュン!?一体どうしたのだわ!」
突如発生した不可解な事件に真紅は戸惑った。そしてさらに彼女は気付く。
「雛苺と翠星石がいない!?」
さっきまで直ぐ隣でテレビを見ていたはずの雛苺と翠星石までいなくなっていた。
「これは一体どういう事!?」
真紅はワケが分からなかった。しかし、何とか紅茶を飲んで落ち着かせようとしていた。
と、その時だった。何者かが真紅の目の前に現れたのである。
「あ!貴女は!薔薇水晶!生きていたの!?」
薔薇水晶。ローゼンの弟子である槐が薔薇乙女を超える存在として作った薔薇乙女のレプリカ。
だがその強さは一級品であり、ローザミスティカを6つも取り込む事に成功した事がある。
とはいえその6つのローザミスティカの生み出す力に耐え切れず自壊し、その後行方不明になって
しまったはずだったのだが・・・。
「私は薔薇水晶では無い・・・。私の名前は真・薔薇水晶。」
「でも特に変わったようには思えないのだわ。それに真なんて私の名前と被るのだわ、訂正なさい!」
真紅はツインテールを振り、薔薇水晶を叩こうとした。だが、それより先に真紅が目に見えない力に
襲われ、壁に叩き付けられてしまった。
「な!?」
「真・薔薇水晶は今までの薔薇水晶とは違う・・・。」
確かに名前に「真」が付くだけの事はあった。真・薔薇水晶は薔薇水晶に比べて遥かに
パワーアップしていたのだ。だが、それだけではない。真・薔薇水晶には恐るべき秘密があった。
「既に貴女以外の全ては私の物になった。残るは貴女だけ。」
「え!?それはまさか・・・。はっ!!」
真・薔薇水晶の全身が輝きを発した。その輝きは真紅にとって見覚えがある物。そう、それこそ
薔薇乙女の命とも呼べるローザミスティカの輝きだった。
「まさか雛苺や翠星石がいなくなったのは・・・。」
「私は強くなった。あの時はこの力に耐えられなかったのに、今はなんとも無いのだから。」
一体どういう手を使ったのかは分からない。だが、真・薔薇水晶は真紅のそれを除いた全ての
ローザミスティカを手に入れ、しかもその力にさえ屈しない耐久力さえ手に入れていたのだ。
「この分だと水銀燈や金糸雀のローザミスティカも・・・、後は私の物を手に入れて
アリスになろうと言う魂胆ね?」
「いいえ、私はアリスにはならない。」
「え!?」
真・薔薇水晶の口から出た意外な言葉。そして彼女はこう続けた。
「私はアリスを超える存在になる。貴女以外の全てのローザミスティカを手に入れたのは
所詮通過点に過ぎない。そして私はこの世界の全てを手に入れ、アリスを遥かに超越した存在となる。」
「アリスを・・・超える・・・。」
真紅は愕然とした。真紅は、いや、恐らく薔薇乙女全てにそのような発想は無かったからだ。
彼女等にとってアリスこそがこの世で最も至高な存在であり、アリスを目指す事が薔薇乙女の
本分と考えていた。だが、真・薔薇水晶はさらに上の高みを目指していたのである。
「まさか・・・ジュン達が倒れたのも・・・。」
「そう、貴女を除く全ての人の力を、いやこの周囲一帯に存在する全ての力をも私は手に入れた。
でも大丈夫。皆死んでいるワケでは無いから。もっとも、目は覚まさないでしょうが・・・。」
「ジュン達を元に戻しなさい!」
真紅は真・薔薇水晶に飛びかかった。しかし、容易くあしらわれ、また壁に叩き付けられてしまった。
「痛・・・。」
「今日はこれで帰るから。また何か用があればnのフィールドでまた会いましょう。」
「な・・・何故私のローザミスティカを奪わない?」
「一人くらい敵がいないと面白くないから。幾ら力を手に入れても、それを磨かなければ
アリスを超える事は出来ない。そう、貴女をあえて残したのは、私がアリスを超える存在となる為の
踏み台とする為。今の状況から考えて、貴女は私に取り込まれた者達を解放する為に
どんな手を使ってでも私を倒さなければならない。そして私はそれを何度でも阻止する。
