もっと速く、もっと速く・・・音よりも速く


「こちら水銀燈、犬吠埼沖2キロ、高度10500メートル、降下をはじめるわ」
メグに持たされた携帯電話に向かって告げる、雑音は入るがなんとか通信はできる。
「水銀燈・・・がんばってね・・・」

この高度ではちょっとした姿勢変化でも数百メートルの高度損失につながる。
バランスを崩さぬように慎重に腰につけたヤクルトの壜を切り離す。
壜の底にわずかに残っていたヤクルトが白い糸を引きながら眼下に消えていく。

ここまで上昇するのに1時間と15分かかった。
予備として持ってきたヤクルトの壜を切り離せば、残りは体内の乳酸菌だけが頼りだ。
音速を超えるために全力を出せば体内乳酸菌もすぐ尽きるだろう。
メグともう少し話がしたかったが、携帯からはザリザリという雑音が聴こえるのみだった。
眼下には乳白色の雲が広がり、陸地と海の判別もつかない。
そこがおそらくメグのいる病院であろう場所に目をやり、水銀燈は降下を開始した。

「降下開始」

大きく広げた羽を引き絞り、ゆるやかに降下を始める。
空気密度の薄い高度で羽ばたいてもエネルギーの消費が大きい。
自由落下速度に達するまでは羽をたたみ、重力降下にまかせる。

「降下角30度・・・速度220キロ」

銀髪についた霜が剥がれ落ち、白い雪となって空中に舞う。

「降下角45度・・・速度280キロ、メグ?聴こえてる?」

髪と服が風圧でバサバサと音をたて、耳に押し当てたイヤホンからは何も聞き取れない。

「降下角60度・・・速度360キロ」

「降下角90度・・・速度450キロ、翼展開、全力試験開始」

一気に翼を広げると、空気抵抗でグッと速度が落ちる。
激しい風圧に耐えながら水銀燈は力強く羽ばたき始める。

「速度600キロ突破・・・空気が重いわ・・・まるで水の中を泳いでるみたい」

「速度650キロ・・・710・・・730・・・翼端がねじれそう・・・」

「速度740・・・速度があがらないわ・・・」

全身に叩きつけられる空気はコンクリートの壁となり、水銀燈の体を痛めつける。

「速度750・・・・・760・・・」

バキィィィィーーーーーン!!!!

不意に水銀燈の体を激しい衝撃が襲う、バランスを失った体は錐揉み状態となる。
薄れていく感覚のなかで水銀燈が最後に見たのは折れた翼に切り飛ばされた自らの右足だった。


(冷たい・・・冷たいわ・・・私の右足を誰か暖めて・・・)


「・・・水銀燈!!水銀燈!!」


(誰・・・私を呼ぶのは・・・)

目を覚ました水銀燈が見たものは白い病室の天井と心配そうに覗き込むメグであった。
「ここは・・・どこ?」
「病院よ。海に漂っていた水銀燈を漁師さんが届けてくれたのよ」
「そう・・・音速突破は失敗したわね・・・」
体にかけられていた毛布を払いのけ、立ち上がろうとする。
しかしグラリと視界が揺れ、再びベッドに倒れこんでしまう。

「わ、私の足が・・・右足がない!!」
「翼が折れた時に足も吹き飛ばされたみたいね・・・」

不意にメグの目から涙が零れ落ち、水銀燈にすがりつく。
「水銀燈・・・もうあきらめて。人形に音速突破なんて無理よ」
水銀燈はしばらく失われてしまった右足を見つめていたが、メグの手を振り払う。

「お父様は私に翼をくれた・・・他の姉妹達にはないこの翼を・・・
 お父様が私に求めたものは飛ぶことで見つかるはず・・・
 誰よりも速く、誰よりも遠くへ・・・力尽きるまで飛ぶ!!」