貴女は私の練習相手。この後永劫たった一人で生きていきたくなければ、精々頑張りなさい。
凶器を使っても、どんな卑怯な手を使っても私は構わないから。精々楽しみましょう。」
そう言って真・薔薇水晶は消えた。だが、真紅はその場から動けなかった。
真・薔薇水晶の恐ろしい計画に恐怖していたからだ。
「そんな・・・、あんな化物とどう戦えば・・・、でも彼女を倒さないと皆は戻ってこないし・・・一体どうすれば!」
真紅はその場で頭を抱えた。真・薔薇水晶は確かに恐ろしい。しかし何よりもこのまま
皆が目が覚めず一人ぼっちのままで生きなければならないと言う事の方が遥かに恐ろしかった。
それから一時後、真紅は暗い部屋の中、ホーリエの発するかすかな光の中で紅茶を飲んでいた。
電気は付かない。真・薔薇水晶は本当に真紅以外の全ての力を奪い去ってしまったのだ。
そして真紅が呑んでいる紅茶も、ポットに残っていた少量のぬるま湯から真紅が自分で作った
お世辞にも美味しくない紅茶である。そして彼女の手は震えていた。
「まさか・・・孤独がこんなにも恐ろしいなんて思っても見なかったのだわ・・・。」
真紅の目に涙が浮かんでいた。確かに暗闇は真紅にとって恐ろしい物だが、今はそれさえも
気にならなくなる程の、「孤独」と言う名の恐怖に真紅は襲われていた。
「このまま彼女を倒さなかったら、私は永劫孤独のままなのだわ・・・。でも・・・怖いのだわ。
彼女は私以外の全てを奪ってしまった。そんな化物にどうやって勝てば・・・。」
そして真紅は二回に上がり、ジュンの部屋へと入る。ベッドの上ではジュンが寝ていた。
辛うじて息はしているが、ジュンは全く起きる気配が無かった。
「ジュン!起きなさい!」
真紅はジュンの顔に平手打ちを放った。しかしジュンは起きない。
「いい加減に起きなさいジュン!なんて世話の焼ける下僕なの!?」
真紅はジュンの顔に平手打ちを続けた。だが、何度やっても結果は同じだった。
次第に真紅の目に涙が浮かんでくる。
「ジュン・・・ジュン・・・起きなさい・・・いい加減に・・・ううう・・・。」
真紅はジュンに抱きついて泣きじゃくった。それでもジュンは目を覚まさない。
「ダメなのだわ・・・。こんな所で泣いていたのでは、ジュンやのりは目を覚まさない・・・。
でも・・・、真・薔薇水晶も恐ろしい・・・。」
真紅は葛藤していた。真・薔薇水晶を倒さなければジュンやその他は目を覚まさない。
だが、真・薔薇水晶の力は圧倒的で真紅の力で敵うようなレベルでは無い。
しかしそれでも真紅は戦う道を選んだ。
「ジュン・・・私に勇気を頂戴・・・あの化物にも立ち向かえる勇気を・・・。」
真紅は眠っているジュンの唇に口付けをした。
「ジュン・・・貴方には本当に酷い事を何度も言ったけど、何だかんだで貴方との生活は
楽しかったわ・・・、だから・・・だから私は命に代えても元の暮らしを取り戻してみせるのだわ。」
そういい残すと真紅はジュンのアルバムの中からジュンの写真を一枚取り出してドレスの中に
入れた。せめてこうする事でジュンと一緒にいると言う暗示を自らにかけようとしたのである。
そして真紅はnのフィールドへ向かった。目的はただ一つ、真・薔薇水晶を倒す事。
nのフィールドに到着した真紅が最初に見た物は、変色した世界樹だった。
枯れてはいないが、精気が感じられなかった。
「世界樹にも影響が出ているなんて・・・、本当に何もかも奪われてしまったのだわ・・・。」
この世とnのフィールドは表裏一体。片方に何かがあれば、もう片方にも影響が現れる。
世界樹の変質が何よりの証拠だった。
「思ったより早かったのね。」
「絶対に皆を元に戻してみせるのだわ・・・。」
真紅は勇気を振り絞って真・薔薇水晶に向かっていった。だが、真・薔薇水晶は強く
片手であしらわれた。それだけではない。真・薔薇水晶は自らが取り込んだ他の薔薇乙女の
能力を完全に自分の物としていたのである。金糸雀のバイオリン攻撃で真紅を怯ませた後、