右足が失われた事で体重が軽くなったと不敵に笑う水銀燈をメグはもう止めることができなかった。


コツンコツン・・・病院の屋上に松葉杖の音が響く。
杖をつきながら歩く水銀燈の後を、メグが心配そうに続く。

「いい天気ね・・・今日こそは音速を超えるわぁ」

涙目になったメグは無言で2リットルのペットボトルに詰められたヤクルトを手渡す。
メグと水銀燈の間に今さら語ることはない、水銀燈は大きく翼を広げると悠々と空に舞う。
空のかなたに黒い点となって消えた水銀燈をメグはいつまでも見送っていた。

前回の挑戦で折れた翼はチタン合金の骨組みで修理し、翼の前縁は樹脂でガチガチに固めてある。

「八丈島上空12000メートル・・・今度こそ音を超えるわ」









水銀燈は無機質な病室の天井を見つめていた。
「今度は左手と左目を失ったわ・・・」


―――――――――――――――――――――――――
再度の挑戦のために水銀燈はメグに抱かれて病院の屋上にあらわれた。
一本だけで役に立たない右足を軽量化のために切り落としたため、もはや自分で歩くこともできない。
空気抵抗が大きい髪も肩のところでバッサリと切り揃えた。

「たぶん、これが最後ね・・・メグ、世話になったわね」

抱かれたメグの手を逃れるように水銀燈が大空に飛び出す。
メグの上空を二、三度旋回すると空の高みに消えていく。

前回の挑戦では羽ばたき続ける翼の先端が音速を超え、その衝撃に体が耐え切れなかった。
今回は思い切って翼に後退角をつけ衝撃波の発生を遅らせている。
全身が音速を超えるためだけに改造され、かつて目指していた理想の少女の面影はもはやない。

「私の手足と目を奪った音の壁を打ち負かすことが私の望み、これが私のアリスゲーム」

生身の体では生存することも出来ない高度1万メートルの世界を水銀燈は黒い翼となって飛ぶ。
誰にも邪魔されないこの世界で自らミーディアムになることを望んだ少女に思いをはせる。

「メグ・・・ありがとう・・・降下開始」
ヤクルトのボトルもメグとの最後の絆の携帯電話も捨てた水銀燈が加速を開始する。

「降下角45度・・・速度330キロ」

「降下角60度・・・速度490キロ」

「降下角90度・・・速度680キロ」
目に入るものは一面の乳白色、何も目標になるものがない世界に水銀燈は加速を続ける。

「速度770キロ・・・890キロ・・・」
誰かに愛された人形だったのは遠い昔だった気がする。

「速度・・・1000・・・・1050」
今は永遠にも思える加速を続け、その先にあるものにたどり着くだけ。

「速度1100・・・1150」
全身に叩きつけられる轟音とナイフのような空気の壁に黒い人形はもがく様に立ち向かう。

突然、水銀燈は無音の世界に放り出された。

「速度1225キロ!・・・超えたわ!音速を超えた!」

何も響かない無音の世界で水銀燈は勝利の叫びをあげる。


ズズゥゥゥゥーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

突然、強烈な振動が辺りを支配し、病室の窓ガラスをビリビリと振動させる。
ちょうどメグの検温に来ていた看護婦が思わずしりもちをついてしまう。
「な、なんなの!!??」

「・・・ソニックブームよ・・・物体が音速を超えたときに起こる衝撃波」
メグの目からハラハラと涙が零れ落ちる。

「そして、私の天使さんが天国へ帰ってしまった音・・・」

不意に泣き出したメグを看護婦は訳もわからずに慰めることしかできなかった。




日本上空で音速を超えた人形があったのを歴史は記録していない。

その時、大空と大地を揺るがして轟いた衝撃波を記憶している者はもうどこにもいない。

遠い昔のむなしい人形の夢だったのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・


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元ネタは>>136さんのとおりの「衝撃降下90度」です
いい作品なんで未読の人は読んでみてください

水銀燈が音速を超える理由が薄いとか思われるかと思いますが
最初は主治医の会話でメグの命が長くないことを知った水銀燈がって展開で考えていたので
脳内補完してやってください






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