翠星石の庭師の如雨露で太く強靭にした雛苺の苺の蔓で真紅を雁字搦めにし、
さらに蒼星石の庭師の鋏と水銀燈の羽で真紅の全身を切り裂いた。だが、その傷は浅かった。
確かにその気になれば真紅を倒す事など容易いだろう。しかし、簡単に終わっては面白くない。
故にわざと傷を浅く抑えていたのである。
「こんな程度では私の経験にはならない。もっと腕を磨きなさい。」
真・薔薇水晶は真紅を束縛する蔓を解いた。しかし、真紅は真・薔薇水晶の脚に
しがみ付いて来たのだった。
「何をする!?」
「あえて攻撃を浅く抑えたのが間違いだった事を思い知らせてあげるのだわ!」
いくら真紅の傷が浅いとは言え、全身が切り刻まれており、その痛みは相当な物である。
だが真紅は真・薔薇水晶の脚にしがみ付いたまま離さなかった。
「(真・薔薇水晶の圧倒的な力を正面から無理に倒そうと考えていたから、その難題さに一度
勝負を投げかけてしまった。何事も積み重ねなのだわ。まずは片膝を付かせる事から始めるのだわ。
そうすれば、いずれは地面に倒す事だって出来るはずだわ!)」
真紅の顔に恐怖は無かった。むしろ悩みを吹っ切った清々しい顔をしていた。
「離しなさい。」
だが力の差は圧倒的。真・薔薇水晶は片手で真紅を持ち上げ、投げ飛ばした。
頭から地面に叩き付けられた真紅だが、それでも起き上がり、真・薔薇水晶の脚に組み付いた。
「見苦しい。いい加減似なさい。」
真・薔薇水晶は庭師の鋏で真紅を殴り飛ばし、さらに水銀燈の羽が追い討ちをかけて
真紅の全身を切り裂いていく。そして地面に叩き付けられた真紅は今度こそ立ち上がれなかった。
「もう・・・だめなのだわ・・・。」
真紅は意識が朦朧としてきた。しかしその時だった。
「負けるな真紅!何時も僕をひっぱたいていた時のような強気の真紅に戻ってあんな奴やっつけろよ!」
「え・・・?ジュン・・・?」
真紅は信じられなかった。真・薔薇水晶に力を吸い取られ、眠っていたはずのジュンが目の前にいたのだから。
「ジュン・・・貴方・・・眠っていたのでは・・・。」
「馬鹿!お前がたった一人で戦ってるのにおちおち眠ってられるか!」
「嘘・・・完全に力を奪い去って眠りから覚めないはず・・・まさか自分の力で意識を取り戻したと言うの?」
その時、真紅はもう一つの異変を感じた。真・薔薇水晶に力を吸い取られ、精気が失われていた
世界樹の精気が徐々に蘇り始めていたのだ。
「世界樹が・・・、ジュンもそうだけど・・・、これは一体どういう事なのだわ!?」
「何故!?一体どうなっていると言うの!?」
真・薔薇水晶は予想外の事態にうろたえる。と、今度はさらに突然苦しみ始めたのだった。
「うぁ!な・・・全身が・・・痛い!」
「何だ!?」
「どうしたと言うの?」
その場でのた打ち回る真・薔薇水晶の姿に真紅とジュンは唖然としていた。
すると真・薔薇水晶の中から聞き覚えのある声が響いてきたのだった。
『真紅なんかに助けられて借りを作るなんて私のプライドが許さないのよぉ。
だからお馬鹿さんの助けなんかいらない!自分の力でここから出てやるわぁ!』
『チビ人間にだって出来た事ですぅ。翠星石も自分の力でここから出てやるですぅ。』
『雛も頑張るのよー。』
『もうこんな所は二度と嫌かしらー。』
何という事か、真・薔薇水晶に取り込まれた姉妹達が内部から反抗を始めていたのだ。
そして内側からの攻撃が真・薔薇水晶の各機能を妨害し、苦痛を与えていた。
「今だ真紅!今ならアイツを倒せるはぞ!」
「そんなの一々言われなくても分かってるのだわ。全く煩い下僕ね。」
「なんだとぉ!?」
ジュンに対し素っ気無い言い方で返す真紅。しかし、その顔はどこか嬉しさが混じっており、
ジュンの方も真紅に対して怒りつつもまんざらでもない様な顔をしていた。
「取り込まれてもな戦っている姉妹達がいるのに・・・私が頑張らないワケにはいかないのだわ!
真・薔薇水晶!覚悟!」
真紅は苦しみのたうつ真・薔薇水晶に飛びかかり、顔面に絆パンチをお見舞いした。
たちまち吹っ飛ぶ真・薔薇水晶。さらに地面に倒れる前に真紅の第二発が腹に打ち込まれ、
若干浮き上がった所を下あごから上向きに、つまりアッパーの体勢で殴り飛ばされた。
「そ・・・そんな・・・貴女の何処にそんな力が・・・。」
「私には普段使う力とは別に、危機に陥った時にだけ働く力があるのだわ。例え体力が無くとも
気力で働く力が・・・。それが絆だと言うのよ!」
再度真紅は真・薔薇水晶を殴り飛ばし、激しいラッシュを叩き込んだ。しかもそのスピードは
どんどんと上がっているでは無いか。忽ち真・薔薇水晶の全身に真紅の拳がめり込んでいく。
「くっ!調子に乗・・・うぁ!」
真・薔薇水晶は水晶を飛ばして真紅を貫こうとした。しかし、内部で暴れる他の薔薇乙女のせいで
本来の力が出せず、容易く弾かれてしまった。そしてなおも続く真紅の激しいラッシュ。
その間もどんどんとスピードは上がり、真紅の姿さえ見えなくなる程だった。
「さあアリス超えを目指す者よ!皆を元に戻しなさい!」
「こんな所で・・・こんな所で・・・うああああ!!」
外と内の両方から攻め立てられた真・薔薇水晶はついに限界を迎え、強い光を放つと共に朽ちて行った。
真・薔薇水晶に取り込まれていた他の姉妹のローザミスティカが飛び出し、それぞれ飛び去っていく。
本来の体に戻るのである。この様子ならば他の力を奪われた人々や町も元に戻るはずであろう。
「真・薔薇水晶・・・、貴女の敗因を教えてあげるわ。それは私以外の姉妹を取り込んだ事なのだわ。
だってそうでしょう?あ〜んな如何わしい姉妹の力なんて当てになるとお思・・・。」
「真紅!?」
突然真紅は倒こみ、思わずジュンが駆け寄った。真紅いわく、気力で働く絆の力ででなんとか戦って
いたのだから、体力は残っていないも同然なのである。無理も無い事だった。
「一体何がどうなってたのかわかんないけど、良く頑張ったな真紅・・・。」
ジュンは真紅を抱え上げ、歩き始めた。目指すはnのフィールド。
真・薔薇水晶が何故復活したのかは依然分からないままだが、とりあえずこれで一件落着。
出口の向こうの全ては元に戻っているだろう。ジュンは後で真紅のボロボロのドレスを直して、
暖かい紅茶を淹れてやろうと思った。
真・薔薇水晶が負けた原因。それは大きく分けて二つある。まず第一に他の者の力を取り込む行為
そのものだろう。幾ら力を取り込むと言えど、殺しているワケではない。相手を生かした状態で
取り込まなければ、その力を自分の物に出来ないからである。それだけなら問題は無いが、
二つ目の理由として真紅一人を残した事、これがいけなかった。真紅を孤立させた事が
かえって真紅に「絆を大切にする心」を増幅させる結果となり、その真紅の頑張りに
触発され、真・薔薇水晶が取り込んだ者達が自らの力で内側からの抵抗を行う結果となった。
前述の通り、取り込まれた者は真・薔薇水晶の中で生きているのだから。
人に病気に対して自らの力で病気に打ち勝とうとする力が備わっている様に、彼らもまた
真・薔薇水晶の束縛から自らの力で逃れようと戦ったのである。
もっとも、これは真紅の頑張りと言う名の「きっかけ」が無ければ
この様な事は起こらなかったであろうが・・・。
他力本願ではアリスになる事も、アリスを超える事も出来ない。
大切なのは自分自身を自分自身の力で磨いていく事なのである。
真紅の大切にした絆も誰かに頼った物ではなく、自らの力で勝ち取った物なのだ。
確かに真・薔薇水晶に取り込まれた他の者達が内側からの抵抗を始めなければ
真紅は勝つ事は出来なかった。だが真紅は決してそれに頼ったワケでは無い。
他人に頼らず、あくまでも自分の力だけで真・薔薇水晶を倒そうとした勇気が
他の真・薔薇水晶に取り込まれた者達にも影響を与えたからに過ぎない。
皆が他人に頼らず、自らの力だけで何とかしようと努力した事が、
結果的に皆を救う事に繋がったのである。
友情や助け合いの精神も確かに大切である。しかし、それに頼りすぎてはいけない。
時には誰にも頼らず、自らの力だけで何とかしようとする心も大切なのである。
それが自分自身のみならず周囲を救う事にも繋がる事もあるのだから・・・。
おわり